貴方が誰よりも重い、プレッシャーという名の重圧を
負っているということを知っていながらも、

いつも何でもないように笑っていたので、忘れかけていました。





+大丈夫、だから安心して





楽しいから笑うわけではない。

嬉しいから笑顔を浮かべるわけではない。


そう、強く知ったのは、ワタシが彼の異変に気づいた時でした。

普段より僅かに、幸村君の繰り出す技が繊細さに欠ける、と感じた春の日。

様子がおかしいと彼の姿を見ていれば、

ラケットを振る度に、ボールを打つ度に眉をしかめていることに気づいたのです。

もちろん聡い他のメンバーたちも、そんな幸村君の様子に気づかないはずはなかったのですが、

部長の彼がいつもと同じく、笑顔で。

何かを尋ねようとする部員たちに有無を言わせませんでした。


けれどもそんな幸村君がやはり心配で、

仁王君との打ち合いをやめて彼と話をしようとコートを出ました。

けれども気づけば幸村君の姿はコートの何処にもいなく、

ワタシは突然言い知れない不安に駆られました。


もしかしたら何処かで倒れているのかもしれない、

そう思ったワタシは慌ててコートの周りを幸村君の姿を求めて捜し始めました。


それについてきてくれたのは、やはり仁王君でした。

心配そうなワタシの様子に何かあったのかと察した仁王君は、

幸村君がいないということを告げると直ぐに、ワタシと一緒に捜してくれると言ってくれました。


コートの外をあらかた捜し終えて、最後に二人で向かったのは部室の裏の木陰でした。

そこは暗く滅多に人も来ないのですが、確か古びたベンチが一つあったと思い出したのです。

まさか、という思いを抱えながらそこへ向かうと、かすかに人の気配がするのに気づきました。

近づいて、確かに人がいることを確かめて、ワタシは慌ててそこに駆け寄ろうとしました。



「ゆ・・」



しかし、駆け寄ろうとした体は仁王君に引き止められ、口は彼の手に塞がれました。

どうしてなのか理由が分からず、不満の声を上げようとして、ワタシは目の前の光景に、

仁王君の行動の全てを理解したのでした。


幸村君は一人ではありませんでした。

もう一人、幸村君の側にいる人影に気がついたのです。


それは、丸井君の姿でした。


丸井君がワタシからよく見えなかったのは、幸村君が彼をしっかりと抱き締めていたからでした。

あそこまで大人しく抱き締められている丸井君を見るのは初めてで驚きましたが、

それよりも驚いたのは、幸村君がまるで縋るように丸井君を抱き締めているということでした。

普段の幸村くんからは想像もできないような姿だったのです。


全国一位、立海大の全てを背負う幸村君はいつも酷く掴み所がない人間でした。

弱みなど何処にもない、誰よりも信頼でき、そして誰よりも強い。

立海大の部長という肩書きを気にするでもなく、

その肩書きすらくすんで見えてしまうほどの人間なのです。


ワタシはそんな彼が笑顔の下で抱えている責任と重圧をよく知っているはずでした。

幸村君が立海大の部長と決まったときから絶えず持ち続けている、

不安と勝利への執念を、間近で見て理解しているつもりでした。


けれども普段の幸村君の態度があまりにも変わらないので、忘れかけていたのです。

どれだけその重圧と責任が彼を苦しめているのかということを。


ワタシはじっと、幸村君のそんな姿を眺めていました。

目を瞠り、そうして一度も視線を逸らすことのないまま、その姿を見つめていたのです。



「・・手術、受けてこいよ」



突然静寂を破って話し出したのは、幸村君に抱き締められている丸井君でした。

その話の内容に、思わずワタシは耳を疑ってしまいました。



「皆分かってくれる。

 それにお前がいなくても俺たちが全国制覇してやるからさ!」



手術、という丸井君の言葉に、ワタシは事の重大さを知りました。

幸村君はそこまで、医師から手術を勧められるくらいにまで状況が切迫していたということなのです。


ワタシは思わず、自分の拳を強く握りました。

何に対する感情か分からないのですが、体が小刻みに震え始めたのです。

ただ、気づいてやることができなかった自分に。

普段のあの優しい笑顔に騙されてしまっていた自分に。

不甲斐ないという思いが込み上げてきて仕方がなかったのです。


爪が食い込むほど強く拳を握っていると、ふわりとそれを包み込んでくれる手がありました。

ワタシはその温かさをよく知っていましたが、気づけば彼の手も。

小刻みに震えていたのです。

ワタシは自分の手の平の代わりに、縋るように仁王君の手を握りました。

仁王くんも、強くワタシの手を握り返してくれました。



「・・早く手術してさ。

 そんでもって早く復帰して。

 頑張れば全国で一緒に戦えるかもよ?」



普段は底なしに明るい丸井君の声が、今はまるで子供をあやすかのように酷く穏やかでした。


幸村君はそれでも、丸井君を抱き締めて離そうとはしませんでした。

まるでそれを離してしまったら二度と戻らないかのように強く抱き締める姿に、

ワタシはただ遠くから二人を見守ることしかできませんでした。


心に直接流れ込んでくるかのような幸村君の痛み。

きっと部員たちの前で簡単に外には出せないような思いを、ずっと幸村君は抱えていたのでしょう。

そんな彼の姿を見ながら、ワタシは不意に自分の頬が濡れていることに気づきました。

仁王君と繋いでいない方の手で頬に触れれば、

いつの間にか自分が泣いていたことに初めて気がついたのです。

手を濡らした雫を呆然と眺めていると、突然。


後ろから仁王君が強く抱き締めてくれました。


片方の手がワタシの体を抱き締め、片方の手がそっとワタシの眼鏡を取り去り、

そうしてその手がワタシの目を覆いました。

真っ暗になった視界に驚いていると、耳元に仁王君の、

今まで聞いたこともない感情の入り混じった声が聞こえたのです。



「・・お前泣かすなんて許せない奴やのう、幸村は。

 早よう帰ってきて、俺があいつをこてんぱんにのしてやる」



もちろん、仁王君の言葉の真意は言葉通りのものではありません。


幸村君は早く復帰するのだと、そうして普段通りにテニスをすることができるようになるに違いないと、

まるで願いにも似た仁王君の言葉でした。



「・・そうですね」



ワタシは止まらない涙を零しながら、けれど口元に、自分でも無理矢理だと分かる笑顔を作り、

そんな言葉を呟いたのだ。

ワタシができることは、幸村君が何の心配もなく手術を受けられるようにすること、

そして彼が帰ってきた時に以前と何も変わりなく部に入り込めるようにすること。



ワタシと仁王君は静かにその場を立ち去りながら、

きっと同じことを考えていたのでしょう。


手を繋ぎながら、交わされる熱と鼓動は全く同じだったのでした。










その後、幸村君は入院することになったと真田君の口から正式に部員に伝えられました。

ワタシはその時、思わず仁王君と顔を見合わせました。





勝たなければならない、ではなく勝ちたいと願ったのは、

その時が初めてでした。