幼い心ながらも、他人のに安心感を覚えたのは、あの時が初めてでした。





+雷





それはワタシがついこの間屋上で彼と出会ってから間もない時の出来事でした。

屋上で初めて出会った彼―仁王雅治―は、ワタシが知らなかっただけで、

実は同じクラスだったのです。

その事実を知ったときには驚きましたが、けれど驚いたからといってその事実を知った後も、

ワタシと彼の間に、屋上で出会ったときのような接触はありませんでした。

お互いがお互いのことを知りながらも、けれど互いに友人の種類が違ったために、

特に会話があるということはなく、日々を過ごしていたのです。



それでもワタシが友人と話していると時折、強い視線を感じることがありました。

ふとその方向を見ると仁王君の姿があるのですが、

ワタシがそちらの方を向くと必ず彼は視線を逸らしてしまうのです。

どうして彼がそんなことをするのか分かりませんでしたが、

もしかしたらただのワタシの思い込みかもしれないと思い、あまり気にしないように努めました。



けれどおかしなことにふとワタシは、

普段仁王君がしていることと全く同じことをしていることに気付いたのです。

気付けばワタシはいつしか仁王君のことを無意識のうちに視線で追っていて、

仁王君がそんなワタシの視線に気付くと、慌てて視線を逸らすのです。

どうしてなのだろうと自分の胸に問うてみましたが、理由は全く分かりませんでした。

ただ、無意識のうちに彼を視線で追ってしまう自分がいるのです。

きっと仁王君もワタシと同じに違いない、とおかしな感情に答えの出ないままに、

そう自分に無理矢理納得させたのです。




それから数週間が過ぎ、ワタシはクラス委員として放課後に担任から雑用を命じられました。

普段だったら部活のために断ってしまうことが出来るそれも、

今日は生憎の雨降りで断る理由もないまま、担任の手伝いをすることになったのです。

気がつけば既に夕刻も近づく時間で、ワタシは急いで最後の仕事である学級日誌を付け始めました。

雨降りの夕方に一人暗い教室に取り残されるのは、思った以上に恐いことでした。

学校にはもう人の気配はなく、聞こえてくるのは雨音と、遠くで鳴り始めている雷の音だけでした。

近づいてくる雷の音に、本能が早く帰った方がいいと告げます。


ワタシは雷の音に急かされるように急いで日誌を書こうとしました。



そのときです。



教室の後ろのドアが開き、聞き覚えのある綺麗な声が聞こえてきたのです。



「まだ残っとったんかい」



思わず振り向いて、ワタシはここに来たのが彼だったことに心底驚きました。



「仁王・・君」



思わず間抜けな顔をしてしまったのでしょう。

仁王君はワタシを見て少しだけ笑いました。


そうして彼はワタシに近づき、その隣の席に腰を下ろしました。

こんなに近づいたのは、彼と初めて出会って以来のことです。



「・・こんな時間まで何を・・?」



仁王君も同じテニス部ですから、同じく今日は雨で部活は中止です。

だから、何故こんな時間まで彼が学校に残っていたのか不思議だったのです。

しかしワタシが問うても、彼は口元に小さな笑みを零すだけで答えてはくれませんでした。



「・・そうですか」



答えが貰えなかったことに落胆しながらワタシは視線を落としました。

けれど、その視界の中にまだ生々しい赤い鬱血があることに気付き、ワタシは再び顔を上げました。



「仁王君、何処かに引っ掛けましたか?」



仁王君の首筋にはまだ先ほど傷つけたばかりのような生々しい傷跡がありました。

何処かで引っ掛けたのでしょう、と思いながら仁王君の首筋にある赤い鬱血を指差すと、

仁王君は酷く楽しそうに笑いました。



「お前さんが嘗めてくれればこんな傷すぐに治るとよ」



「なっ・・!?」



言われた言葉が理解できなく、思わず目を瞠って仁王君を見れば、彼は目を細めて笑うだけでした。

からかわれたと気付いたその時。

目の前で一瞬大きく光が輝いた後、突然遠くにあったはずの雷の音が酷く近くで鳴り響きました。


バリバリ、と何かを引き裂くかのような音がしたので、近くの木にでも落ちたのかも知れません。



ワタシは思わず耳を塞ぎ、縮こまってしまっていました。

突然の光と音の大きさに驚いてしまったのです。

ぎゅっと目を瞑り、迫る音から身を守るように耳を塞ぎました。



それから、しばらくして。

遠く余韻の音を聞きながら恐々と耳を塞いでいた手を取り、顔を上げました。

すると、そこには。



男の自分も思わず惚れ惚れしてしまうほどの笑顔を浮かべた仁王君がいたのです。



ワタシは思わず少しの間彼を見つめてしまいました。

もしかしたら変な人間かと思われたかもしれませんが、

そんなことを考えられないくらいに見惚れてしまっていたのです。


突然動きを止めてしまったワタシに不審がるでもなく、仁王君はもう一つニッコリと笑みを零しました。

そして、仁王君は突然すっと手を出し、ワタシの手を握ったのです。



「・・震えとる。恐かったんじゃろ?」



そう言われて、ワタシは自分の手が震えていたことに初めて気づきました。

指摘された恥ずかしさに、ワタシは思わず仁王君の手を振り解こうとします。



「・・っや」



けれど力強い仁王君の手はワタシの手を離そうとはしませんでした。

どうして、と仁王君を見れば、彼は優しくワタシの手を握り返してくれました。




「お前が日誌書ききる間だけ繋いどいちゃる。

 じゃけん、早く書き終わらせて・・」



一緒に、帰ろう。




そう仁王君に促されて、ワタシは抗えない何かに後押しされるように、

そんな仁王君の提案に頷いたのでした。

素直に頷くと仁王君は酷く嬉しそうな顔をして笑いました。

初めてみる彼のそんな笑顔に、ワタシもつられるように笑いました。





もう、雷なんて怖くはありませんでした。





日誌を書き終わって、職員室に日誌を提出して、それから。

仁王君と初めて一緒に帰りました。

日誌を書くまで、という約束だった手は、ワタシと仁王君が分かれる道まで繋がれたままでした。

丁度都合のよいことに、雨が降っていたので、誰もワタシたちのことなど気に留めていませんでした。





それから、ワタシと仁王君の不思議な関係は続いていくことになったのです。