昔々あるところに、一人の貧しい少年がいました。 ――彼の名は 柳生比呂士といいました。 +cendrillon 柳生は幼い頃から貴族の家に預けられ、働いてきました。 幼い頃から柳生は随分と可愛らしい子供だったのですが、 召使という身分のために、いつもぼろぼろの服を着させられていました。 もちろん、柳生はそんな自分を不憫になど思ったことはありません。 こうして働いてお金を貰って、生きていくことができるだけでなんと幸せなことなのでしょうと思うのです。 柳生の毎日の主なお仕事はお掃除です。 毎日お屋敷の中を行ったり来たりして、沢山あるお部屋のお掃除をします。 このお屋敷のご主人様である真田様は、この辺りでも長いこと続く名家のご当主です。 柳生がお掃除に手を抜いて、真田様に恥をかかせる訳にはいきません。 だから今日も柳生はご主人様のために、日頃培ったお掃除の能力を最大限に発揮して、 せっせとお掃除に励むのでした。 そんなある日、柳生は街へ買い物へ行くことになりました。 普段買い物は料理担当のジャッカルさんが行くのですが、 今日はお屋敷で大きな会議が行われるため、ジャッカルさんは手を放すことができず、 簡単な買い物を柳生へと任されたのでした。 久し振りに出た街は、何故だか活気付いていました。 どこもかしこも、人々が何かの話題を楽しそうに話しているのです。 柳生は不思議に思って雑貨屋のおばさんに話を聞きました。 すると彼女は嬉しそうにこう話してくれたのです。 『今度お城で舞踏会があるんだって! そこで王子様が結婚相手を探すらしいよ』 雑貨屋のおばさんの話に、柳生はなるほど、と納得をしました。 お城の王子様、と言えば随分前から街の娘たちの話題の的でした。 美しい銀髪、長身に、甘いマスク。 何処のお城の王子様よりもかっこよく、そして優しく強い王子様。 そんな彼は街中のどの娘たちも恋焦がれるほど、憧れの的なのでした。 柳生は帰り際に街の様子を伺えば、なるほど色めき立っているのは若い娘たちでした。 王子様の好みのタイプを予想してみたり、誰が選ばれそうだと言い合ってみたり。 華やかなその会話に、柳生は見ていて少しだけ悲しくなりました。 王子様は何も、彼女たちだけの王子様ではありませんでした。 柳生も小さい頃、王子様がどんなにかっこいいのかという話を聞かされ、 すぐに彼のことが好きになりました。 街へ出て王子様の話題が出てくるたびに心動かされ、喜んだものです。 けれど、王子様は今度の舞踏会で花嫁探しをするといいます。 もちろん、柳生が舞踏会に出るなど到底できません。 柳生の心密かに思っていた王子様は、自分の知らないところで結婚をしてしまうのです。 身分違いの、ただの憧れのような恋だとは分かっていましたが、 けれどやはり悲しいものは悲しいのです。 柳生はお屋敷への道をとぼとぼと歩きながら、 いつか自分のもとにも必ず、彼のような王子様が現れて、 幸せにしてくれるに違いないと、そう思うようにしたのです。 それから数日後、お城から正式に、舞踏会が開催されることが発表されました。 真田家にもお城から召使が来、ご家族に招待状が渡されました。 奥様とブン太様と赤也様は、何故だか乗り気ではありませんでしたが、 お城からの招待状を無視する訳にもいかず、しぶしぶといったご様子で、 けれど最後には楽しんでドレスを着ながら、馬車に乗って出かけていかれました。 結局はお祭りごとは大好きな方々なのです。 柳生は家を出る馬車が小さくなっていくのを見送りながら、小さく溜息をつきました。 そうして月明かりに映えるお城を見上げます。 やはり柳生は居残りです。 それは当たり前なのですが、今日王子様のお嫁さんが決まってしまうというのに、 自分は遠くから見ていることしかできないのが、辛くてたまらないのです。 柳生はぎゅっと目を瞑り、そして一つ息を吐きました。 もう、これで全てを忘れることにします。 叶わないことをいつまでも願っていても、仕方のないことなのです。 所詮は、高望みの恋だったのです。 そう思い、柳生は自室へ引き上げようとした、その時です。 「・・困ってるみたいだね」 そう、まるで突然聞こえてきた声に、柳生は驚きました。 自分の周りには誰かがいた気配などなかったのです。 辺りを見回すと、すぐ側に線の細い、儚げな陰を持つ少年が立っていました。 「・・もし望むなら、君の願いを一つ叶えてあげるよ」 突然のその申し出に、柳生はただ戸惑うしかありませんでした。 「でも・・、貴方に叶えられるはずがありません」 すると彼はふわりと髪をたなびかせて笑いました。 「運命は君のことを待ってる。 だから、僕を信じてみて」 そうして彼はにっこりと笑い、柳生を見ました。 その笑顔には何故だか人を信じさせる力を持っているようで、柳生は気づいたら頷いていました。 「じゃあ、鼠とかぼちゃを持ってきて」 彼の言われたとおり、鼠とかぼちゃを持ってきて目の前に差し出すと、 不思議な力でそれらを馬車へと変えてしまいました。 「次は、柳生」 そう言うと、彼は柳生に手を差し出しました。 するとあっという間に柳生の着ていた服が、豪華なドレスへと変わりました。 「さぁ、急いで」 彼は柳生の手を取り、急いで馬車へと乗せました。 「これで大丈夫。 王子様に会っておいで。 でも、気をつけて。 僕の魔法は12時までしかもたないんだ。 12時を過ぎると途端に元に戻ってしまう。 だから12時前にはちゃんとここへ戻っておいで」 柳生は彼の言葉に頷きました。 「分かりました、ちゃんと戻ってきます。 有難うございました、魔法使い様!」 走り出した馬車の中からそう告げれば、彼は幸せそうに笑いました。 当然のことながら舞踏会はもう既に始まっています。 なるべく急いでお城までいき、馬車をお城の前で止めました。 かちゃり、とドアが開かれる音がします。 お城の従者の人が開けてくれたようです。 柳生は一つ息を吐き、緊張する心をなだめました。 それから、震える足を叱咤しながらお城へと続く赤い絨毯の上に降り立ったのです。 城へ向かおうとする柳生を見て、色々な人が見惚れて立ち止まりました。 一体何処の貴族の人間なのだろう、と、誰もがその美しさに息を飲みました。 けれど緊張する柳生はそんなことに全く気づきません。 いよいよお城のドアが目の前に迫りました。 このドアの向こうの舞踏会場に、王子様がいると思うと、ドアを開ける手が震えました。 けれど、ここで立ち止まっている訳にはいきません。 柳生には残された時間が少ないのですから。 一つ深呼吸をしてから柳生は、静かにそのドアを開けました。 ドアを開くとそこで、大勢の男女が楽しそうに踊っていました。 けれど、人々が柳生の姿を見た途端、大きなどよめきが起こり、そしてやがて会場は静かになりました。 何か変なことをしてしまったのだろうかと柳生は不安になりましたが、 けれど意を決して中へと進んでいきました。 すると突然、舞踏会場の一番奥で、ガタンという大きな音がしました。 柳生がその方向を見ると、そこには恋焦がれていた王子様の姿がありました。 綺麗な銀髪の、すらりとした長身。 誰もが憧れるかっこいい顔をした王子様が、真っ直ぐに柳生を見ています。 その真剣な眼差しに、柳生は心が騒ぐのを止めることができませんでした。 目の前には恋焦がれた王子様がいるのです。 平静でいられる訳がありません。 王子様はゆっくりと柳生の方へ近づいてきました。 想像していた以上にかっこいい王子様に、柳生はもう、 心臓の音が他人に聞こえてしまうのではないかと思ったほどでした。 王子様は柳生の目の前で立ち止まり、そして柳生の手を取り跪きました。 「・・俺と踊ってくれませんか?」 そうして手の平に、優しいキスを落とされました。 もちろん柳生は王子様と踊りたくて仕方がありません。 けれど、生まれてから一度も柳生はダンスをしたことがないのです。 もしこれから踊ったとしても、王子様に恥をかかせることになってしまいかねません。 柳生は心を決めて、小さく首を振りました。 「・・ダンスが、得意ではないのです」 すると、間をおかずにすぐに返事が返ってきました。 「俺が教えたる、じゃから・・!!」 王子様は柳生の手をぎゅっと握り、真っ直ぐな視線を向けました。 柳生は王子様の想いの強さに押されて、小さく頷きました。 すると王子様はほっとしたように笑みを零したのです。 それを見て柳生も安心して、ふわっと笑いました。 柳生はそれを、とても心地よい空間だと感じました。 それから王子様に手を引かれて、踊り始めました。 最初はゆったりした曲から、慣らすように踊りました。 王子様はエスコートがとても上手で、気づけば柳生も上手く踊れるようになっていました。 王子様と過ごす時間は夢のようでした。 何曲も一緒に戯れのように踊り、目を合わせて微笑みあって、 王子様の腕が柳生の体に触れるたびに、鼓動が跳ねました。 その間に何人も、他の人間が王子様にダンスを申し込んだのですが、 王子様は頑として柳生の側から離れようとしませんでした。 そんな楽しい時というものは大概にしてすぐに過ぎてしまうものなのです。 王子様と踊り、一息ついて時計を見た柳生は驚きました。 約束した12時まで、あと少しに迫っていたのです。 早くここを立ち去らなければ、柳生はこの場で、いつもの小汚い服を着た柳生に戻ってしまいます。 「・・王子様、私はそろそろここをお暇しなければなりません」 そう告げると、王子様は酷く驚いた顔をしました。 「なん・・? もう少しいてくれはしないのかのう?」 「・・ごめんなさい。もう帰らなくてはならないのです」 柳生の言葉に、王子様は酷く悲しげな顔をしました。 それを見て、柳生も思わず帰りたくないと思ってしまうほど、王子様と離れたくないと思ったのです。 けれど、帰らない訳にはいきません。 元々、叶うはずのない恋だったのです。 「・・俺は、お前さんを妻に迎えたいとおもっちょる。 それでもいってしまうんか?」 柳生は、それには答えずに微笑みました。 そうして、ふわりと、王子様の頬に羽のようなキスを落としました。 王子様が驚き、けれど慌てて柳生を抱き締めようと手を伸ばしました。 しかし柳生はその瞬間に、王子様の腕の中から抜け出しました。 ドアへと走り、先ほど歩いてきた絨毯の上を逆へと向かいます。 後ろで王子様の呼び止める声が聞こえましたが、柳生は後ろを振り向きもしませんでした。 けれど、一つ困った出来事が起こりました。 走っている間に、かけていた眼鏡を落としてしまったのです。 拾いに戻ろうかとも思ったのですが、そんなことをしている間に王子様に掴まってしまいます。 そのため柳生は眼鏡を拾うことないまま、馬車の止まっている城の前まで走り、急いで馬車に乗り込みました。 それから、お屋敷にたどりついた途端に12時の鐘が鳴り響きました。 柳生の着ていた服は元の服へと、馬車は鼠とかぼちゃへと変わってしまいました。 柳生は自分の部屋に戻り、窓からお城を眺めました。 叶うはずのない恋。 そう知ってはいたけれども、恋焦がれる相手の熱を近くに知ってしまえば、 それを忘れるということはなんと辛いことなのでしょう。 これからはいつもの生活、元の自分です。 お城での出来事は全て夢だったのだと、自分に言い聞かせるように、柳生は涙を流しました。 明日には全て忘れるのだと、そう言い聞かせながら全てを流すかのように泣いたのでした。 朝起きて鏡を見ると、泣きはらした顔はひどいものでした。 これでは旦那様や奥様に心配をかけてしまうと、柳生は必死でいつもの自分でいることに努めました。 柳生がいつもと変わらないように、お部屋のお掃除をしていると、 突然お屋敷がいつもと違う雰囲気に包まれました。 お部屋から旦那様や奥様が次々に玄関へと顔を出しました。 柳生はお屋敷の奥の部屋をお掃除していたため、その騒動に気づくのが遅れました。 けれど料理長のジャッカルさんが柳生を呼びに来て、事の重大さを知りました。 なんと、お屋敷にお城の王子様が来ているというのです。 柳生は心底驚きました。 もしかして昨日のことがばれたのかと思いましたが、昨日柳生は自分の名前すら言いませんでした。 だからばれるはずがないのです。 柳生は困りながらも、ジャッカルに腕を引かれて大広間に向かいました。 屋敷の大広間には、お屋敷に住む全ての人が集まっていました。 二人が揃うのを確認すると、お城の大臣が大きな声で話し始めました。 「王子様はこの眼鏡の持ち主を探しておられる。 この眼鏡にぴったり合った者を、王子様は妻に迎えるそうだ」 大臣の発言に、大広間に集まった人々がざわめきました。 誰もが妻という地位に色めきたったのです。 しかも、あの美形の王子様の妻なのです。 誰もが望むのは当然のことなのでしょう。 「一人残らず全員がこの眼鏡をかけることを義務とする。 それでは順番に眼鏡をかけていけ」 柳生は、このまま逃げてしまおうかと思いました。 自分の番が来て、昨日の自分が実はお屋敷の召使だったと知ったら、 王子様がどんな顔をなさるか分かりませんでした。 ひどく失望させる結果になってしまうかもしれません。 柳生はどこか逃げ出せる道はないかと辺りを見回しましたが、 部屋から抜け出せるような雰囲気ではありませんでした。 誰もが必死で自分がこの眼鏡の持ち主だと必死でアピールしますが、 王子様はつまらなそうにそれを見ているだけでした。 次第に柳生の番が回ってきます。 柳生は昨日のように心臓が早鐘のように打ち始めたのに気づきました。 ついに順番が柳生に回ってきました。 柳生はゆっくりと下を向きながら、王子様の前にある眼鏡に向かいました。 そうして王子様が柳生が昨日の人間だと気づかないようにと願いながら、 眼鏡をかけて顔を上げました。 すると。 強い力で腕を引かれ、柳生は頭の中が真っ白になりました。 片方の腕で手を引かれ、そして片方の腕で腰を捉えられました。 気が付いて恐る恐る瞼を開ければ、近くに酷く嬉しそうな顔をした王子様がいました。 「・・掴まえた」 強く、強く。 息が詰まりそうなほどの力で抱き締められて、柳生は王子様の想いの強さに胸がいっぱいになりました。 昨日逃げてしまったことが、酷く申し訳ないことのように思えたのです。 「・・今度は、逃がさん」 強い決意の篭った言葉に、柳生はただ王子様にぎゅっとしがみつくことしかできませんでした。 嬉しくて嬉しくて、自分がどうにかなってしまいそうでした。 「俺の嫁さんになってくれるな?」 王子様の問いかけに、柳生は顔を上げました。 そして真っ直ぐに王子様を見詰めました。 「・・はい、喜んで」 こうして。 王子様の仁王と、柳生は幸せに暮らしたそうです。 王子様の妻となった柳生がどんな生活を送ったかは、また次のお話。 |