新緑が芽吹く頃、今まで見えていた未来が変わる予感。 +シンセカイ 最初にあんなにも熱心にテニス部に誘ってきた真田は、 けれども共に体験入部をしている間、一言も話しかけてくることはなかった。 それに特に不満がある訳ではない。 寧ろ自分に下手な興味を持たれなくてよいと思う。 きっと真田は何処かの試合で柳を見、柳の力を買い被っていただけなのだろう。 いざ柳をテニス部に誘ってその力を見てみたら思っていたほどではなく、興味を無くしたというところだろうか。 そう推測を付けて柳は僅かに苦笑いを零した。 今の自分にはテニスをする大きな理由がない。 彼等と共に勝ちたい、だとか彼等と共にプレーがしたいという、 駆り立てられるような気持ちには全くならなかったのだ。 ただ。 未練はないと思っていたテニスというスポーツそれ自体に、僅かに未練があることに気付いた。 立海のテニス部に興味はない。 しかしテニス自体には、今となっては彼らとの唯一の繋がりであるテニスには少々の未練が残るのだ。 けれども、ただテニスに未練が残るだけでテニス部に入る必要性があるのだろうか。 ただテニスをするだけであれば街のスクールや、ストリートテニスで充分だ。 その方が、下手なしがらみも人間関係もない。 それにもう、柳を体験入部に引き入れた真田も、煩く引き止めたりはしないだろう。 ならば体験入部だけで止めようと、柳はふと顔を上げた。 今は体験入部の最中で、新一年生は自由に打ち合っている。 勿論正式に入部となれば初めは体力作りからなのだが、今は楽しく遊ぶというレベルで留まっている。 しかし遊びといえども立海テニス部に入ろうとしてくる者達なのだから皆レベルは高い。 今柳と打ち合っている、ひょろりとして眼鏡をかけている少年も中々の腕前であった。 また、向こうのコートで先輩たちと打ち合っている真田も、一目でテニスの腕は素晴らしいものだと分かる。 立海のテニス部に入って全国制覇をすると言っただけのことはある。 黙々とボールを打つ姿は全身でテニスが好きだと言っているかのようだった。 柳は一旦腕を止め、打ち合っている相手に話し掛けた。 「なあ、君?」 呼びかければ眼鏡の生徒は気付いてこちらに近づいてきた。 「何ですか?」 柳は近づいてくる生徒の体操着に書いてある名前を確認する。 どうやら彼は柳生比呂士というようだ。 「・・柳生、くん、君はあいつのことを知っているか?」 指で真田の方向を指すと、柳生もそちらを向いた。 そうして一つ頷くと眼鏡を上げる動作をする。 「ええ、存じております。 ・・君は真田くんのことを知らないのですか?」 そう問われて柳は一つ頷いた。そうして驚かずにはいられなかった。 真田を知らない方が驚かれてしまうほど有名な人間なのかと。 「真田君は神奈川県の小学生チャンピオンです。 もちろん全国にも行っています。 ・・柳君、貴方も確か全国に出場していましたよね? 覚えてはいないのですか?」 柳は思わず言葉に詰まらざるをえなかった。 確かに自分は全国大会に出ていた。 今日出会った柳生が、柳のことを知っていたことも驚いたが、 真田も全国に出ていたこと、そしてその人間の顔を自分が覚えていないことに驚いたのだ。 データ収集を得意とする自分が、だ。 柳は乾と全国大会に出場した。 確かにそういわれてみれば自分達が対戦をした相手の名前は詳細に思い出せる割に、 シングルスで出場していた選手は断片的にしか思い出すことが出来ない。 それほど自分のことで精一杯だったのだろうが、 それでもそんなにも周りを気にする事なく過ごしたなど今の自分には想像もつかなかった。 それほど。 側にいてくれた彼等に信頼をおいていたということなのだろう。 柳はまだ鮮やかに目に浮かぶ小学生時代の光景を思いだし、噛み締めるように小さく笑みを零した。 「どうかしましたか?」 柳生に不思議そうな視線を向けられて、柳は慌てて顔を上げる。 「何でもない。 さぁ、ラリーの続きをしよう」 そうしてコートに戻った柳生と柳は、再びラリーを始めた。 久し振りに握るラケットの感触。 けれどそれを忘れられるはずもなく、まるで手の一部であるかのように肌に馴染む。 その感触が嫌なものでは全くなく、寧ろ久し振りのボールの振動に心が躍った。 そんなときだった。 「危ない・・!!」 コートの外から聞こえてきたのは、まだ初々しさの残る男子学生の悲鳴にもつかない叫び声だった。 その声の方向を見た時には、既に時遅く。 眼前に飛んでくる、黄色いボールがあった。 ぶつかるまであとどれくらいだろう、と考える暇もなく。 柳は襲い来る衝撃に耐える為にぎゅっと瞼を閉じた。 すると、ボールが顔面に当たる衝撃ではなく、体がぐらりと揺れる感覚。 暖かい腕に掴まれて、引っ張られる衝撃。 何が起きたのか分からず、心の中でゆっくり三秒数えてから、瞼を開いた。 「・・大丈夫か?」 腰に巻きつく腕。 それはもちろん自分のものではなく。 後ろを振り向けば、驚いたことに、自分をテニス部に引っ張ってきた彼の姿があった。 「・・ああ、大丈夫だ」 頭の中が整理できず、他愛もない答えを返す。 真田が何故、自分を抱きかかえているのだろう。 「・・無事で何よりだ」 柳を抱えていた暖かい腕が、するりと外される。 そうして真田は柳よりも先に立ち上がると、すっと右手を差し出した。 そんな真田を、柳は一度も視線を外さずに見つめていた。 「・・ほら、立て。 いつまでもコートに座り込んでいるんじゃない」 どうしていいのか分からずに、柳は伸ばされている手を取った。 自分はか弱い女の子ではないのだから、一人で立てると気づいたのは、 その時の出来事を、家に帰ってから思い出した時だった。 けれど、自分は真田の手を取り、そのまま立ち上がった。 「・・すまない」 話し方がお互い、何処かぎこちない。 自分に失望したはずの真田は、もしかしたら自分なんかを助けたことを後悔しているのかもしれない。 僅かに俯きながら謝罪の言葉を口にする。 けれどそれに対する真田からの反応が何もなかった。 不思議になって顔を上げれば、僅かに眉をしかめた真田がいた。 「俺はお前を助けたかっただけだ。謝る必要はない」 やけにはっきりと告げられた言葉に、柳は驚いて目を瞠る。 堂々としたその態度に、真っ直ぐに向けられた視線が何だか少し子供じみていて。 今まであまり垣間見えなかった真田の一面に、思わず。 笑みが零れた。 「・・それは悪かったな。 俺は言う言葉を間違えた。 『有難う』、だ」 柳が笑顔でそう告げれば、真田は何故だか困ったように視線を泳がせた。 その理由は分からなかったが、けれど直ぐに真田が視線を戻したので、大して気にしなかった。 「・・どうだ、テニスをやる気にはなったか?」 「どうだろう」 正直なところ、ここでテニスをしなくてもいいと思っている。 そう告げれば、真田の表情が酷く曇った。 ここまで感情が素直に表情に出る人間だったのか、と新鮮な驚きを覚えた。 「駄目だ」 強い口調に柳が驚く。 「お前は立海のテニス部で、テニスをするんだ」 まるで懇願にも似たそれに、気圧されそうになる。 これほど誰かに強い感情を向けられたのは、どれくらいぶりであろうか。 本当は、テニスなんてもう一生しないと思った。 ――けれど引き止められた。 テニスができれば、部活に入らなくてもいいと思った。 ――自分を必要としてくれている人がいた。 「そうだな」 考える前に、口が言葉を紡いでいた。 「もう少し考えてみてもいいかもしれん」 そう答えれば、真田は何処か安心したように肩の力を抜いた。 立ち上がったとき、繋がれた手は、気づけばまだ繋いだままであった。 新緑の季節に、新しい生活の予兆。 |