(--間違いなく、お前の視線は俺だけを捉えた) +やっと、見つけた 新しい環境に馴染むことを進んでしなかったのは、 自分が残してきたあの温かい空間に未練があったからなのだろうと思う。 立海大附属中学に入学はしたが、自分はテニス部に入ろうなどとは微塵も思っていなかった。 それほど自分はテニスに固執している訳ではないと自覚していたし、 何よりもテニスをするのであれば、彼等がいなくては意味がない。 彼等がいたからこそ自分はテニスが出来たのだし、勝とうと思ったのだ。 彼等と離れるということ、則ちそれはテニスを辞めるということを意味しているのだ。 青学を去るということはそういうことなのだと自分でもよく理解していた。 入学式の日は、よく晴れた、桜の綺麗に咲き誇る日だった。 もちろん知り合いなど何処にもおらず、一人で校庭を桜の木を見上げながら歩いた。 こうして一人でいるのは何年振りだろう、と小さな感傷に浸る自分を叱咤するように前へと進んだ。 立海大附属中は中学からの私立校なので、新入生の殆どが一人で歩いていた。 もちろんその場で声をかけて新しい友人を作ることも可能だったのだが、 思い出すのは彼等のことばかりで、自分はまだ到底友人を作ろうという気になれなかった。 入学式が終わると校庭で一斉に部活動勧誘が始まった。 柳はまだ何部に入ろうかどうか決めかねていたのだが、 部活動に入ることが強制である学校なため、いくら興味がなくとも、 幾つかの部活は見ておいた方がいいだろうと、柳は校庭を歩くことにした。 しかしそこはまるで繁華街のように人が沢山おり、柳はその光景を見ただけでうんざりしてしまった。 一人踵を返し、人のいない校庭の端へ向かう。 そこには校庭で一番大きな桜があり、柳は思わずその木の荘厳さに目を瞠った。 晴れた空に輝く桃色に視線を動かすことが出来なかった。 見たこともない美しさに心動かされながらも、その綺麗さにどこかで懐かしさを感じていた。 優しい温かさが、彼らにそっくりだと思ったのだ。 柳は思わず小さく苦笑いを零す。 そう思ってしまった自分は何よりも過去に縋っている。 自分から抜け出してきたのに、決心をしてきたはずであるのに、この体たらくはどうだろうか。 知らない土地で一人、ただ咲き誇る綺麗な桜を見上げながら、一人。 嗤った。 その時だった。 ひらりひらりと舞い落ちる桜の花びらが柳の目の前を掠める。 思わずそれを手に掴むと、 さあっと。 一陣の風が吹いた。 思わず顔を伏せその風をやり過ごし顔を上げると、驚いたことに近くに人が立っていることに気づいた。 あまりに唐突な出来事に、柳は思わずじっと彼を眺めてしまった。 胸に自分と同じリボンがついているから、彼はきっと一年生なのであろう。 まだ新しい制服に身を包んだ彼は、何故だか真っ直ぐに柳だけを見つめていた。 知り合いかとも思ったが、自分の記憶の中に彼の姿はない。 もしかしたら同じクラスの生徒なのかもしれないと思ったとき、彼は唐突に口を開いたのだ。 「・・お前、立海に来たのか?」 その言葉に柳は戸惑う。 どうやら相手は自分のことを知っている人間であるようだ。 柳が言葉に詰まっていると、真っ直ぐに柳だけを見ていた彼がこちらに近づいてきた。 そうして彼は突然柳の腕を掴んだのだ。 「立海に来たということはテニス部に入るんだろう?」 彼は柳の手を引き、ずかずかと歩きはじめた。 急な展開についていくことができず、されるがままになっていたのだが、 彼は自分をどうやらテニス部へと連れていくらしい。 けれども、それはどうしても止めなくてはならないと思った。 ・・自分は再びテニス部に戻ることはないのだから。 「何を勘違いしているか分からないが、俺はテニス部には入らない」 その言葉に彼は突然立ち止まり、これ以上ないというほど驚いた顔で振り返った。 「何だと・・?」 信じられない、という感情と共に何故だか酷く傷ついたような顔をした彼に、 訳も分からず自分まで心が痛くなった。 彼は見ず知らずの人間であるはずなのに、まるで自分の心を表しているかのように思えたからだ。 しばらく、無言のまま見つめあった。 お互いに何を言えばよいのか分からなかった。 静寂を破ったのは、またもや彼の方だった。 「・・相方はどうした?」 それを聞き、彼は柳をテニスをしている人間だと知っているということ、 そして柳がダブルスで主に戦っていたとを知っているのだと悟った。 しかしそれよりも唐突に聞かれた友人のことに、柳の思考は停止した。 「・・彼等は青学に残った」 紡ぐことが出来たのはそんな言葉だけだった。 真っ直ぐに向けられる彼の視線が痛くて、思わず顔を背けて俯く。 彼等と、あの親友たちといた頃に向けられたのならば誇らしかったであろうある種の期待の視線は、 全てを残して去ってきた自分には酷く痛いものだった。 腕は今だ掴まれたまま、伝わる熱がただ責めるように熱かった。 彼は不意に柳の腕を掴んだまま歩き出した。 柳はただ展開についていけず、引きずられるように彼の後を歩いた。 「今からでも遅くはない。 立海テニス部はどんな部か知っているか? 全国制覇へ一番近い部だ。 俺はテニス部に入って全国制覇をする」 寡黙そうな彼が突然せきを切ったように話し始め、柳は気圧されるようにその話を聞いた。 「俺はお前がどういう理由で立海に来たのかは知らない。 けれど俺はここでお前を見つけたときに、」 お前とならば共に全国制覇が出来ると思ったんだ。 そう、言われて。 柳の横を、さあっと再び一陣の風が吹き抜けた。 初めて会った彼に、親友たちに似た懐かしさを感じてしまったのは何故だろうか。 まるで昔から知っている友人であるかのように向けられる信頼感。 どうして彼が自分のことをそこまで買いかぶっているのかは知らないが、 けれども自分のことだけを真っ直ぐ見つめる瞳の何処にも、 嘘偽りはないのだと感じた。 「とりあえず体験入部がある。 それからテニス部に入るか入らないか決めても遅くはないだろう」 そうして。 彼は柳の手を引き、テニス部まで連れていき、 体験入部希望者の欄に彼の名前と柳の名前を書き込んでしまったのだった。 彼の名前は真田弦一郎といった。 それが自分と彼との初めての出会いだった。 |