幸せを。

望むならば君に、この世で一番の幸せを。





+ a beautiful day





うっすらと、浅く柔らかいまどろみの中で漂っていた意識が、

ひどく心地よい浮遊感とともに浮き上がってくる。

僅かに開いた瞼の隙間から白く穏やかな光が入り込んできて、佐藤は思わず再び目を閉じる。

瞼の裏に差し込む光に朝が来たことを知り、手を翳しながら再び目を開ければ、

窓の外に眩いばかりの太陽が輝いていた。

何故カーテンが開いているのだろうかと不思議に思ったが、

ふと昨夜のことを思い返してみたら何てことはない。

家に帰ってきて、そのまま。

二人で雪崩れ込むようにベッドに倒れこんで、

貪るように互いを求めた。

だからカーテンなど引いている暇もなく。

そんなに余裕がなかったのかと、思い出しては少し苦笑いを浮かべてしまう。


自分たちは子供の恋愛をしている訳ではなく、けれども体の付き合いがあるからといって、

賢い駆け引きを持って恋をするほど大人でもなかった。

ただいつも、お互いの求めるがままに、深い愛情の中に落ちる。


佐藤はそのまま上体を起こした。

そうして隣で眠っている恋人の姿を眺める。

そういえば自分が不破より起きるのなど珍しい、と。

不破の寝顔を見ながらそう思った。

いつもは叩いても起きない佐藤のために、不破が朝食を用意してくれている。

昔はお菓子のような栄養食品を朝食だと言って佐藤に出したものなのだが、

佐藤がそれは朝食ではないと言ってからはちゃんとご飯を炊き、味噌汁を作るようになった。

不破は元々教えれば何でもできる人間であるので、味も佐藤好みであった。

そんな不破がまだ眠っている。

自分の方が早く起きてしまったという珍しさに時計を見れば、まだ6時前。

それでは不破もまだ起きないであろう。


佐藤は折角早起きをしたのだからと、珍しい不破の寝顔を観察することにした。

起きていれば何でも見通すかのような鋭い顔を見せる不破も、

目を閉じればただの少年であった。

あの鋭い視線がないからであろうか、横たわって眠る姿は、まるで犬のようだった。

佐藤は思わず柔らかい笑みを零しながら、悪戯に不破の黒髪を指で梳く。

柔らかい髪質はやはり犬のようで、けれどもそれを本人に言ったら、

少し困ったかのような顔をするに違いないと思った。


不破の黒髪を指に絡めるようにして遊んで、優しく頭を撫でる。

しかし不破は起きる気配がない。

時間通りに起きるくせに、眠っているときは結構ぐっすりと眠っていて。

これじゃ地震が来ても逃げられないじゃないかと、

佐藤は未だ起きない不破の髪の毛を引っ張りながら思った。


すやすやと。

未だ眠る不破の顔を見て、次第に佐藤は何か言いようもない気持ちになってくる。

不破は、ただ眠っているだけなのだけれども。

こんなにちょっかいをかけても全く起きる気配はなくって。

何故だか放っておかれたような気がするのだ。


「・・おい、不破。いいかげん起きんか」


拗ねたような口調で言っても、聞こえるのは規則正しい寝息だけ。

流石に。

少し淋しくなって。

佐藤は布団の中にもぐりこんで、ぴたりと体を不破に寄せる。

そうして不破に軽いキスをおとした。



すると。



ぎゅっと強い力で体を抱きしめられとともに、離そうとした唇は捕らえられ、

逃げ場がないくらい深くくちづけられる。

離さないように、と体ごと抱き締められ、もう片方の手で後頭部を押さえられた。

舌を絡められ、余すところなくくちづけられる。

朝のキスにしては随分と濃厚なそれに、抵抗する暇さえ与えられず。

けれども望んでいた不破の熱に、佐藤もいつしかその熱を追いかけていた。

息苦しくて唇を離す。

すると、いつの間にか不破を見上げる体勢。

見上げる視界はぼやけていて、上がる呼吸に僅かに胸が上下する。

佐藤の上にいる不破はもちろん服など着てはおらず、

同じように僅かに上下する胸郭が酷く扇情的だった。


「・・狸寝入りかいな」


不意の出来事に対応できなかった自分が悔しくて、思わず不破に八つ当たりしてしまう。

不破を一つ睨みつけて、ふいっと視線を逸らす。


「そんなことはない」


すると不破は少し困ったように、けれどもいつも通りはっきりとした声で言った。


「お前の手が気持ちよくて起きられなかった」


恥ずかしいことをやけにさらっと言う不破に、佐藤は一瞬言葉に詰まる。

不破のこういう正確は今に始まったことではないが、それでも未だ慣れない。

もう結構長いこと不破とともにいるが、やはりまだ慣れないことの方が多い。

いい加減。

プラトニックな関係じゃなくなったのにも関らず、こんな風に不意打ちに求められると、

言葉だけでも心臓が高鳴る。

触れられただけでも体中の血が沸騰しそうになる。

瞳を覗き込まれれば、心ごと全て奪われるような気がして。

もういい加減、慣れてもよさそうなものなのだが、

長くともにいればいるほど、心の震えは大きくなるような気がする。


日を負うごとに、月を負うごとに。

深く愛してしまっているのだ、彼を。

もう逃げる隙間などないくらいに。


「・・やっぱり狸寝入りやないか」


自分ばかりが不破のことを好きなようで、そんな理由もない理不尽さを覚え、

佐藤はただ拗ねて不破に背を向けて枕に顔を埋める。


「・・悪かった。機嫌を直せ」


やはり少し困ったような不破にそう言われる。

そうして優しい手つきで頬に触れられ、不破の方を向かされる。

再び降ってきた柔らかい口づけに、佐藤は静かに目を閉じる。

今度こそ朝の挨拶のための軽いキスで、唇に優しく触れて離れていく。


いつからこんなキスができるようになったのだろう。

付き合い始めた頃の不破は手加減するということを知らずに、

自分の衝動を隠すということを知らずに、

まるで焦れて待ちきれないという風に佐藤に腕を伸ばしてきたのに。

いつから、佐藤に優しく触れるキスを覚えたのだろう。

ぼんやりとそんなことを思っていると、不意に不破が佐藤の上から移動し、

ベッド近くに置いてあるサイドボードの中から小さな箱を取り出した。


「・・不破?」


不思議に思って不破に問い掛ければ、不破はその箱を持って佐藤の横へとやってきた。

佐藤は上体を起こし、座る不破と向かい合わせになった。

その小さな箱には見覚えがなく、しかも不破がこんなことをするのは初めてで、

佐藤はただ目の前の不破と不破の手の中にある小さな箱を交互に見つめて首を傾げた。


「これをお前にやる」


なんて、何の前振りもなく差し出された箱を見つめ、佐藤は再び首を傾げた。


「これ何やの?」


不破の手の中にあるものを指差しながら、佐藤は不破に尋ねる。

いつも不破の行動は不可解だが、今日のこの行動の意図もまた分からなかった。

すると不破は手にしていた小さな箱の包みを自ら開けた。


そこには。


どこかで見たことのあるケース。

手のひらに乗る、小さな宝箱のような外観をしたそれは、まさしく――。


不破はその箱を開け、大きな不破の掌の上に、小さなシルバーのリングを置いた。



「嫌なら受け取らなくてもいい。

 だが、もしお前がいいなら受け取ってほしい」



と、手のひらに乗せて差し出された指輪を見て、佐藤はしばし呆然とそれを見つめた。

シルバーのそれは決して安いものには見えず、

金銭感覚のない不破が買ってくるものなのだから、

きっと酷く高価なものなのだと簡単に予想がついた。

それを何故、今ここで。



「不破・・どうしてこれをくれるんや?」



そう尋ねたら、今度は不破の方が酷く不思議そうな顔をした。



「今日は佐藤の誕生日なのだろう?」



そこで佐藤は初めて気がついた。

今日が7月8日だったということを。

誕生日なんて、祝ってくれる家族もいなかったから。

記憶の底からすっかり忘れ去られていたのだ。



「佐藤の誕生日に、これを渡そうと思っていた」

 

不破の掌に乗った指輪は、キラキラと朝日に反射して美しく輝いている。


「不破・・」


小さな声で不破の名を呼んだ。

それが佐藤にできる、最大限のことであった。


「・・お前が嵌めてや」


そう言って、佐藤は静かに不破の前に左手を差し出した。

不破は僅かに驚いてみせたけれども、次の瞬間にはシルバーの指輪を手に取り、

そうして。

佐藤の左手の薬指に指輪を嵌めてくれた。


「・・おおきに」


呟いた言葉は酷く掠れた。

こんなに。

こんなに幸せな誕生日は生まれて初めてで。

起きてすぐ側に愛しい人がいてくれたこと。

朝の光が柔らかかったこと。

抱き締められた腕が酷く優しくて、包みこんでくれる熱は穏やかだった。

そうして。

自分が生まれた朝に、自分を好きだと愛しい人が言ってくれる。

これ以上幸せなことがあるだろうか。


幸せで仕方がないのに。


佐藤は。

何故だか泣きたくて仕方がなかった。



「・・幸せすぎて泣くこともあるんやなぁ・・」



掠れる声でそう呟いて、左手に嵌められたシルバーの指輪を見る。

彼の手で嵌められたそれはただ綺麗に銀色に輝いていて、

そっと佐藤が触れれば、先ほどまで触れていた不破の熱が伝わってくるようだった。


顔は上げられなかった。

みっともない姿を見られたくはなかったから、俯いたまま静かに涙を流す。

不破は何も言わなかった。

ただ、優しくその腕で抱き締めてくれるだけであった。

その優しさが酷く心地よく。

不破にしがみつくように抱きつけば、

耳元で大好きな不破の声で、

とてもとても素敵な言葉を告げられた。












いつも思っている。

お前と二人、ずっといられたらいい、と。















「誕生日おめでとう」


告げられた言葉に、佐藤はこれ以上ないくらい綺麗な笑顔で笑ってみせた。








Happy Birthday 佐藤成樹!