+Crazy for you









恋は即効性の毒のよう。


すごい速さで体の中を駆け回り、相手のことしか考えられなくなる。


愛しくて、相手のことしか考えられなくなって。


けれども。


それでも、いい、と、思えるのは。


確かなる、恋という名の毒の症状。
















圧倒的な存在感。


こうして目の前に立っていて足元から崩れ落ちていきそうな程、

彼を纏う大きな力に圧倒されてしまう。

顔を上げるのがやっとで、自分がどうやって立っていたのかも分からなかった。

少しでも気を抜けば飲み込まれてしまいそう。

押しつぶされてしまいそうなくらいの圧倒と、

何もかもを飲み込んでしまいそうな強さに、

ただ自分はいつもの作り笑顔を浮かべることしかできなかった。


いや、笑顔を作れただけましなのだろうか。


どうして他の奴らはこいつの前に立っていて平気なのか、不思議でたまらなかった。

そいつは佐藤の前へやってきて、真っ直ぐに自分を見つめた。

どこにも不純なものは混ざっていない目で、自分の中を全て見通してしまうかのように。

目を合わせることなどできずに、その存在感の強さを一身に感じた。

相手の肩口の印象がやけに強く、

後から思い返せばきっとそこだけを一心不乱に見つめていたのだろうと容易に想像がついた。


目の前でやけに心地よい声を発した人物は、こう佐藤に言った。


『・・お前、名前は?』


問われて、少しの間何もない空間をただひたすらに眺めていた。

頭の回路が切れてしまったかのように、その問いを認識するまでに長い時間を要した。


佐藤は頭の中でその問いを繰り返す。


自分の、名前、は。


やっと相手の問いを認識した佐藤は、少しだけ視線をずらして、

それでも目を見ることなどできなかったから、口元の辺りを見て視線をごまかした。


『佐藤や。佐藤成樹。』


言ってから、何とも当たり前なことを返したのだと我に返る。

よろしく、だとか、初めまして、だとか。

他に言うべきことはたくさんあったはずなのに、

脳がそういう命令を発する気配はなかった。

いつものように、『シゲって呼んでや』と笑いかけて、

肩にぽんと手を置けば全てが終わったはずなのに。

いつから自分は問われたことしか返さない鳥のようになってしまったのだろうか。


佐藤の答えに、少し目の鋭い人物は顎に手を当てて、言われたことを繰り返した。


『サトウ・・というのか』


視線を向けていた口から自分の名が発せられるのを、佐藤は不思議な気分で見ていた。

耳から入った心地よい声は体の中を通りぬけて、怠慢に仕事を行う脳へとたどり着く。

言葉を頭の奥で認識すると突然、体の中の細胞全てが震える感覚に襲われた。

腕の先から、足の内側まで、ぞくりと覚えのない感触が走る。

こんな感覚を今まで味わったことがなく、どうしていいのか分からなかった。

まだ体の奥底で痺れる感覚を抑えようと、佐藤は小さく目を閉じる。

体の中の血液の流れるざぁあという音がやけに耳に響いて、

何故だか耳の端が熱くなってくる。


『どうした?』


問われて瞬間的に視線を上げて、その瞳を見つめてしまった。


不思議そうに佐藤を見つめる瞳の中に、心配そうな色を見つけて少し慌てた。

今ここでこの人物に不審に思われてはいけない。

考えをやめた脳の代わりに体が瞬間的に動いて、

しっかりと崩れないほどの笑みを浮かべた。


『いや・・なんでもないねん』


『そうか・・』


佐藤は内心ほっと息をついた。

ここまでくれば後は自分のペースに持っていくことができる。

このまま笑って、いつもの通りに一言二言ジョークを交えて話してみせてそれで終わり。

あとは何も変わることのないいつもの日常が待ってるだけだ。


『・・俺は・・』


言葉を紡ごうとするとそれはすぐに相手によって遮られた。

それは不意の出来事すぎて、自分でも素早く認識することなどできなくて。

佐藤はただ掴まれた腕をじっと見つめた。

確かに自分の腕は目の前の人物に掴まれている。

しかしどうして相手がそんなことをしたのかとか、そしてその後どうするつもりなのかとか、

全く考えもつかずにただ相手の顔を見つめ続けた。

そんな自分は相当間抜けな顔をしていたに違いない。

もしかしたら短かったかもしれないが、その時間が佐藤にはひどく長く感じられた。

佐藤が相手の黒目がちな瞳を見つめている間、相手も自分のことを一心に見つめていて、

動くこともできなかった。


呼吸が止まる。


そんな空間の中で声も発することができない。

初めにその空間を破ったのは彼だった。


『・・そうか。なるほどな』


一人納得したような声に、佐藤は不安げに首を傾げた。

気にしないようにしてはいたが、掴まれている腕がじくじくと熱い。

まるでそこが発熱しているように、その熱は腕から次第に体へと広がっていこうとする。


『・・不破?』


彼にとってはこの行動は意味のあることで、その解答が彼の頭の中で出たようだ。

けれど佐藤にとっては訳のわからない行動に過ぎない。


『ああ』


軽い不破の返事とともに、突然佐藤の目の前が真っ暗になった。

不破の暖かい腕の中に抱きこまれているということを認識するまでに、

ゆっくり数えて3秒はかかっただろう。


言葉も発せずにただ呆然となされるままになっている佐藤の首筋に、柔らかい感触が降り降りた。

ぞくんと、触れられた途端に体中が熱くなるのを感る。

さっきまでは触れられていた腕だけだった熱が、勢いよく体の中を駆け回る。

首筋には不破の顔があって、

触れられたものの正体を知って佐藤は頭の中が真っ白になる。


あまりに突然すぎて、頭が現実についていけない。


『やはりな。思ったとおりだ』


不破の言葉が無防備な体の中にひとつひとつ染み込んでいく。

脳の中でその単語の一つずつを認識して、再び全身に熱が走る。


『最初に見たときからお前は甘そうだと思っていた』


そう言われて不破は再び佐藤の首筋に唇を寄せる。


『お前が『サトウ』だと聞いて、やはりと思った。・・そしてやはりお前は甘い』


不破は抱きしめていた腕を少し緩めて、佐藤と視線が重なるところまで顔を近づけた。

佐藤は魅入られるように不破の瞳を見つめていた。

まるで吸い寄せられるようにその目だけに惹かれていて、声も出なかった。


不破はちろりと舌を出し、今まで佐藤の首筋に触れていた唇を舐めた。


ぞくり、と体の中に走る熱。


それを感じながら、そっと不破の頬に手を伸ばした。


きっと、不破の唇も甘いのだろう。


ほとんど衝動のように不破の唇にキスをする。

舌で唇をなぞって、軽く触れ合わせる。

唇との間を割って不破の舌が入ってくる。

それに自らの舌を絡め合わせて、貪るようにそのキスに応えた。













不破の唇は思ったとおりに甘かった。












佐藤は縋るように不破の上着をそっと掴んで、その続きを強請った。