+だって好きなんだ。






朝、起きると。

そこにはいつもとは違う光景があって。

いつもは寝起きのよくない三上も、一度で目を覚ましてしまった。


ぱちり、ぱちりと。

二度ほど瞬きを繰り返して、その状況が夢でないことを確認する。

そうして、どうも目の錯覚でも夢でもないということを理解すると、

どうしてこんなことになってしまったのかという理由を考え出した。


――いや、理由など考えなくてもアイツのせいだと思うのだが。


三上は寝起きの頭でそこまで考えを至らせると、

さわやかな朝には似つかわしくない深い溜息を落としたのだった。


いつぞやアイツに、幸せが逃げるから溜息はやめろと言われたことがあるのだが、

その原因を作っているのがその張本人であるのだから、

そんなに三上の幸せを願ってくれるのならば、

こういうことをやめてほしいと切実に願わずにはいられなかった。


三上は顔を上げて、隣のベッドで寝ているだろう人を見た。

しかしそこに人は寝ていず。

不思議に思って部屋の中を見回すと、意外と近くに探していた人物の顔があって、

三上は呆れざるを得なかった。


「・・何してんだよ、お前」


「おはよう、三上」


にこにこと、まるで悪意のない笑みを浮かべて、渋沢は三上の顔を覗き込んだ。

渋沢はベッドにはいず、どこにいたのかといえば、三上のベッドに座っていたのだった。


「俺は何してんだよって聞いてるんだよ!」


ちょっと語気荒く問い詰めてみたのだけれども、返ってきたのはいつもと変わらぬ渋沢の笑顔。


「三上こそ、おはようの返事はないのか?」


言われて思わず脱力しかけたが、ここで渋沢のペースに持っていかれれば、

この状況を有耶無耶にされかねない。

三上は僅かに頭痛のし始めた頭に眉を顰めながら、渋沢と視線を合わせる。


「・・はよ」


挨拶を返せば、渋沢はこれ以上ないという風な極上の笑みを浮かべた。


「おはよう」


渋沢は、寮で同室になったときから、こういうことにはひどく煩かった。

挨拶は基本だと、しつこく自分にも挨拶をするように、あの笑顔とともに迫ってきた。

最初は意地もあって挨拶などしなかったのだが、

渋沢の情熱と(しつこさとも言う。)優しさに負けて、

いつしか三上も部屋の中で渋沢に挨拶をするようになったのだった。


渋沢におはようと言ったのは自分であるのに、

ひどく嬉しそうに自分を見つめる渋沢の視線が耐えられなくて視線を落とすと、

当然のように渋沢の指が三上の髪をなぞった。

柔らかいその感触に安堵しながらも、

そういえばこの状況について聞き出せてはいなかったと、

三上はその渋沢の指を手で払い落とした。


すると途端に渋沢の表情が悲しそうに曇ったが、

三上はとりあえずそれは視界に入れないことに決めた。


「そういえばこの状況は何なんだよ!」


噛み付くように尋ねれば、

まるで何も変わったことなどないだろうと言わんばかりの渋沢の表情。


「何とは?」


「だからこの俺の周りに置いてある大量の花は何だって聞いてるんだよ」


早口にまくし立てて、指で三上の周りの花を指差した。

そうなのだ。

朝、香しい花のにおいに誘われて目が覚めて。

一体、何が起きたのだろうと。

目を開けてみれば、三上はたくさんの美しい花々に囲まれていたのだ。

さすがにその状況にはひどく驚かざるを得なかった。


「ああ、昨日のうちに花屋さんに頼んでおいてね。朝早く起きて取りにいったんだ」


渋沢はまるでなんでもないことであるかのように、

人当たりのよさそうな柔らかい笑みを浮かべながら言った。

そうして再び三上の髪に触れようとするのだが、

しかし三上はまだちゃんとした答えは得られていないと、手を叩き落とす。

途端に渋沢の顔も再び曇る。


「冷たいぞ三上」


「お前が訳分かんねぇことするからだろ!」


渋沢という人間は優等生であるのだが、どんな行動をするのか全く読めないところがある。

ただ優等生のフリをしているだけなのであって、

実は真面目かと問われればそうではないと答えざるを得ないだろう。



朝、早く花を取りにいったと渋沢は言った。

寮の玄関は朝早くから開いているはずもなく。

ということは必然的に、

渋沢は寮生の夜間通用口と言われる大浴場の窓から出ていったということだろう。

・・やはり優等生でも何でもない。


睨みつけるように渋沢を見上げれば、

分かっているのかいないのか、渋沢は三上にニコリと笑みを返した。

そんな武蔵森のキャプテンに、三上は再び深い溜息をつく。


「男の俺が花になんて囲まれて寝て嬉しいと思ってんのかよ・・」


三上はベッドから上体を起こし、自分を埋め尽くす数々の花に視線を向ける。

きっとそんなに安い花ではないのだろうと、

あまり詳しくない三上にも分かるほど、花々は美しい色と香しいにおいを有していた。

三上は花を一つ手に取り、その花びらに指先で触れる。

柔らかいその感触と、鮮やかな桃色の花弁に、目を奪われる。

渋沢は、この花束を早朝にどんな顔をして持ってかえってきたのだろうと。

想像をしたら何だか自然と笑みが零れた。

その時。

不意に、渋沢が花を持った三上の腕を優しく掴む。

驚いて顔を上げれば、柔らかく、けれども心の中まで射すくめられるかのような渋沢の顔。


「絶対三上に似合うと思ったんだ」


そう言って渋沢は、自然の流れで三上の指先に口づけた。

驚いて渋沢を見つけると、交わった視線のまま静かに口づけられる。

ひどく緩やかな動作で行われたそれは、

止めようと思えば止められる行為であったのだけれども。

余りに時間の流れに逆らわない柔らかい行為に、三上は渋沢に包まれるようにそこにいた。


「花の中で眠る三上は、やっぱり綺麗だったよ」


と。

恥ずかしげもなく渋沢は三上に告げる。

あまりの恥ずかしさに声も出ず。

思わず顔を背けようとするのだが、それを許さないと渋沢の口づけが降ってくる。


色とりどりの花々と。

足に触れる柔らかい布団の感触。

手の中の一本の花と。

そして、唇に触れる渋沢の熱。

思わずこんな朝もたまにはいいかもしれないと思ってしまったのは、絶対に内緒だ。

口づけを解いて、三上は思わず時計を見る。

朝食の時間になれば、必然的に藤代と笠井が部屋に押しかけてくる。

しかしそんな心配は無用だったようで。

いつもの起床時間よりもずっと早いそれに、渋沢の作為を感じずにはいられなかった。


「・・何でお前こんなことしたんだ?」


と、最初から不思議だったことを尋ねた。

蕩けんばかりの笑みを湛えた渋沢は、三上を手放そうとはせず。

反対にきつく三上を抱き寄せ、そして腕の中の三上に幸せそうに笑みを零してみせたのだ。



「だって今日は1月10日だろ?俺と三上の日だと思ってね」




・・聞かなければよかった、と。

三上は思わず項垂れながら、目の前でひどく嬉しそうに笑う渋沢を見て、

本日三回目の溜息をついたのだった。