不破大地23才。

大学を卒業後、就職難の中、はとこの黒須京介の経営する幼稚園に無事就職をする。

都心の中にポツリと突然現れた森のような園内で今日も、

不破は園児たちと歌ったり遊んだりと大忙しだ。

今回はそんな幼稚園の先生が、恋をしてしまうお話。




+愛情、黒須幼稚園・1+




朝はもちろん愛する園児たちの送り迎えから始まる。

通園バスに乗り込み、園から遠い家の子供たちから順に迎えにいく。

母親は我が子を笑って送り出し、子供たちは不安そうにその母の表情を見つめる。

不破はそんな子供たちの手を取り、朝の挨拶を交わし。

不安感が拭えたところでバスへと乗せる。

母親たちの『よろしくお願いします』の声と、その中に混じる黄色い声に軽く頭を下げ、

バスは幼稚園へと向かっていく。



朝の幼稚園はもちろん挨拶とお歌から始まる。

『おはよーございます!』という子供たちの声を聞き、

朝のお歌はもちろん不破が自らエレクトーンによる伴奏を行う。

昔から楽器が弾ける訳ではなかったが、

園に入ってからすぐに子供たちが歌う簡単なものは覚えてしまった。


一通りのことが終われば、園児たちのお仕事というのは社会勉強の一環という名の、

遊びの時間で。

都会の狭い空間の中、それでも子供たちには広いであろう庭の中で

彼等はひどく楽しそうに遊ぶ。

不破の受け持っているクラスはさくら組で、彼らは皆同じ、ピンク色の名札を胸につけている。

その名札など見なくても

不破には自分のクラスの子供たちが何処にいるかなんて分かりきっているので、

辺りを見回し彼らの行動に変わりがないことを確認したのちに、

目の前の、不破に遊んでくれと懐いてきた子供に意識を向ける。


彼の名前は渋沢誠二といい、さくら組で一番元気で明るいムードメーカーである。

そんな彼が最近不破に懐くようになったのには訳がある。

彼はどうやらサッカー選手に憧れているらしく、

不破が昔サッカーをしていたのだと言ったらひどく喜んだのだ。

そうしてサッカーボールを持ち出し、相手をしろとせがんできたのである。

もちろん不破もそれを無下に断ることもできず。

しかしそれでも不破は自分の性分上ゴールキーパーしかできそうもなかったので、

園児用の小さなゴールの前で誠二の蹴るボールを受け止めては返してやり、

2回に1回つまりは半分くらいはわざとゴールをさせてやり、今日も楽しく遊んでいる。


しかし、と大地は思う。

誠二は時々ゴールキーパー経験者の不破も驚くようなシュートを打つ。

もしかしたら彼はこの先すごい選手になるのではないかと思ってしまうのは、

親心にも似たものだろうか。






そんな日の午後、その日の日課も終わり、生徒たちは帰りの支度を始める。

『せんせいさよーなら、みなさんさよーなら』という挨拶を交わし、園から遠い子はバスへ、

近い子はお母さんたちが優しく迎えにくる。

不破は帰りは徒歩組の担当のため、

教室に残った子供たちを、親たちが迎えにくるまで面倒を見、

そして迎えにきた親たちに無事子供たちを送り出すのだ。



今日もクラスの子供たちはあらかた帰り終わり、そろそろ仕事も終わろうかという頃、

いつもとは違う光景に気付いた。

庭の隅に一人、ぽつんと座りこんでいる子供がいた。

不破が不思議に思って近づいていくと、それはなんと誠二であった。

そういえばと記憶を巡らせてみれば、

今日、まだ誠二の母は迎えに来ていなかったことに気付く。

誠二の母はいつも2時頃にはやってくる。

しかし今はもう3時。

とっくに迎えにきてもよい時間だ。

子供の誠二が不安に思うのは当たり前のことであろう。

それに。

頭のよい誠二は、自分の母が身篭っているということをちゃんと理解している。

だからこそさらに、迎えにこない母が心配でならないのだろう。

不破は誠二に近づくと、その隣に静かに腰を下ろした。

気づいた誠二が不破を見るのだが、再び視線を下げ、何も言おうとはしない。

誠二にしては珍しいことであった。

そんな誠二に、不破もただ何も言わず。

誠二の肩に手を置き、誠二の母が来るのを待った。



それからどれくらいそこにいたのだろうか。

正確な時間は覚えてはいないが、時計はもう4時を指していた頃。

園へと入ってくる一人の姿があった。

しかしそれは誠二の母ではなく。

不破は落胆にも似た気持ちで誠二を見たのだが、

しかしそれとは逆に、誠二はその人物を視界に入れた途端、

水を得た魚のように瞳を輝かせた。


「シゲちゃん!」


誠二が勢いよく立ち上がり、やってきた人物の元へ走り寄っていく。

その姿を見て、不破も慌てて立ち上がる。

誠二を迎えにきた人物は駆け寄ってきた誠二の頭を撫でると、

小さなその手を取り不破の元へと近づいてきたので、不破はいつも通りに頭を下げた。


「あんたが不破センセ?」


彼は柔らかなイントネーションの言葉を話した。

その声音は砂糖菓子のように、甘い。

不破は、珍しいほど綺麗な金色の彼に微笑まれて、慌てて返事をする。


「ああ、そうだが・・」


僅かに戸惑うような不破に、彼は口元に軽やかな笑みを浮かべる。

綺麗だ、と素直に思った。


「こいつの母親が体調悪くして迎えにこられへんようになってしもうたやさかい・・」


そこまで彼が言うと誠二が表情を曇らせたことに気付く。

彼はそんな誠二に気付いたのか、誠二の頭を撫で、優しく微笑む。


「少し体調悪いだけで大したことはあらへんのやけどな。

自分が迎えに行くって無理言うてたくらいやし」


不破はそれを聞いてひとつ頷く。

誠二も先程より安心したようであった。


「お大事にと伝えておいてくれ」


身篭っている誠二の母にとっては今が一番大切なときに違いない。


「おおきに」




そう、彼が不破だけに笑う姿を見、心が跳ねる。

まるで体中の水分が沸騰しそうなような。

そんな、感覚。




「じゃあ不破センセ、俺また明日迎えに来るかもしれないさかい、よろしゅうたのんますわ」


誠二の頭を撫でながら彼はそう言う。

思わず見取れていた自分に気がついて不破も慌てて頭を下げる。

そんな不破を見て、彼は満足そうに笑顔を浮かべると、促すように手を取る。

そうして、不破に背を向ける。




彼の、甘く溶けそうなほど綺麗な金髪が、風に揺れ、日の光に透ける。

ふわり、と。

不破の体に、今まで感じたことのないような熱が走る。

思わず。

思わず、彼を。

引き止めていた。




「おい・・」




呼び止められた彼は少しだけ驚いたような表情をしたのだけれども、

わざわざ立ち止まって、視線まで合わせてくれた。

その、真っ直ぐな視線が、更に不破を、甘い熱へと追い立てる。




「名は・・お前の名前は?」




ふと、口にしていた言葉はそんな言葉で。

後にして思えば、自分は随分必死だったのだろうと思う。




「佐藤成樹」




彼はそれだけを口にして、そうして。

やはり、見ている人の全てを幸せにしてくれそうな笑顔で、笑ったのだ。

不破は、その笑顔に何も言えずにいると、

突然、佐藤は不破の右手を掴んだ。




「よろしゅうな」




それは瞬きするほどの一瞬の出来事で。

不破は何が起こったのか分からず、

ただ呆然と、佐藤の顔を見つめていた。

そんな不破に、佐藤はくすりと笑い。





「またな」





そう言うと、今度こそ不破に背を向けて、誠二とともに園を去っていった。

不破はただ、その背が見えなくなってもずっと、その場に立ち続けていた。

握られた手が、熱い。

その場所から、発熱をしてしまいそうだ。

こんな事態は初めてで、一体自分はどうしてしまったのだろうかと思う。

何の答えも出ないまま、不破はただ右手を見つめ、ぼんやりと立ち尽くすしかなかった。





『またな』





佐藤の言葉が、頭に響く。

また、会えるのだろうか。

彼の顔を見たら、この想いの答えは出るのだろうか。















ああ、今夜は眠れない、と。

不破は、うっすらと夜闇に姿を現した三日月を見上げた。