次の日も、その次の日も、佐藤は誠二を迎えにきた。 何度彼に会っても胸の鼓動が治まることはなく。 それどころか更に彼が忘れられなくなるばかり。 熱に浮されたように、目の前に浮かぶのも彼のことばかりで。 いつもより機嫌がいい理由を、何度子供たちに尋ねられたことだろう。 毎日、ただ一度の逢瀬なのだけれども。 彼に会うのが楽しみで仕方がなかった。 +愛情、黒須幼稚園・3+ 佐藤と食事に行くという約束を果たすため、 不破は約束を取り付けた次の日に、佐藤の予定を尋ねた。 今週の日曜は空いているかと問えば、佐藤は笑って、『空いとるよ』と答えてくれたので、 不破は早速ハトコに連絡をつけ、今人気のレストランの予約を取り付けてもらった。 通常ならば人気レストランの予約など数日前に思い付いたところで空いている訳がないのだ。 しかしそんなことは黒須の名の下では無用な論でしかなく。 不破は見事人気レストランの予約を手に入れてみせたのだ。 そんな約束の日を浮足立つような気持ちで待ち。 ついに今日はその約束当日となった。 どれほど楽しみにしていたのかがすぐ分かってしまうくらい浮かれていて、 不破は随分前から約束の場所へ来てしまっていた。 約束の時間は6時。 しかしまだ時計は4時を指している。 それを見て、不破はただ首を傾げた。 時間より少し早く着くように計算をしたつもりであったのだ。 2時間も早くついてしまったことに疑問を感じずにはいられない。 待ち合わせ場所は若者たちの多く集う、とある動物の像の前で。 高級人気レストランにデートに行くんだったらスーツを着ていけという椎名の言葉通り、 スーツを着込んだ不破は、少しこの場には不釣り合いだった。 しかしいつ来るかもしれない佐藤を思うとこの場を動くことも躊躇われて、 不破は結局その場でずっと待っていたのだった。 その日、某像の前にはスーツを着た目付きの悪い男が大勢の人間に目撃されたという。 佐藤が現れたのは約束の時間の15分前だった。 常に混雑しているこの場所ではあるが、 ちょうど待ち合わせのピークなのか更に人が多くなってくる。 この中から佐藤を見つけだすのは困難かと思われたが、 しかし彼を意外と早く見つけることができた。 なぜなら佐藤の方が不破を見つけ、近寄ってきてくれたからだ。 後でその理由を尋ねたら、 『だってセンセ、像の真ん前にいるんやもん。すぐ分かったわ』 と言われた。 確かに指定したその場所の目の前にいたら、誰の目にもつきやすかったのだろう。 傍にきた佐藤に、知らず知らずのうちに鼓動が跳ねる。 いつもの私服とはまた違ったスーツ姿はとてもよく彼を引き立てた。 スモークグレーのスーツを身に纏った佐藤に、長い間見惚れてしまっていたようで、 気づけば佐藤は苦笑いを浮かべて不破を見ていた。 「こんな服、あんまり着たことないんや。どっかおかしいとこでもある?」 指で服の端を掴んでそう言う佐藤に不破は慌てて首を振る。 「そんなことはない。よく似合っている」 すると佐藤はいつもとは少し違う、照れを含んだような顔で笑った。 「おおきに」 連れ立って佐藤とともに街を歩く。 行き先はついこの間駅近くにできたホテルの最上階にあるレストランだ。 予約している時間まで少し余裕があったから、二人ともゆっくりとした歩調で歩いた。 「案外早く待ち合わせ場所に着いたんだな」 「せやな」 佐藤は不破を見てクスリと笑みを零す。 「だって不破センセ、絶対早く来とるやろな思って」 佐藤は不破と視線を合わせるかのように顔をのぞきこんでくる。 かちあった瞳は悪戯な色を有していて、不破は視線を逸らせない。 捕まってしまったのだと思うのはこんな時。 もし佐藤が自分の視界に入る全てであればどんなによかったであろうかと。 そんなことはありえないことであるのにそう思ってしまうのはやはり、 思っている以上に佐藤が不破の中に入りこんでいるのだろう。 不破は隣を歩く佐藤を見つめた。 思わずその手を取って共に歩きたくなったのだけれども、 夕暮れの若者の街にスーツを着込んだ男が二人、手を繋いで歩くのもおかしいかと、 不破は佐藤に伸ばしかけた手を僅かに宙をさまよわせた後に引っ込めてしまった。 ホテルへとたどり着き、最上階へと繋がるエレベーターに乗り込む。 幸いなことに、不破たちの他に客は乗り込んではこなかった。 ガラス張りのエレベーターの中からは色とりどりの電飾で彩られた夜の街が見える。 不破がしばしその美しさに目を奪われていると、佐藤が隣でくすりと笑みを零す。 「素直やなあ、不破センセ。すぐ顔に出る」 そんな言葉に驚いたのは不破の方だった。 人生の中で無愛想だと言われたことは多々あっても、 顔にすぐ表情が出ると言われたのは初めてであったのだ。 「さっきも、な」 言われて差し出されたのは佐藤の右手で。 「手繋ぎたさそうにずっとこっち見とるから笑い堪えるのに大変だったわ」 そう言われて初めて、彼が歩きながらやけににこやかだった訳を知った。 しかし不破は手を差し出されたものの、素直にその手を取っていいものか迷い、 躊躇いながら佐藤を見た。 「何や、繋ぎたくあらへんの?」 問われて不破は慌てて首を振る。 繋ぎたくないはずなどないのだが。 「この中限定やで?今を逃すと損や」 などと、まるでお買い得品のセールのように言うので、 不破は僅かに表情を崩し、そうして心を決めた。 佐藤の右手をそっと握り、その熱を確かめる。 触れるそこからじわりと沸き上がってくる熱に不破は僅かに顔を赤らめる。 するとそれに気付いたのだろう佐藤が小さく声をたてて笑った。 「不破センセ、やっぱり素直やな」 同時に僅かに腕を引っ張られて。 今度は肩ごと触れ合うような体勢に身動きすら取れなくなる。 そうして、折角の夜景も目に入らず、 隣に触れる体温を感じながら最上階までの一時を過ごしたのだった。 最上階のレストランに着き、名前を告げると恭しくテーブルまで案内された。 そこはきっとレストランの中でも一番高級な場所なのだろうと予想がついた。 他のテーブルからは少し離れたところにあり、 静かな雰囲気が流れ、窓からは先程のエレベーターの中と同じ夜景が一望できた。 これには佐藤までならず不破までも驚いてしまった。 あれでも人の繋がりを大切にするあのハトコが、不破のためにと尽力してくれたのだろう。 しかし黒須の力はすごいものだと驚かずにはいられなかった。 席に着き、真向かいに座った佐藤と視線を合わせる。 どうやら佐藤もここまでは想像していなかったらしく、戸惑うような不破を見た。 「ここ・・めっちゃ高いんやないの?」 佐藤が心配してくれたのはどうやら不破の財布の中味のようで。 「別に気にするな」 口にした言葉は偽りでも何でもなく。 不破は働いてはいるが特に大金を使うべき事柄が周りにないので、 お金は貯まっていくばかり。 だから少しくらい高くとも佐藤のためだったら構わないと思うのだ。 「お前が楽しんでくれればそれでいい」 佐藤の視線を捉えながらそう告げれば、彼は恥ずかしそうに僅かに視線を逸らす。 しかしその後、不破だけに酷く嬉しそうに笑ってみせた。 「ありがとな」 その笑顔はどんな夜景にも勝ると、不破はしばし目を奪われた。 それから。 席につくとこれ以上ないほどの素晴らしい料理が出てきて、 不破と佐藤はレストランの落ち着いた雰囲気に酔いながら、 そして交わされる会話に共に笑いながら、幸せな時間を過ごしたのだった。 「今日はありがと、な」 なんて少しほろ酔い加減の佐藤が、僅かに上気した頬のままそう告げられる。 肌に触れる風は夜になって少し冷たくなって、 けれどもそれに勝るほどの熱に寒さを感じることなどなかった。 「俺の方こそお前に礼を言わなくてはならない」 来てくれて感謝している。 そう告げると、佐藤は驚いたように目を瞠って、 そして歩きながら僅かに不破の方に体を寄せた。 「あんたほんといい先生なんやな〜」 佐藤は機嫌のいい猫のように目を細めて不破を見る。 その滅多に見せない甘い仕草に不破の鼓動は跳ね上がる。 「・・何故そう思う?」 僅かに上ずってしまった声でそう問う。 けれども佐藤は気にすることもなく花も咲かんばかりの笑顔を零す。 「誠二がな、帰ってくると幼稚園であった出来事を話すんやけど、 センセの話も多いんや。センセ、誠二とサッカーやっとったりするんやろ?」 「ああ、学生時代にサッカーをやっていたんだ。 誠二にはサッカーセンスがある。 俺も驚かされることも多い」 気がつくと生徒のことを真剣に話していることに気がついて、慌てて佐藤を見ると、 まるで慈しむような視線で不破を見つめていた。 「不破センセ、幼稚園の先生って天職やな?」 そんなことは初めて言われた。 不破の性格上、人と接する職業は向いていないと、何人に言われたことだろう。 それを、彼は向いていると言ってみせたのだ。 驚かざるを得ないだろう。 「・・そうなのか」 自問自答のような呟きを乗せれば、佐藤が僅かに笑った。 「素直、なんやろな、センセ。 子供と同じ目線で話せるなんてあんまり出来ない芸当やで?」 佐藤の言葉に心がすっと軽くなる。 今までやってきたことを褒められているようで、嬉しくならない訳がない。 この人間は自分を常に、その存在だけでなく言動や行動やその全てで幸せにしてくれる。 そんな人間が不破の側に現れてくれたことに感謝すると共に、 どうしても、佐藤を手に入れたくて仕方がなかった。 僅かに照れながら佐藤に視線を向けると、彼もとても幸せそうな顔をして不破を見ていた。 アルコールも入っているからだろう、少し頬が上気しているのだが、 それだけではないのだろう機嫌のよさに、不破は安堵すると共に、 彼が笑っていることに対して何とも言えない幸せを覚えるのだ。 不破は突然立ち止まった。 それに気づいた佐藤が不破の一歩前で止まり、そうして不思議そうに顔を覗き込んでくる。 「どうしたん?突然」 耳に響く甘い声。 夜風に靡く甘そうな髪。 首筋から覗く白い肌。 どれもこれも不破の心拍数を上げる要素である。 目の前の佐藤に手を伸ばしたい衝動を覚えながら、 けれどまだ手を伸ばすことができない。 だから、せめて。 「また・・一緒に食事に行かないか?」 不破がそう告げると、佐藤は一瞬驚いたような顔をしたが、 彼は珍しく見せる屈託の無い笑顔で不破に笑いかけてみせた。 「今日は楽しかったで。 ・・また、誘ってや」 その言葉と佐藤の笑顔にただ安堵の息を下ろせば、 目の前の佐藤が小さな声を上げて笑った。 そうして。 唐突に佐藤の口から告げられた言葉は、不破の全ての思考を奪った。 「・・それだけ?」 その言葉が引き金だった。 考えている暇もなかった。 目の前にいる佐藤を引き寄せて、抱き寄せる。 彼が何を望んでいるのか確信はなかったが、それでも止まらなかった。 腕の中に抱き込んだ彼は抵抗はせず、不破の成すがままになっていた。 きっと人の好きにされることは好まないだろう佐藤が不破の腕の中で大人しくなっている。 それが酷く不破の感情を高揚させた。 するりと壊れ物を扱うかのように丁寧に佐藤の頬に触れ。 僅かに上を向かせると、綺麗に微笑む佐藤と視線が合う。 佐藤が綺麗な瞳を隠し、長い睫が白い肌にかかる。 それが合図だった。 柔らかな唇に触れて、佐藤の中に入り込むように口を割る。 後頭部を捉えて、深く、深く。 止まらなかった。 愛しているのだ。 たった一人。 お前だけを。 そう告げるかのように、不破は目の前の愛しい人と口づけを交わした。 |