君のいない、今日。


そして、明日も。


君はいない。





+嘘をつくということの真実。





夜。

一人、身を隠すように、部屋の電気を消し、布団の中へと潜り、シーツを被る。


誰もいない。

ただ、自分だけの空間。

いつからこんなことをするようになったのかは覚えていない。


ただ。


君のいない生活を誤魔化すかのように、自分一人だけの空間を欲しがった。

誰も踏み入れることのできない、



自分だけの空間を。




佐藤は、真っ暗な狭い空間の中で、何もない虚空を見つめる。

今日も、終わった。

その安堵感が佐藤を襲い、義務感にも似た思いを吐き出すかのように、

溜息を一つ吐く。

騙し騙し過ごしてきたこの体は、もう限界のようだ。

動力源のないこの体に、毎日、毎日。

まだ動けるのだと、嘘という魔法をかけ。

くじけそうになる精神を叱咤激励しながら、自分という人間を動かしていた。



こんな生活がいつまで続くのだろうと。

佐藤は絶望にも似た気持ちに襲われる。

嘘をついてまで自分を偽り続けることに、価値があるのかは分からない。

それでも。

自分は動かなければならないのだ。

友人のため、自分のため、そして。


愛する彼のためにも。




佐藤は何も見えない暗闇の中で、手にしていた携帯電話をそっと目の前に翳す。

そしてディスプレイを開くのだが、あまりの眩しさに、数秒目を閉じる。

やっとその強い光に慣れてきたところで、リダイヤルボタンに手をかける。

携帯電話を持っていても、その使用頻度はあまりない。

この携帯に電話がかかってくるということは、特定の人物以外からは極稀で。

そして自分は、彼以外の人物のところへ、この携帯から電話をかけたことはない。

だから、リダイヤルボタンはいつも、彼の電話番号しか残ってはいないのだ。



佐藤が人差し指でボタンを押せば、発信音の後に、機械的な呼び出し音が続く。

『呼び出し中』と表示されるディスプレイをぼんやりと眺めながら、

誰もいない、真っ暗な空間の中で、佐藤は手の中で篭る無機質な発信音を聞いた。


不意に、その音が途切れ、静寂が訪れる。


『佐藤?』


聞こえる声は、ひどく待ち望んでいたもので。

乾ききった体に、一滴の水が入り込んでくるよう。

やっと、口の端に笑みを乗せるくらいの余裕が出てきた。


「不破〜!」


携帯を耳元に持ってきて、それごと抱き締めるように、不破の声を聞いた。


愛しくて、仕方がなかった。



『・・元気だったか?』


毎日欠かさず電話をしている癖に、決まって聞くのはこの質問。




「ああ、元気やさかい」




また一つ、嘘をつく。

自分が、生きていくための。

上手く生きていけるようにと。




嘘をつく。





「そっちは?」


『もちろん元気だ』


その言葉には嘘偽りなど微塵も見出せず。

不破は自己管理の上手い人間だから、ちょっとやそっとのことでは体調を崩さない。

分かっていることではあるのだけれども。

彼が自分と同じように病んではいないかと。

その声音から察しようとしている自分がいる。


そんなこと、直に不破に尋ねてしまえば済むことであるのに。

いつからこんなに弱い人間になってしまったのだろう。




「そうか・・」



電話越しに、笑いかけて。

そうすれば不破は、きっと。

自分は本当に元気なのだと理解してくれるであろうから。



『そっちの天気はどうなんだ?』



これも不破がよく口にする言葉だ。

佐藤もそれを承知しているから、前もって用意していた言葉を述べる。

そういえば、不破と電話越しの会話をするようになってから、空を見る機会が多くなった。



「こっち?こっちは曇っとるで」



被ったシーツから顔を出しもせず。

ただ不破の、低めの心を震わせる声だけを聞きながら、答えた。

この世界にはただ、佐藤と、不破の声だけ。



本当に、些細な行動なのだけれども、それでも重要な、嘘をつくための儀式。




『寒いのか?』


「そんなに寒くはないわ。そろそろ春も近づいてきとるしな』



笑って。

そう、心の中には何もないのに、ただ、笑って。

携帯を持っていない手で瞼を押さえて、必死に笑っている気配を作った。

瞼の裏から込み上がってくる熱は、気づかないようにと、嘘をつく。


どれだけ自分に嘘をつけば、生きていけるのだろう。

毎日、毎日。

必死で自分に嘘をついては毎日を生きていく。

塗り重ねられた嘘は、それでも脆く、すぐに崩れていき。

傷ついた心を隠すように、両手で傷口を押さえながら、それでも笑って。

大丈夫だよ、と。




嘘を、つく。





『佐藤』




不意に。

闇を裂くような、甘く低い、けれども強い不破の声音に、ハッと意識を戻す。

大丈夫。

自分は、大丈夫なのだから。






「な・・」







『愛してる』






息が詰まった。

不破の言葉に、思わず息が詰まり。

必死で抑えていた嗚咽が、僅かに口元から零れた。

瞼を押さえている手は、もうその役目を果たしてはいなかった。

閉じられた瞼から、目尻を伝い、後から後から涙が零れる。




「・・何でそんなこと言うんや・・」



必死で耐えているのに。

壊れてしまわないように、自分に。

懸命に嘘をついているというのに。



『俺だけには、嘘などつくな』



普段は無口な彼が、珍しく口にした、彼の真実。



『お前はすぐに本心を隠したがる。

俺が何も分かっていないとでも思っているのか。

ふざけるのも大概にしろ』



聞こえてくる不破の言葉は、今まで聞いたこともないものばかりで。

戸惑いはしたけれども、ひどく、嬉しかった。

流れる涙は、白いシーツに涙の染みを作っていく。



『今から、そっちへ行く』



紡ぎだされた言葉は、佐藤は今度こそ本当に驚いた。



「今から・・て、」



『深夜バスがあるだろう』



「仕事は・・?」



『そんなもの、数日休んでやっても何も問題はない』




どうやら本気らしい不破の口調に、佐藤はただ笑った。

ああ、これが不破なのだと。

思わずにはいられない。


『では今から行く』


きっと今すぐ家を出ようとしているだろう不破が、

電話を切ろうとする雰囲気に、佐藤は慌てて引き止める。




「不破」


『何だ?』


「俺も」



本当に。

世界でただ一人なのだ。

自分の嘘を、見抜いてくれるのは。




「愛しとるで」




電話越しに、不破の戸惑うような気配がする。

きっと、照れているのだろう。






本当に。

愛しくてたまらない。












嘘をつくのは、自分が弱いから。

弱くない自分でいられるのは。








君が、傍にいてくれるから。