なんだか、空気が薄い。 息がしづらい。 そういえば、いつもどうやって呼吸なんかしてたんだっけ? +青い空に包んだ僕らの幸せ 跡部の部屋のベッドに座って、じっと跡部の仕草を見つめる。 珍しく眠っていないのは考えごとをしているからで、決して眠くない訳ではない。 今も一生懸命、襲ってきそうな眠気と戦っている。 跡部はそんな俺を気になんかしていないみたいで。 いつもはかけていない眼鏡なんかをかけて、机の上の文字の洪水と優雅に格闘していた。 ぼんやりと、霞む思考。 思い出すのは、今日の出来事。 今日、後輩から『こくはく』された。 なんだかたくさん、好きだ好きだ好きだって言われた気がしたけど、 後輩が本当は何を言っていたかなんて全然覚えていなかった。 ぼんやりと遠くで聞こえるような言葉にずっと黙っていたら、 顔も覚えていないその後輩は、いきなり顔を近づけてきて、キスしようとしてきたのだ。 俺は驚いて、おもいっきり突き飛ばして逃げてきたんだど (そのときの俺の反射神経に感謝) どうしていいのかわかんなくなって、頭の中はぐちゃぐちゃ。 けど、なんだか、どうしても跡部の家に来なくちゃいけないような気がして、 部活のあと無理矢理くっついて、跡部の部屋に来たんだ。 でも、跡部の部屋にきたからと言って、もやもやするこころの中がすっきりする訳でもなく。 どうしていいのか分からずに、ただ跡部だけを、跡部の行動だけを眺めてた。 『こくはく』ってああいうものなんだ。 好きだ好きだってまるで感情の波のように思いをぶつけて(ほとんど聞いてなかったけど) 人の意思を無視して、キスまでしようとするんだ。 そこまで考えたら、今日の出来事が頭の中を駆け巡った。 あ、なんだか嫌かも。 俺はぶんぶんと勢いよく頭を横に振った。 どうしてか分からないけど、今日のことは思い出したくなかった。 そういえば。 跡部って、そういうこと、したことあるのかな? 好きな人が出来て、好きだって言って。 よく分からないような熱に浮かされたこと、あるのかな? そう思ったら聞かないわけにはいかないような気がして、 俺は一生懸命仕事をしている跡部にしつもんしてみた。 「跡部は・・好きな人に無理矢理キスしたこと、ある?」 突然の質問に、跡部は手を止めて不思議そうに俺を見た。 「何故だ?」 「いいから!」 俺が急かすと跡部は少しだけ眉を寄せたけど、 別に答えてもいたくもかゆくもないような質問だったらしく。 「あるぜ」 と、別に何も気になどしていない、って風にサラリと言ってのけたから、 俺も、うん、って頷くしかなかった。 跡部が誰ともそんなことをしてないなんて思ってなかったし。 ときどき聞く跡部と誰かのうわさを(そんなの全部信じてるわけじゃないんだけど) 全部じゃなくてもその中の一握りがほんとうにあったことだとしたら、 跡部が何もしたことがないなんてことはないんだって、俺の少ない頭のなかみでも分かること。 でも、そっか・・って少しだけ、拍子抜けした。 「うん、ありがと」 それだけ言って、俺は跡部のベッドから立ち上がった。 「ジロー」 「俺、ねむくなったからかえるね」 呼び止める跡部の声は、聞こえなかったことにした。 跡部のところに行ったら、このもやもやなんて直ぐに解決すると思ったのに、全然治らなくて、 (寧ろあの跡部の言葉を聞いたら反対にもっと苦しくなってきた。何でだろう?) 息もするのも辛くなってきて、俺は人生で初めて『眠れない』ってことを体験した。 今までどうやって眠ってたんだっけ? そういえば、どうやって息してたんだっけ? どうやって、生きてきたんだろう。 今日は眠ってないから遅刻をせずに学校へとたどりついた。 こんなこと、前代未聞だったから、HRに先生が入ってきたとき、 すっごく驚いた顔で俺を見た。俺だってたまには遅刻しないときだってあるよ。 その上、授業中に眠りもしなかったから、 更に先生たちは驚いたみたいで(それって少し失礼だよね) 反対に体調を心配されてしまった。 (体調は、悪いんだけど。だって眠れないし。) それよりもずっと心のもやもやの方が大きかったから、 きっと体調のことなんて気にならないんだと思う。 今日の部活どうしよう。 今は跡部と顔を合わせづらいな。 なんて、ずっとずっと考えていたら、耐え切れなくなってきて。 俺は助けを求めにふらふらと教室を飛び出した。 昼休みの喧騒の中、向かったのは隣の教室。 窓際の席で、いつもと変わらないキツイ表情をした宍戸が つまらなそうにノートとにらめっこをしていた。 つまらないならやめればいいのに。 「宍戸」 近づいていって、声をかけるとびっくりした顔で俺を見た。 そんなに俺が来るのって意外なのかな? 「ジロー?」 戸惑ったような宍戸の声。 邪魔してごめんね。 でも、少しだけ、俺に時間をちょうだい。 「うん」 少しいつもとは違う俺の様子に気がついたのか、 宍戸はノートを書く手を休めて、俺の方を見た。 いつもはキツイことばっかり言ってるけど、宍戸は本当は優しいんだ。 1年のときから伊達に一緒にテニスしてないよ。 ぼんやりと立っている俺を心配そうな視線で見上げて、宍戸は自分の席から立ち上がった。 「おら、ここ座れ」 そうして宍戸は自分の席を指差して、俺の腕を掴んだ。 あれ、と思っている間に宍戸に引っ張られて、俺は宍戸の席に座っていた。 今度は俺が宍戸を見上げる側になっていて、何だか変な感じ。 「どうしたんだ」 俺に理由を聞いてはいるのだけれども、言いたくなければいわないでもいいというような。 そんな雰囲気を感じさせて、俺は不意に泣きたくなった。 どうしてかなんて分からない。 けれど、思い出したのは跡部の俺の髪の毛を撫でる優しい手で。 そういえば昨日は跡部の家、飛び出してきちゃったななんて思ったら、 淋しくてさみしくて仕方がなくなってきた。 (・・あとべ。あとべ・・あとべ。) ばかみたいだよね、俺。 自分で跡部の言葉、聞かないように逃げてきたのにさ。 今、こんなに跡部で頭の中がいっぱいだなんて。 「ジロー?」 少しだけ困った風の宍戸の声。 どうしていいのか分からないのだろう宍戸に、心の中でまた、ごめんと謝って。 今だけは優しくしてくれる宍戸にぽふんと抱きついてみた。 「お、おいジロー!」 あ、宍戸焦ってる。 体越しにも感じることのできる動揺に、それでも構わずぎゅっとしがみついて、 本当に泣いてしまいそうだったのだけれども、それでも泣かないように頑張った。 (これ以上宍戸に迷惑かけられないし) それに。 跡部に、『俺以外のところで泣くな』ってずっと言われてるし。 絶対に、泣かないんだ。 宍戸のセーターを掴んで、離さないようにすると、宍戸は諦めたようにぽんぽんと頭を叩いた。 ごめん鳳。 少しだけ、借りるね。 「昨日・・『こくはく』されて」 セーターに顔を埋めたまま言ったけど、宍戸はうまく聞き取ってくれたみたいだった。 「・・それで?」 「うん、キスされそうになった」 「誰にだ」 「知らない人」 その時の光景を思い出して、また泣きそうになる。 無理矢理、俺の中に土足で入ってくるような感じがしたんだ。 俺は俺のなのに、どうしてそんなに簡単に入ってこようとするんだろう。 「俺の気持ちなんて無視って感じで、すごくすごく嫌だったんだ」 思い出して、怖くって。 宍戸のセーターをぎゅっと握り締めた。 嫌だった。 怖かった。 だけれども、俺が今、こんなに泣きそうなのは、跡部が。 跡部が、俺じゃない、他の誰か好きな人にキスしたことがあるということ。 どうしたらいいのか分からない。 跡部が、他の子とキスしたと聞いただけで、 何でこんなに泣きたいような気持ちになるんだろう。 「宍戸・・」 言葉にすることさえもためらってしまう。 だって自分で言っただけでも傷ついてしまいそうな気がしたから。 「跡部が」 「跡部が?」 優しく促してくれる声に、安心をしながら、ジローは言葉を続けた。 宍戸は、今まで気づかなかったけれど、まるで優しいお母さんみたいだ。 そういえば、色んな人が宍戸のこと、慕ってたっけ。 「跡部が・・『好きな子に無理矢理キスしたことがある』って言った・・」 言葉の最後の方はもう、声にすらなっていなかった。 「・・好きな子って・・お前じゃねーのか?」 俺は大げさに首を振ってみせる。 「・・俺、跡部に無理矢理キスされたことなんて、ないよ・・」 言ってて、また泣きそうになった。 そう、俺は跡部に無理矢理キスされたことなんてない。 跡部はいつも俺には優しいから。 だから、跡部には。 俺以外の、誰か好きな人がいたんだ。 そう思ったら、どんどん目の前が真っ暗になっていく。 どうしよう、俺。 跡部に捨てられるかもしれない・・。 怖くて宍戸のセーターを強く握りしめると、優しい手が俺の頭を叩いた。 大丈夫だよ、という風に、優しく。 「・・泣いてんのか、ジロー?」 心配そうな宍戸の声。 ごめん、宍戸。 宍戸にまでめいわくかけちゃったね。 「・・ないてなんかないよ」 俺はそう答えるのが精一杯だった。 「芥川さん!」 廊下を歩いていると、聞きなれない声がけれども確かに自分の名を呼んだ。 俺の名前を知っている人間の中で、 俺のこと、下の名前で呼ばない人間なんて、ほとんどいないのに。 無視していこうかと思ったんだけど、聞こえてしまったのだからしょうがない。 ゆっくりゆっくり振り返ると、そこにはもう二度と思い出したくない奴がいた。 (ホントに、無視すればよかった) 「芥川さん」 それは昨日俺に『こくはく』をしてきた後輩で。 「昨日の返事、聞かせてください」 ってやけに真剣な表情で。 返事、してなかったっけと思い返してみたんだけど。 昨日はキスされかけて慌てて逃げてきたんだと思い出して。 嫌な光景を思いだすとともに、 返事くらい昨日の行動を考えれば分かるだろうと思ってはみたのだけれども。 はっきりしなければならないというような妙な感情がむくむくと湧きあがってきて、 俺はのこのこその後輩の後ろについて、 昨日の(あの悪夢の出来事が起こった)屋上へと行ったのだった。 「先輩・・それで、昨日の返事を・・」 急かすような口調。 そんなんじゃ、誰にも好きになってなんかもらえないよ。 「芥川先輩が跡部先輩と付き合ってることくらい知ってます・・。 でも、それでも俺、芥川先輩のことが好きなんです」 思わずその後輩を呆然と見詰めてしまうくらい、驚いた。 俺たちのこと、知ってるのに、何で。 「跡部先輩は芥川先輩のこと、大切にしてくれるんですか?」 「俺、跡部先輩より芥川先輩のこと大切にする自信があります」 「絶対、淋しい思いなんてさせませんから!」 目の前で叫ぶように言う後輩の言葉が、いっぱいの文字になって頭の中を行き交う。 大切 淋しい 好き? 言葉が暴力になるだなんて初めて知った。 ねぇ、何で? 君は愛する人の感情を無視してそんなことが言えるの? 今にも割れそうな頭で視界がぐるぐる。 すぐにでも耳を塞いでそこから逃げ出したかったんだけど、足は全然動かなくて。 気がついたら昨日と同じ光景。 あの後輩が俺のすぐ目の前にいて。 頬に触れられて、あ、キスされると思ったけれども足は全く動いてなんてくれなかった。 怖くてぎゅっと目を閉じて、体を強ばらせた。 「ジロー」 思いがけず近くで、自分を呼ぶ、聞きなれた甘い声音がした。 来るべきはずの接触はなく、(一安心)恐々目を開けば、 目の前で固まってしまっている後輩がいた。 ドアに軽く寄りかかりながら腕を組み、こっちをすごく怖い表情で睨んでる。 こういうの、威圧感っていうのかな。 思わず俺も竦みあがりそうになるほど、怖かった。 ずっと一緒にすごしてきたけど、跡部のそんな表情を見るのは初めてで。 そんな俺でさえも怖かったんだから、ほとんど跡部と接したことのない後輩は、 もっともっと怖がってるにちがいない。 そんな俺たちを見て、跡部はゆっくりとこっちに歩いてきた。 その歩き方がまたすごく怖くて。 早くこっちに来ればいいのに、そのゆっくりさが更に怖かった。 跡部が近づいてくると、目の前にいた後輩はじりじりと後退していった。 やっぱり、怖いんだ。 |