氷帝学園の先輩たちは、やはり偉大だ。





+恋する男たちの幸せな悩み





氷帝学園の練習量は、他の学校強豪校と比べても遜色のないほどの量である。

もちろん、中学生のするべき適当な練習量というものは決められていて、

榊監督もそこまで練習というものに拘る、

体育会にありがちな練習第一主義の人間ではないので、

きちんとした練習計画に沿っての練習が行われている。

榊監督が特に重きを置くところは、個人個人の強さであり、強くなければ意味がない。

だからこそ効率のよい練習を行い、無駄な練習を無くし、

それ以上強くなりたい者はその他に個人的な努力が必要となってくる。

それが氷帝の強さでもあり、また個人の能力の高さにも繋がっているのだ。

実に無駄のない効率的な練習だといえるだろう。


『今日の練習は以上だ』


榊監督の声とともに、部員たちは一斉に声を挙げる。


『お疲れ様っした』


そうして一日の練習が終わるのだ。


その声を聞き、鳳は一つ息を吐いた。

やっと練習が終わるという安堵感とともに、張り詰めていた緊張が解ける。

練習は厳しい上に、ミスをすると監督の痛い視線が飛んでくる。

気など抜いている暇もなく練習に打ち込むため、

いつも練習後には心身ともに疲れ果てている。

けれどもレギュラーを守るためにはそんなことで気を抜いて休んでいるわけにもいかず。

これから練習後に行う自主トレのメニューを頭の中で思い描いて、鳳はコートへと足を向けた。
レギュラーである鳳は、二年生ながらコートの片付けであるとか、

雑用の類が回ってくることはないのだが、

それでもレギュラーではない同じ二年が仕事をしているのを見ては、

一人でロッカーに向うのも気が引けて、ついつい一年生の指導をしてしまっていたりするのだ。

今日もボールを転がしてしまった一年を助けてやったり、同級生が荷物を運ぶのを手伝ったり。

これが跡部部長に見つかると、呆れた顔をされるので、あくまでもこっそりと手伝うのだが。

だから鳳がレギュラー専用の部室へと帰るのは、いつも一番最後なのである。


そんな中、コートに立っていると、とことこと後ろから可愛らしい足音が聞こえてきた。

珍しいけれども知らない訳ではないその足音に振り向くと、

やはりそこには同じレギュラーで一個上の先輩であるジローが立っていた。

鳳はその珍しい行動に内心首を傾げながらも、ジローは真っ直ぐにこちらを向いているので、

やはり鳳に用事があるのだろうと、笑顔を向けて声をかける。


「何ですか、ジロー先輩?」


しかしジローはそれに答えを返すわけでもなく、ただじっと鳳の顔を見ている。

ジローは氷帝テニス部の中では身長の低い部類に入り、

背の高い鳳は見上げられる格好になるのだが、

何故だかそれが悪いように思えて、膝を曲げ、少しだけ視線を落としてみる。

するとジローの視線ももちろん少し下がる。


「俺の顔に何かついていますか?」


再び尋ねてみたけれども答えはなく。

ただじっと鳳を見つめているだけのジローに、

もしかしたらこの人は立ったまま眠っているのかもしれないという不安に駆られる。

ずっと何も言葉を口にしないジローに更に不安感を抱え、

けれどもここで下手にジローに触ろうものなら、後でこの氷帝学園内で一番の実力を握る彼に、

どういう報復をされるのか分かったものではないので、下手には動けない。

ジローの熱心な視線を受けながら、うろたえるように視線を返すと、やっとジローは口を開いた。


「もう少し、だね」


ジローの言葉の意味が分かりかねず、ただ口を開けてジローの顔を見返した。


「・・・・は?」


「だから、もう少し」


ジローは少し膨れながら、同じ言葉を鳳に言う。

しかしそれだけの言葉で他人の言いたいことが分かったら、

それこそエスパーか何かだと思わざるを得ない。


・・いや、一人だけいるのだけれども。

この人の言葉を容易に理解してしまう人が。


鳳はそこまで思って軽く頭を振る。

あの人と自分を同じだと思ってはいけない。

自分の目の前にいる人も、そんな彼を溺愛しているこの部の部長も。

人間を超越した人達なのだから。

なんて思っていると、不意にジローの手が伸びてきて、鳳の頭を撫でた。

突然の出来事に鳳はただ呆然とそれを見ていることしかできなかった。


「早く、ししどに似合う、いい男になってよ」


ぽんぽん、と二回頭を撫でられて。


「おい、ジロー!」


「あ、あとべ」


「何やってんだ早く着替えろよ」


「はーい」


なんて、そんなやり取りを意識の外で聞いていた。

今、心を占めているのは、ジローの言葉で。

ただ呆然と、ジローのいなくなった地面を見つめ、

彼に言われた言葉を理解しようと努めている。

固まったまま立ち尽くす鳳の傍を、遠目に部員たちが通り過ぎていく。



『早く、ししどに似合う、いい男になってよ』



ジローの声が耳元で何度も繰り返しエコーを重ねる。


「ジロー先輩・・それってまだ俺が宍戸さんに似合う男じゃないってことっすよね?」


単純に考えれば、そういう意味で。

ポツリと呟いた言葉に返してくれる人間はもうおらず。

鳳はただ風に流れた言葉にこっそりと心の中で涙を流した。


一体何が足りていて、何が足りていないのか、それだけでも教えてくれればいいのに、と。

鳳はただ落胆の表情を隠せずに地面を見つめていた。

それでも落ち込む心は収まってくれそうにはなく。

鳳はその場にしゃがみこみ、盛大な溜息を一つつく。

・・分かってはいたけれども、はっきり言われるのも辛い。

美人でテニスも上手くって、

本当は優しい宍戸に似合う素敵な男になっているとは自分でも思わないが。

が。

それでも他人に言われてしまったのには、ひどく落ちこんだ。

周りから見てもまだ自分は宍戸とつりあってはいないだと。

改めて目の前に突きつけられた事実に、ただ溜息をつくことしかできない。


乾いた土をぼんやりと眺めながら、一生追いつくことのない年の差が、

少しだけ憎くなった。



そんな時。

ふっと視界が暗くなって、何が起きたのかと鳳は後ろを向いた。


「・・お前、こんなところで何やってんだよ?」


「宍戸さん・・・」


顔を上げれば、そこには恋焦がれてやまない、

いつでも自分の心を支配している宍戸の姿があった。


「こんなところに座って、踏まれたいのか?」


内心では、貴方にならいくらだって踏まれても構いませんと思っていたが、

そんなことを口にしたら最後。

3日くらい口をきいてくれないことは経験済みなので、やめておいた。

宍戸はこういう冗談にはひどく弱い。


鳳は未だしゃがみながら、いつもとは違う、下から見上げる角度のまま宍戸の顔を見つめる。

こうしてみると、普段は鳳の腕の中にすっぽりと収まる宍戸が大きく見えて、

先輩と後輩というものの差が更に大きく感じられるような気がした。


鳳の前でひどく綺麗に立つ宍戸は、他の何ものの存在からの介入を許さないくらい、

圧倒的で。

綺麗で。

真っ直ぐで。


やっぱり自分などには到底追いつかない人なのかもしれないと。

思わずにはいられなかった。


「宍戸さん」


「ん?」


「俺まだ、宍戸さんに似合う男になってませんか・・?」



鳳の質問に、宍戸は僅かに目を瞠った。

しかし、その後直ぐに、悪戯っぽい笑みを浮かべて、鳳の髪に優しく触れた。



「ばーか」



見上げると宍戸は、本当に綺麗に笑っていて。



「俺なんかにはまだ吊りあわねぇ・・けど。


 お前は絶対いい男になるって決まってるんだから、


 早く俺に合ういい男になれよ」



優しく髪を撫でられながら、ただ鳳だけに向けてくれる優しい笑顔で笑ってくれるから。

鳳は立ち上がって、公衆の面前にも関らず、強く宍戸を抱き締めた。




「宍戸さん・・・!俺、早く宍戸さんに似合う男になりますから!」




強く、そう強く決意をして、やっぱり腕の中にすっぽりと収まる宍戸に一つキスをする。

しかしまだそこは外、それも部員たちがまだたくさん残っているコートの近くであり。

鳳の腕の中で宍戸は小刻みに震え出した。




「やっぱりお前なんか俺に似合わねぇよ!」



なんて言われて殴られた。






だけど殴った宍戸の顔は真っ赤になっていたから。

宍戸の言葉は聞こえなかったことにした。






きっと。

そう、1年後には。





貴方に似合う、いい男に。