電話越しに聞こえる、手塚のちょっと拗ねた声。

お姫様は少しだけ不機嫌なようだ。





+姫の憂鬱





「不二はもう大丈夫だよ」


手塚から不二がおかしいと電話があったのはつい数日前のことだった。

容態は大丈夫なのかと不二から連絡があったというのだが、その様子がおかしかったという。

だから心配になって乾に連絡をし、様子を見させたのだ。


確かに乾も不二の異変には気付いており、何らかの手を打とうと思っていた矢先だった。

原因は薄々気づいていたのだけれども、今日予想をつけて不二と話してみると、

やはり原因は乾の思った通りのことであった。

というよりも寧ろ、不二が彼のこと以外で悩むことがないので、

乾でなくても大抵の人間が気づくであろうが。


――乾でなくても気づく、だからこそ手塚国光が気づくことができたというのも正しい答えなのだが、

手塚は自分のことには酷く疎いくせに、

部員のこととなると普段では考えられないほどの敏感さを発揮するのだ。

だからこそ信頼されている、ということもあるし、

また、だからこそ青学の部長を務めることができているということもある。


もしかしたら、不二もそんな手塚を知っているからこそ、

電話に僅かなSOSのサインを込めて電話をしたのかもしれなかった。



「そうか・・」



部員の悩みが一つ解消されたという、こんなとき。

普段だったらもう少し嬉しそうな声を上げるはずであるのに、今日は何だか態度がおかしい。

その原因になんとなく気づいていたのだけれども、乾の方からは何も告げなかった。



「うん、元気になった」



そう告げればまた一つ、機嫌がいいとは言えない、小さな返事。

そのあからさまな態度に乾は思わず電話越しに笑い出しそうになったが、

やっとのところでその笑みを押さえた。

しかし電話越しの妙な雰囲気は伝わってしまったらしく、電話の向こうで手塚は無言になった。

それはさすがにマズいと思い直し、乾は恐る恐る手塚に声をかける。



「・・手塚?」



すると返ってきたのは、思いもかけないこんな言葉で。



「不二からメールがあった」



「へ?うん、それで?」



乾が問い返すと手塚は一瞬の間を置いて、不二からのメールを読んだ。



「『手塚へ。乾を貸してくれて有難う』」



その言葉に乾は手塚が不機嫌な訳の全てを悟った。

思わず零れてしまいそうな笑みを必死で隠しながら、

乾は電話越しですっかり拗ねてしまっている手塚に声をかける。



「貸したといっても、不二が一時安らげるだけの肩を貸しただけだけどね」



そう告げれば電話の向こうの空気がまた僅かに不機嫌の度合いを増した気がした。

他人のことには酷く敏感なくせに、自分のことは酷く鈍感な自分の恋人は、

乾にこれほど分かりやすく自分の機嫌を伝えてしまっているなんて気づいてもいないのだろう。

けれどこんなに露に感情を見せてくれる人間は、この世の中に乾だけだと思うと、

ただひたすらにこの特権を貰うことができた自分を幸せに感じる。



「・・・乾」



電話越しの、感情を押し殺すような声。

少しだけ苛めすぎてしまったかな、と乾はサッと表情を引き締めた。



「手塚・・」





「俺はお前が、俺のいないところで二人でいた話など聞きたくはない。

 ・・例えそれが不二でもだ」





ガシャン。


ツーツーツー。



乾は僅かに目を瞠りながら、通話の途切れてしまった携帯電話を見つめる。

それから。

手塚の言葉を頭の中で反芻すると、思わず零れる笑みを押さえることができなかった。


なんて可愛いのだろう。

同じ年とは思えないほど、思考が可愛らしい。

そんな彼が中学テニス界の皇帝と呼ばれているなど、

この姿の手塚を知った人間は信じることなどできないであろう。

乾は口に手を当てながら、手塚の言葉を思い返す。


きっと手塚は切った電話の向こうで、後悔と恥ずかしさに苛まれて、

顔を真っ赤にして膝を抱えてうずくまっているに違いない。

もしすぐ側にいるのならば、そんな手塚を抱き締めて、何度も愛しているよと言ってやりたかった。


この遠い遠い距離が憎い。

声でしか手塚を感じられないことが悔やまれて仕方がない。


けれど今はこのちっぽけな機械でしか、直の手塚を感じることができないから。

乾は取ってもらえないことを承知で、手塚の携帯電話に再び電話をした。



何度も続くコール音。

けれどもやはり手塚は出ない。

今、きっと手塚は鳴る携帯電話を前にして、取るかどうかを必死で悩んでいるに違いない。


数度目かのコールの後、留守番電話サービスに繋がれた。

そこまで予想済みなので、そこで電話を切ったりはしなかった。

無機質な女性の声を聞き、それから発信音を聞いた後に、

愛する手塚にメッセージを残す。





「手塚・・

 聞いてる?

 さっきはごめん。

 だけど、俺が一番好きなのは手塚だよ。

 好きだよ。

 愛してる。

 世界で誰よりも、この世で一番手塚を愛してる。

 それだけは絶対に言えるから。

 言葉じゃ言い表せないくらい、手塚のことが好きだ」





そこで入る、録音終了の音。

乾はそうして満足げな笑みを浮かべた。

きっとこの録音を聞いた手塚は、携帯電話の前で更に顔を赤くして蹲っているのだろう。

馬鹿乾、なんて悪態を吐きながら、メッセージを聞きなおしてまた顔を赤くして。

ご丁寧にメッセージを保存して保護しているかもしれないな、などと思った。


きっと五分後には泣きそうな、

けれども先ほどよりも随分と機嫌のよくなっただろう手塚から電話がかかってくることを予想しながら、

乾はパソコン画面を開き、今週末の九州行き飛行機のチケットの予約を始めるのだった。