+可視光線 目に見えるものしか信じられない訳じゃない。 物や、音や、熱や、他の媒介を通して伝わってくる愛だけが欲しい訳じゃない。 けれど。 人間というものは、そんなに強いわけではないのだから。 時々、目に見えるものが欲しくなる。 この腕でしっかりと抱ける、確かなものの存在を望みたくなる。 それが、どうして悪いといえようか。 ベッドの上、いつもならば望むはずの暗闇を好まず。 電気はつけたまま。 ただ、光の中で、形あるものの存在を、この目に焼き付けた。 形あるものはこうして、強い現実感を伴って、人の意識下に存在する。 しかし、人の感情が、現実に存在するということなどない。 何をもってその存在を肯定するかは、全くの個人の自由に委ねられるのだ。 手塚はベッドに腰掛け、ゆっくりと部屋の中を見渡した。 相変わらず、生活感のない部屋。 物が散らかっているはずなのに、 その部屋の人物が生きている匂いが全くしないのは、 きっと、乾はこの部屋で『生きていくための活動』をしていないからなのだろうと。 ぼんやりとそう思った。 風呂には先ほど入った。 今は、乾が風呂に浸かっている。 乾が風呂に向かう前、 『大人しく待っててね』 と、まるで子供を諭すかのように頭を撫でたので、 きっと自分のことを忘れているわけではないのだろうけれども。 余り風呂の長くない乾が、いつもより少し風呂から上がってくるのが遅いのは、 風呂の中で、ふと浮かんだ疑問でも、頭の中で整理しているのだろうと、 容易に予想できてしまった。 別に、忘れられているわけではないのだろうけれども。 それでも少しだけ、淋しい思いがするのは否めない。 風呂上りの体は少し冷えて、掛け布団をばさりと頭からかぶると、 ドアの向こうから、僅かに焦ったような足音が聞こえてきた。 『ごめん、手塚・・!ちょっと考え事・・』 ドアを開いた途端に言い訳を口にした乾は、 けれども部屋の中の現状に驚いて、言葉を途切れさせた。 部屋の中の電気は煌々とついたまま。 閉めたはずのカーテンはいつの間にか開けられていて。 そうして自分の恋人は布団を被って姿さえ見えないとなれば、 誰しも呆気に取られずにはいられないだろう。 「手塚・・」 僅かに困ったように、乾が呟く。 それでも何も答えずにいたら、実力行使に出た乾に、 ペロリと布団の端を捲られた。 「風呂遅かったのがそんなに嫌だった・・?」 逃げ回るのも馬鹿らしく、そのまま素直に布団の中から出てやる。 僅かに腰を屈めた乾と、ベッドに座った手塚の目線が丁度同じくらいの位置にあり、 好都合だと、手塚は乾に手を伸ばした。 「眼鏡、取れ。」 「・・なんで?」 訝しげに、乾が問う。 「なんでも、だ。」 有無を言わさない、と瞳で訴えると、乾は苦笑いを浮かべながら、眼鏡を外した。 外した眼鏡は、サイドボードの上。 コトンと乾いた音を立てて、その場に収まった。 「眼鏡を外しましたよ、お姫様?」 お姫様というフレーズには僅かに眉間に皺が寄ったのだが、 次は何をご所望ですか、と、まるで従者のような言葉を紡ぐので、 手塚は気にせず、次の指示を下した。 「服を、脱げ」 手塚の言うことに逆らう気が起きなくなったのか、 乾は上に羽織っていただけのシャツを、脱ぎ捨てた。 そうして静かに手塚を抱き締める。 「次は?」 耳元に響く、魅惑的な声音。 それが闇の中に潜む熱を思い起こさせて、手塚は僅かに体を震わせた。 「俺を見ろ。目を、逸らすな」 不遜とも取れるその言葉に、乾は小さく笑みを零す。 そうして、邪魔な眼鏡のない乾の瞳が、手塚の傍に近づいてくる。 乾は手塚が望んだ通り、決して視線は逸らさなかった。 次第に近づいてくる乾に、手塚は反射的に目を閉じた。 それとともに、舞い降りてくる、口づけの感触。 下唇を甘噛され、じわりと下肢に痺れが走る。 手塚はゆっくりと瞼を上げた。 そこにはきっと乾の、真っ直ぐに自分を見つめる視線があるのだと疑いもせずに。 目を開けた瞬間、やはり、強い視線が手塚のそれとぶつかった。 視線は逸らさず。 自分よりも大きく優しい手が、手塚の頬に触れた。 「手塚、怖いの?」 愛とはあまりにも不確かなもので。 全てを確かに存在するものとして、見ることなどできはしないのだけれども。 時にはこうして、まるで愛というものが、その場にあるかのように、 見たくなってしまうのだ。 人間の、不安定だけれども、確かな潜在的欲求。 「見えないことが、怖い、なんてことはないよ」 そう言うと、乾は静かに手塚を抱き締める。 手塚を抱きこむように、ぎゅっと。 きつく、強く抱き締められて。 乾の熱しか感じず。 部屋の光など、取るに足らないものの一つとなった。 乾の胸に抱きかかえられながら、体を伝わる穏やかな乾の声を聞いた。 「視覚なんて、人間の一つの感覚器官にすぎない。 そんなものに頼ったって、本当のものなんて何も見えてこないよ」 乾の手が、手塚の体をなぞる。 首筋、背中、と伸びた手は、下肢の際どい部分にまで触れる。 「見えなくたって、怖くないでしょ?」 諭すような声が耳に響き。 首筋にチリ、と快感とも甘さとも取れない痛みが広がる。 いつしか自らの息も上がっていき、 体を這い回る指の、一つ一つまで意識が届くまでに意識が研ぎ澄まされていく。 「第一」 手塚の体の中、奥深くに直接、響いてくる声。 蠢く体の中の熱と同化して、あまりの熱さに身動きがとれなくなる。 「愛なんて、見るモノなんかじゃなくって、感じるものなんだからさ」 甘く響く吐息は、思考の波に飲まれ、 自分を抱う愛しい人の名を呼べば、望むように抱き締めてくれる。 遠く、耳の奥で、そんな乾の声を聞いて。 手塚は自分の頭で物事を考えることを放棄した。 |