幸せであるということ。 幸せで在るということ。 君なしでは語れない、自分だけの真実。 +君に幸あれ 風邪をひいた。 自分の誕生日であるというのに、風邪をこじらせた。 最近毎日夜遅くまでデータ整理をしていて、その無理がたたったのだろうか。 昨日は、普段であればなんら体調に影響を及ぼさないほどの夜更かししかしていないのにも関らず、 朝起きてみると体が鉛のように重かった。 親はもちろん家にはいない。 それはとても日常的なことで今更何の感慨も起こらないのだけれども、 流石に自分の生まれた日に一人で家にいるのは少しだけ淋しく思える。 それに。 誕生日の日に愛する人にも会えないのかと、自分の愚かさに嫌気がさす。 きっと今日の日のために、必死で何をしようか考えていてくれていたに違いない手塚のことを思うと、 体以上に心が痛んで仕方がなかった。 しかし感情だけで、体が動いてくれる状況でもなく。 乾は重い体を引き摺り、自力で何とか学校へ欠席の連絡を入れると、 それから再び泥のように眠りこんだのだった。 それから、どれくらい眠っていたのだろうか。 気がつくと朝よりも幾分か体は軽くなっていた。 朝からしっかりと眠った効果があったのだろう。 乾は布団から上体を起こし、ベッドサイドの時計を見ようとした。 その時。 ふと額からずり落ちるものの気配があり、乾は驚いてそれを眺めた。 それは自分が用意した記憶は全くない、適度に冷やされたタオルであった。 誰かがこれを額に乗せておいてくれたのだろう。 一体誰が、と思ったとき、がちゃりと部屋のドアが開いた。 「・・手塚」 そこにいたのは思いもかけない人物であった。 今日は愛する彼に、会えないと思っていたのに。 「どうしてここに・・?」 突然降って沸いた幸運に驚いて、焼け付くような声を絞り出す。 すると手塚は僅かに目を伏せた。 「・・お前が休みだと聞いて、抜け出してきた」 その言葉に乾が時計を見ると、時計は12時を指している。 きっと手塚は、学校に行ってから授業をさぼって乾の家に来たのだろう。 あの真面目な手塚が、だ。 「・・悪いことをしたね」 ごめん。 そう、口にすると、手塚は視線を上げてこちらを強い視線で見つめる。 「・・っ!俺が自分で選んできたんだ! 迷惑だとは思っていない」 その勢いに呆気にとられて、それから乾は小さく笑みを零す。 「・・そうだね、有難う、手塚」 手を伸ばして、手塚をこちらへと誘う。 すると手塚もその意味をすぐに理解して、腕の中へと飛び込んできてくれる。 年に一度、自分の生まれた日に。 会えないと思っていたこの世で一番愛する人を、この腕で抱き締めることのできる喜び。 それは他の何よりも乾に幸福を与えてくれる。 「手塚、タオル有難うね」 素直に礼を告げると、首に抱きついたままの手塚が、小さく頷いた。 「・・心配、したんだ」 「ごめん」 「俺の知らないところで倒れるな」 愛する人の強烈な告白に、眩暈すらする。 弱った体に流し込まれる愛の言葉はとてもとても直に体に響いてくる。 まだ幾分、体はだるかったけれども、思う存分に手塚の体を抱き締めた。 「有難う。 強烈な愛の告白だね」 「・・!そんなつもりではな・・!」 「はいはい」 軽く諌められた手塚は何だか少し不機嫌だったけれども、今日は乾の誕生日だからだろうか、 手塚はいつもよりも随分と大人しい。 そんな手塚を堪能していると、突然腕の中から手塚ががばっと抜け出して、乾と視線を合わせた。 「・・何かして欲しいことはないか? 今日は誕生日だから特別だ」 手塚の突然の申し出に驚いたのは乾の方だ。 何でも、というところに不埒な妄想しか浮かんではこず、 乾は思わず今はかけていない眼鏡を直す仕草をしてしまう。 「?」 変な行動の乾に手塚は小さく首を傾げたが、乾は小さく咳払いをして、煩悩を振り払う。 手塚は学校から抜け出してきただけで、これから学校へ戻らなくてはならないのだ。 それでは、そう易々と手を出すわけにはいかない。 内心でそう納得をして、乾は少しだけ飛びかけた思考を必死で繋ぎとめた。 「・・昼ごはんを作ってくれる? 実は朝から何も食べていないんだ」 そう言うと、手塚の表情がぱぁっと明るくなる。 「お前のことだからそうだと思っていたんだ。 何が食べたい?」 そう聞かれて、乾は少しだけ考える。 なるべくさっぱりしたものを、そして手塚にも作れるものを。 考えて咄嗟に口について出たのはこんな言葉だった。 「冷やし中華が食べたい」 それから。 手塚は乾を無理矢理寝かしつけてから、キッチンへと一人向かった。 幸いにして冷やし中華の材料は乾の家にあったので、手塚が買い物に行くという手間はないのだが、 料理をあまりしたことがない手塚は、冷やし中華を作るなど初めてだろうから、 キッチンから、がたん、という大きな音が聞こえるたびに不安に駆られた。 しかし、一度キッチンへ顔を出したときに、手塚に烈火の如くに怒られてしまったので、 今は大人しくベッドで体を横たえている。 手塚はきっと、必死になって自分の願いをかなえてくれようとしているのだろう。 先ほど一度キッチンへ行ったときに、側に手塚があまり使うことのない携帯電話が置いてあった。 きっと、料理の得意な友人――98%の確率で菊丸英二なのだろうが――に電話をかけて、 作り方を教えて貰っていたに違いない。 乾はベッドには体を横たえているが、手塚のことが気がかりで一向に眠くならない上体で、 手塚の料理が出来上がるのを待った。 そして、一時間後。 綺麗に彩られた冷やし中華を持って部屋に手塚がやってきたのだ。 手塚にしては一時間は上出来、といったところだろうか。 恐る恐る、といった感じで部屋に入ってくる手塚を、乾は手招く。 見たところ冷やし中華はとても美味しそうにできている。 手塚はもともと何事も器用にこなしてしまうし、それに。 自惚れかもしれないが、この冷やし中華には自分への愛が詰まっている。 だからこそ、美味しいに違いないと乾は思うのだ。 「・・味見はしたから多分大丈夫だとは思うが・・」 「心配しなくても大丈夫だよ。有難う」 箸と冷やし中華を手塚が差し出す。 冷やし中華には、ハムときゅうりとタマゴが綺麗にトッピングされていた。 これも、菊丸の受け売りだろうか。 「・・手塚」 食べる前に手塚の名を呼ぶ。 すると手塚は小さく体を震わせる。 「・・なんだ、やっぱり不味そうで食べられないのか・・?」 「いや、そんなことは絶対にないよ! そうじゃなくて・・手塚に、お願いがあるんだ」 「願い?」 首を傾げる手塚に、乾は一つ頷く。 「うん、何でもしてくれるんだよね?」 「・・そうは言ったが」 不審げに眉をしかめる手塚に、乾は小さく笑う。 「食べさせて」 「・・今何と言った?」 「だから、手塚に冷やし中華を食べさせてほしいなって言ったんだよ」 乾の言葉に、手塚が固まる気配がした。 けれど乾は隙を与えずに言葉を続ける。 「何でもしてくれるって言ったじゃない。 俺、病人だよ」 「・・そんな元気な病人がいるか」 手塚は小さく肩を震わせていたが、乾は負けずに言った。 「ほら、早くしないと折角の冷やし中華が美味しくなくなっちゃうよ」 すると、手塚もしぶしぶ了承してくれて。 「・・今日だけだからな」 僅かに頬を染めながら、手塚は箸を持って、冷やし中華を乾の口元まで運んでくれた。 それを乾が口に頬張る。 口の中に走った酸味が心地よい。 手塚が作ってくれた冷やし中華はやはり、乾が食べたどんなものよりも美味しかった。 「美味しいよ、手塚。 ・・有難う」 素直に心からの礼を告げると、手塚はまた頬を染める。 それから。 手塚は残りすべての冷やし中華を口に運んでくれた。 全て皿の中が空になったころ、時計の針は既に2時を指していて、その時間の速さに乾は驚いた。 「・・手塚、学校はどうするの?」 「・・もう、行かない」 冷やし中華の皿を下げながら、手塚がそう告げる。 「・・今日はお前と一緒にいるんだ」 その言葉と共に、耳まで真っ赤にした手塚がばたんとドアを閉めて部屋から出ていった。 乾はにやけてしまう自分の顔を押さえることができなかった。 きっと手塚はドアの向こうで真っ赤になっていることだろう。 今度部屋に戻ってきた手塚に、次は何をお願いしようか。 そんなことを思いながら乾は、こんな誕生日もたまにはいい、とそう思ったのだった。 君が側にいてくれる幸せ。 君が側にいてくれるなら、いつも幸せ。 Happy Birthday dear Sadaharu Inui !! |