+昼下がり+





屋上へと続く階段を、足早に上る。

日の当たらないひんやりとした階段は、他に人もいなく、ひっそりとしていた。

昼休みには生徒たちはほとんど購買か教室で昼食を摂る。

屋上まで通じる階段が教室から少し離れているという理由からでもあるのだが、

わざわざ日の当たる暑い屋上まで来て、昼食を摂るものも珍しい。

手塚はカツンカツンと階段に響く自分の足音を聞きながら、屋上を目指した。



生徒会長とは、色々煩わしい仕事が多くてならない。

自分がやらなくてもいい仕事まで回ってくるという役員たちの手際の悪さは、

何とかしなければならないだろう。

そして今日も昼休みに生徒会の仕事が回ってきて、昼食に遅れてしまった。

いや、遅れるだけならましな方だろうか。

本当に仕事に忙殺されているときは、昼食ですら摂れないこともある。

・・・あまりに手塚が人間であるということを他人に忘れさられている気がしてならない。

この仕事をすると決めたのは自分であり、大きく文句は言えない。

けれども昼休みに仲のよい友人たちと昼食を摂るという、貴重な安らぎの時間くらいは、

仕事をしたくないという我侭を言っても罰は当たらないのではないだろうか。

手塚は僅かにため息をつく。



手塚が階段をのぼる度に、手にしている包みの中の弁当箱が鳴る。

ようやく見えてきた屋上の光にほっと胸を撫で下ろしながら、手塚は扉を開けた。

辺りを見回して、いつも共に昼食を摂っている場所を見渡す。

青学テニス部3年レギュラー陣は仲がいい。

どれくらい仲がいいかといえば、こうして昼休みにクラスが違うのにも関らず、

皆で屋上に集まって昼食を摂るくらいである。

まるで昔からともに育ってきた兄弟であるかのような6人の雰囲気に、手塚はいつも安心する。

下手な友達とは違い、気遣いをすることもない。

お互いを知っているからこそ、余計な気を遣わないで済むのだ。



手塚は、いつも昼食を摂っている場所へと足を向ける。

やはり屋上には他に人はいなく。

テニス部レギュラーで貸切のような状態であった。

手塚がレギュラー陣の姿を認めて、足を向ける。

しかし、手塚はいつもと違う雰囲気に気がついた。

今手塚がいる場所からは、死角になっていて、不二と菊丸の姿しか見えないのだが。

何故だか不二と菊丸は、ただ一点を見て動かないのである。

手塚は不思議に思いながらも、そっとその二人に近づいていった。


「・・不二、菊丸」


少しだけ躊躇いながら声をかければ、二人とも気がついて、こちらを向いた。


「ああ、手塚。お疲れ〜」


「今日は早かったね」


二人の対応はいつも通りなのだが、二人ともいつもより声を抑えている。


「・・・・・?」


手塚がやはり不思議そうな顔で二人の顔を交互に見れば、

不二と菊丸が顔を見合わせて、柔らかく笑みを零した。

何が、あるのだろうか。


「あれ、見てよ・・手塚」


不二に指さされ、その方向を向く。

すると、今までみたことのない光景に、手塚は一瞬声を失った。


「どう・・?なんだか珍しいでしょ」


不二が口に手をあてて、嬉しそうに笑う。

これは不二が笑うときのいつもの仕草だ。


「俺たちが来たときには、3人ともこうだったんだ」


菊丸の言葉に、手塚はただただ頷いてみせた。


今まで手塚の視界に入っていなかった他のレギュラー3人は。

3人が3人とも、屋上のフェンスに背をもたれさせて

眠っていた。

左から、乾、大石、河村。

穏やかな太陽の日差しの中で、

不二や菊丸や手塚が来たことに気づかないまま穏やかに眠っている。


「僕たちも驚いたけどね」


不二がやけにいとおしげな視線で、3人を見つめていた。

自分たちの前で滅多に弱音を吐いたり、弱さを見せたりしない彼らが。

こうして無防備に眠っていることが嬉しいのであろう。

もちろん、手塚もそう思う。


「ああ、俺も驚いた・・」


手塚は素直な感想を述べる。

この3人が自分たちが来ることを分かっていながら眠っていたことなど、

今まで一度もなかった。

そういう、どこかで自分たちを甘やかしてくれる人物たちだったからだ。


「皆疲れてたんだにゃー」


手塚もこっくり頷いた。

河村は家の手伝い。

大石はクラス委員に副部長。

乾は次の相手校のデータ集めと、練習メニュー作り。

自分ももちろん忙しいのだが、こういう姿を見ると、ああ疲れていたのだなと素直に思う。

手塚は部長であったり、会長であったりするのだが、

一番上という役柄上、その責任や名前に重きを置かれることが多い。

だからこそ、滅多に細々とした仕事は回ってはこない。

こうして眠っている3人を見ると、どれほど仕事をこなしているのかと、心配にもなってくる。


「にゃー」


菊丸が手塚と不二の袖を軽く引っ張った。

二人が振り返ると、菊丸は2人を引き寄せて、内緒話をするかのように3人で丸くなった。


「でもさ」


菊丸が手塚と不二の顔をそれぞれに覗き込む。


「なんだかうずうずしにゃい?」


菊丸がニッと悪戯っ子のように笑う。


「そうだよね。僕もそう思ってたんだ」


それにつられるように不二も、ニッコリと笑みを零す。


手塚は穏やかな表情で寝ている乾に視線を移した。


いつもなら。

仕事で遅れた手塚を、優しい笑顔で『お帰り』と迎えてくれるのに。

今日はそれにも気づかないで眠っている。



それは、何だか。



少しだけ。



ムカつく。



「ねっ、手塚もそう思わない?」


楽しげに不二は手塚の背中を数回叩いた。


「・・ああ」


不二の言葉に、手塚も眉を顰めながら頷いた。


「じゃあ、いっきますか!!」


菊丸が小さく腕を上げて、拳を握る。

それに不二は笑い、手塚は深く頷いてみせた。


「せーの」


菊丸の掛け声とともに菊丸と不二と手塚は眠っている3人と向き合った。

そうして、3人で声を合わせた。


「「「起きろー」」」


それぞれの特徴のある声が、青く澄み切った空の下に響き渡る。


そうして。


容赦なく、3人で、眠っているそれぞれの思い人の腕の中に飛び込んでいった。

























「「「うわっ!?」」」



























+++++++++





手塚はクルリと方向を変えて、乾の正面に立つ。

まだ乾は気持ちよさそうに眠っていて。

そんな姿にまた、ムクムクと悪戯心が湧きあがってくる。


「せーの」


菊丸の掛け声とともに手塚は乾に呆れたような声でこう言った。


「起きろ。」


手塚ももちろん大きな声で言ったのだが、

隣の菊丸と不二の声に掻き消されて、余り響かなかったかもしれなかった。

そうして、フェンスに寄りかかって気持ちよさそうに眠っている乾の腕の中に飛び込んでいった。

もちろん、手塚はほんの少しだけ手加減をしたのだが、

菊丸は真っ直ぐに大石に突進していた。

・・少し、そんな大石が哀れに思えた。


「・・うわっ!?」


びっくりしたような顔で、乾が目を見開いた。

寝ているところに突然飛び込んでこられたら、誰だって驚くだろう。

手塚はそんな珍しい乾の姿をじっと眺めた。

そういえば、乾は。

昼寝をするときも眼鏡は外さないのか、などと。

どうでもいいことを考えてしまった。

乾は腕の中に収まっている手塚の存在を認めて、苦笑いを浮かべる。


「珍しいね、手塚がこんなことするなんて」


乾の手が手塚の頬に伸びてきて、スルリと撫でられる。

指が頬を伝い、髪の毛に触れ。

風で少しだけ乱れた髪の毛をいとおしげに撫でた。

手塚はその柔らかい感触に、思わず瞳を閉じる。

瞼の向こうで、優しい表情で手塚を見つめているだろう乾が容易に想像できてしまう。


寝起きの、僅かに掠れた乾の声で。

心乱されてしてしまう、自分が口惜しい。



「お前が寝ているのが悪いんだ」


思わず悪態をついてしまう。

触れてくる乾の手をぞんざいに振り払って、手塚はクルリと方向を変え、乾に背を向けた。

見えはしないけれども、手塚の後ろで声を抑えながら笑っている気配がして。

手塚は益々機嫌を損ねた。

自分を抱き締めているこの腕を引っ掻いてやろうかとも思ったが。

さすがにそれは躊躇われた。


乾の腕が首筋を伝う。

悪戯な指先はワイシャツの襟元から進入してきて、手塚の鎖骨に触れた。


「・・馬鹿!」


何をするのだと、乾の手を振り払おうとした途端、頬に乾の髪がサラリと触れ。

今もまだ僅かに掠れている声が、耳元に触れた。


「寂しかった・・?」


熱を含むその声に、手塚は体を慄かせる。

途端に体の奥から湧き上がってくる熱を否定するかのように、手塚は声を荒げた。


「な・・!そんな訳が・・!?」


首だけで乾を振り返ると、ちゅ、と温かい唇が手塚の唇へと重ねあわされた。

軽く触れるだけのキス。

不意打ちのそれに目を閉じる暇も、抵抗する間もなく。

目を見開いて乾を見る。




「手塚」




後ろからぎゅっと抱き締められる。

上から圧し掛かられるように抱き締められて、

余りの苦しさに手塚はばたばたと手足を動かした。


「・・馬鹿!ここをどこだと思って・・」








「好き」







耳元でそう囁かれて、手塚は抵抗するのをやめてしまった。

脳へと直接入ってくる声。

ストン、と全ての力が抜ける感覚。

乾の熱が手塚にも伝わってくる、そんな思いに手塚はぎゅっと拳を握り締める。

乾は時々こうして、手塚の中に燻っている甘い感情を、見事に沸き起こしてくれる。

言うことの聞かないこの体が恨めしい。

上手く乾に扱われているようで、そんな自分に少しだけ口惜しさが募る。


手塚が抵抗をやめると、乾が後ろから手塚を抱き締めたまま、肩の上に頭を乗せる。

そうして頬に唇を寄せられた。








「好きだよ」








再び囁かれた言葉に、手塚は瞳を閉じる。


「・・馬鹿」


手塚は自分を拘束している乾の腕を解かせて、再びクルリと体勢を入れ替える。

乾と向かい合う体勢になって、少しだけ高くなった視線を乾のそれと合わせる。

分厚い眼鏡の奥にある乾の瞳は、どこか嬉しそうな色を含んでいて。

その色を直に見たくて、顔にかかっている邪魔な乾の眼鏡を外した。

遮るものが何もなくなった瞳は、その中に隠すことのできない熱が宿っている。


「・・馬鹿」


口の中で小さく悪態をついて、乾の頬に触れた。

そうして今度は自ら。

唇を寄せる。

触れるのには片手では足りなく。

左手で持っていた乾の眼鏡を、放り投げるようにして、近くに置いた。

乾いたコンクリートにフレームが触れ、雲ひとつない青空の下に、カラリと小さな音が響いた。


















































本当に、馬鹿なのは。

乾を

深く愛してしまっている、



この自分。












































余談。


「!!大石!俺もあれやって〜!!」


「河村・・僕も・・」





((・・あ、あれだけは・・))







いちゃつく二人を尻目に、神経をすり減らされたのは、

やっぱり。

青学テニス部の中でも心の優しい、あの二人なのでした。