+孵化・2+





どくん。



どくん。



どくん。



どくん。







聞こえるのは自らの心音?


それとも。


今にも崩れ落ちてしまいそうな地面の音なのだろうか。





・・・・。








この場所から離れることが

今の自分にとって一番正しい選択なのだということは知っていた。



けれども、動けなかった。



彼が自分のことをどう思っているのか、聞くことができると思ったから。

何か、何でもいい。

何かを聞くことができれば。

この感情の名前が分かるような気がした。


それと同時に、聞きたくないという気持ちもあって

自分を守ろうとする臆病な部分のために、

手塚は自分の耳を塞いでしまいたいような感覚に襲われた。




聞きたいという気持ちと、聞きたくないという感情が拮抗して、動くことさえできない。





部室の外で並んで座っているのは、不二と・・乾だった。




『・・乾が手塚にあんなこと言うとは思わなかったよ』




笑顔の裏にいつも違う何かを孕んでいるように見える不二が

いつもと変わらぬ笑みを乾に向ける。




『なんか煮詰まってるみたいだったからね』




乾は大して興味もなさそうにそう呟いた。

部室の壁に背を預けて座る乾の姿に、自分の全部の神経が集中していることがわかる。

他人の言葉を一言も漏らさず聞いていたいと思うのは初めてだった。

そういう意味からして、乾は手塚にとって、『他人』ではないのだろうと思った。




『不二だって分かってただろ?』


乾の表情は分厚いレンズに阻まれて伺うことはできない。

けれども、きっと当然のように乾は言葉にしたのだろう。


乾の言葉に不二は再び笑顔で返した。




『僕だけじゃない。タカさんだって英二だって大石だって。みんな気がついてたよ。
それぐらい僕たちの付き合いは長いでしょう?』




不二の言葉に乾はそうだなという風に頷いた。




『俺たちは時にはいいライバルでもあったけど、ずっと同じチームで戦ってきた仲間だからな』




乾の一つ一つの言葉が細胞に染みこんでいく音がする。




殻を破ってくれた乾の言葉を、一つも逃さないようにと体が反応する。




不二は少しだけ眉を顰めて、遠くにある校舎の方をただ見つめていた。




『だけど手塚にそれを言ったのはお前だけだ。・・乾しか言えなかった』




不二の言葉に、乾は少し驚いたような顔をした。




『そんなことないだろう』




『いや、乾にしか言えなかった』




『気づいてたのはみんな同じなんだ。誰かが言うか言わないかの違いだろ』




『・・なんだ、気がついてなかったんだね』




不二の言葉に、乾は一つため息をつき、表情のない顔で遠くを見つめた。


乾と不二の会話はいつも何かが足りない。

けれども、お互い語らずとも分かり合えるほど、相手のことを分かっているのだ。

それが、三年間という時間の結束。




『・・さあね』




どくん。



どくん。



息が喉の奥で詰まりそうなほど、体が緊張しているのが分かった。


読めない乾の表情に少し笑ってみせて、

そして不二はふと、

滅多に見せない悲しげな表情をしてみせた。




『僕はてっきり、殻の中にいる手塚を孵化させてくれるのは乾だと思ってたけどね』




どくん。



どくん。



不二の言葉に、今度は表情一つも変えずに乾は言った。


ここにいる自分が、どれだけ体を強張らせながら聞いているのかも


きっと知らずに。




『ああ、俺は駄目だよ』




不二は目を閉じて、何かを予感するかのように小さく笑った。





『俺は未来永劫、海堂のものだから』




そう、言葉にした乾は、どこか誇らしげに見えた。





どくん。




どくん。





握り締めた手のひらには爪の後がしっかりついていた。


手を顔の前まで持ち上げ、ゆっくりと開くと、

血も通っていないかと思うほど、熱がなかった。





聞きたかったはずの乾の声は

一番残酷な形で手塚に聞こえた気がした。









初めて、自分の中に衝動のような感情があるのを知った。


あの後輩が。


心底羨ましくて、


乾に愛されてやまないあの後輩から。














乾を、奪ってしまいたいと思った。









この感情の名前は何?