+自由な鳥+





そろそろ夏もやってこようかという6月。

梅雨に入る前の空は、もう既に夏がきたのではないかと思うほど青く輝いている。

乾は額に手をかざし、空を仰いだ。

そろそろ、外で部活をすることが大変な時期になってくる。

あまりに過激な運動をすれば、体を壊しかねない。

メニューの改編が必要だ。

そう思いながら、乾はふとコートを見回した。

辺りには、レギュラー陣とその他の生徒が練習を行っていた。

もちろんレギュラーである乾も練習をしなければいけないのだが、

マネージャー業が身についてしまった乾は、自分の練習を行いつつも、

他の生徒の練習を眺めることも日課としていた。


今、コートでは桃城と海堂がラリーを行っている。

どちらもお互いには負ける気はないらしく、ラリーは果てしなく続いているのだが、

それがきっとお互いを高めあっているということには二人とも気づいていないに違いない。


乾は再び辺りを見回す。

手塚。肘の状態が心配されるが、今の状態は良好だ。

不二。いつもデータを簡単に取らせてはくれない不二だが、

同じくラリーをしている相手の大石が粘りを見せて、いつもは見せない片鱗を見せている。

これはチェックしておくべき価値はあるだろう。

・・・河村、大石、菊丸。

皆夏の全国大会に向けて、着々と実力をつけてきている。

河村に至っては最後の大会ということで、更に熱が入ってきているようだ。

そこで乾はふと、あることに気がついた。

あの1年のルーキーがいないのだ。

コートの隅から隅まで見渡してみても、やはりその姿を認めることはできなかった。

乾は僅かにため息をつく。

一体どこに行ったのだろうか。

部活中に外へ行くときには手塚の了解を得なければならない。

しかし、越前がそんなことをしていた記憶は乾にはなく。

乾が越前の相手を指定しなかったからであろうか。

あのルーキーはふらふらとどこかへ出かけてしまったようだ。

別に乾にとって困ることはないのだが、今ラリーをしている大石がラリーを終え、

それに気づいたときにひどく心配するであろう。

乾は再び深いため息をついて、越前が行きそうなサボリ場所を数箇所頭の中に思い浮かべ、

そこに向かおうとコートの外へと体をクルリと反転させた。

乾ももちろん手塚の許可なしにはコート外へは出ることができないのだが、今手塚もラリー中だ。

緊急事態ということで、許されるだろう。

乾は持っていたノートを閉じて、コート内を歩き出した。


その時。


目の前に不意に、一枚の真っ白い羽根が、ふわりと空気に乗って乾の前に舞い降りてきた。

それは穏やかな海を漂うように、ゆっくりと左右に揺られながら落ちてくる。

何かに追い立てられるような、そんな部活中の雰囲気とは違う、

どこか優雅なその羽根の仕草に目を奪われる。

時間さえ、その羽根のために止まってしまったかのように、それはゆったりと空気中を泳いだ。

太陽の光に照らされて、羽根の先がキラリと輝く。

しばしの間、乾はそれに目を奪われていた。


乾はゆっくりとその羽根に手を伸ばす。

するとその羽根は、そこへ収まることが当然であるかのように、ぴたりと乾の手の平に乗る。

どうしてそうしたのだろうかは自分でもよく分からない。

ただ、自分の手の中に収めることが一番よいことであるような気がした。


丁度その時だった。








「先輩」








上から降ってきた声に、乾は反射的に後ろを振り返る。

咄嗟に上方を振り向くと、目にキラリと太陽の光が射しこんできて。



その瞬間。



視界が、真っ白に染まる。



何も混じるものはない、純粋な、白。



目を焼かれるような眩しさと、絶対に汚すことのできない、まっさらな。

乾の瞼に焼きつく白は、脳裏に先ほど触れた純白の羽根を思い起こさせる。


染まる視界の外から、乾の耳へと聞こえてくる、たった一つの声。








「ちゃんと受け止めてくださいね」







頭の上から声が降ってくる。

乾の姿を見てだろうか、その声はひどく楽しそうだ。

誰の声だろうと、いつでも稼動可能な脳が判断を下す前に。

それは起こった。



額に手を翳し、やっと開けてきた視界に、声の主の姿を認める。

それと同時に。



ふわり。

そんな効果音を伴って、越前は審判席の上から。

舞い降りてきた。



キラリ、と太陽に照らされて、越前の白いジャージが輝く。

またもや、脳裏に映し出されたのは、真っ白で、綺麗な


あの羽根。



乾は咄嗟に手を伸ばす。

しかし、それは間に合うことなく、宙を切る。

思わず開いた手の平から、掴んでいた羽根が再び空気中へと舞い上がる。

細い手が乾に触れ、同じく細い体が乾の腕の中に収まった。



「・・うわっ!!」



ダイレクトに乾に飛び込んできた越前に、耐えることができなくて、そのまま背中から倒れた。

なんとか堪えたため、そんなに強打することはなかったのが幸いと言えようか。

目を閉じて、その衝撃をやりすごす。

じんじんと、鈍い痛みを発する背中。

痣くらいで済めば上出来だと、頭の中で湿布の在り処を思い出し始める。 



体の上に感じる重み。

乾は今、上を向いて倒れている状態で。

瞼の上には容赦なく太陽の光が降り注いでいる。

真っ白な視界の中、自分の上に倒れこんでいる越前に手探りで触れて。

手が越前の髪に触れたのを確認して、乾は僅かに上半身を起こした。



そうして目を開くと、同じく、太陽の下にさらされて、キラキラと光っている越前がいた。



「だらしないっすよ、先輩」



自分の上に乗ったままの越前は、上目遣いでそう笑った。

その笑顔は乾のデータの中には全くなく。

ひどく楽しそうに、けれども艶を含んだ顔に乾は思わず息を飲む。



「背高いのに、案外自分の周りは見えてないんすね」



越前が体を動かす度に、瞳に映った光がキラキラと揺れ動く。

彼はいつもこんな色の瞳をしていたのだろうかと。

あまりの美しさにただ視線が奪われる。



「どーせ俺のこと探すとき、下ばっかり向いてたんでしょ?」



越前の手が乾の頬に触れる。

挑戦的な笑みを浮かべながら、彼はかわいげのない言葉を口にする。



「ふざけてるよね」



ふわりと、先ほど宙に舞ったあの羽根が。

空気の波を漂うかのように、ゆっくりと穏やかに舞い降りてきたかと思うと、

そっと越前の肩に乗った。


まるでそこに収まることがさも当然であったかのように。

羽根はその場で光を発し。

越前はそれを気にすることもない。




「ねぇ、俺を見てよ。もっと」




強い視線が乾に注がれる。

鷲づかみにされ、持ち去られた心は

もう、戻らないらしい。


乾は心の奥から湧き上がってくる甘い衝動を抑えて、

ただまっすぐに越前の視線と対峙する。



そうして。

生意気にそう言う越前の頭を。

乾は苦笑いを零しながら、ガシガシと撫でた。

色気の欠片もないそれに、我侭な王子様はムッと頬を膨らませたのだが。











乾は。

ただ、こうして。

虚勢を張るのが精一杯だった。















「そうだね」




発せられた声は少しだけ上ずっていて。




「お前が・・」




目の前には、真っ白な羽根にも負けない、綺麗な越前。




「もう少しだけ大人になったら。」




もう、既に捕らわれてはいるのだけれど。

















































君が、

天使に見えたなんて。

口が裂けても言えない。