愛しい君にだけ会わせてくれないだなんて、神様は時に酷く残酷だ。





+大人になる君へ、子供のような幻想を。





中間テストも真っ只中の今日、六月三日。

もちろん部活はテスト一週間前からなく、彼と会う時間も減った。

部活があれば必然的に顔を合わせることになるのだが、

学年も違う上、家もそう近い訳ではないのだから、

意図しなければ彼と会う機会など滅多に無い。



彼とほとんど会わなくなってから早一週間。

あと二日でテストは終わるのは確かなのだけれども、

その残りの二日が随分と長く感じるのが実際のところだ。

別にただ何の変哲もない四十八時間であるはずであるのに、

時計の針が進むのはやけに遅く感じられ、こうして息をしていることさえも、

ひどくゆっくりとしているような気がした。


早く二日後になればいいのにと、気ばかり急いてしまっているのに、

時はそう簡単に進んでくれるはずもなく、

先ほど見たときより大して変わっていない時計を見ては、

一つ溜息をつく。



試験の真っ只中、けれども今日は乾の誕生日であった。

休み時間の間、他の生徒たちは皆必死に最後の追い込みをしているというのに、

余裕にも乾のクラスに集まってきた同学年のテニス部員たちは、

乾に思い思いの品を手渡してきてくれた。



大石は、この前乾が読みたいと言っていた本を。

河村は、自分の握った寿司を食べてくれと、かわむら寿司の招待券を。

不二はカジュアルな写真立てを。

菊丸は手作りのお菓子を。

・・菊丸のすごいところは試験前にこんなことをしていても、

器用にいい成績を取ってしまうところなのだが。

そして手塚は極めつけに、レトルトのスープスパを。

しかもスーパーのシールつき。

百九十八円。

消費税込みで二百七円というところだろうか。


『好きなのだろう?』


と小首を傾げて尋ねてくる手塚に、乾は曖昧に笑って返したが、

全国クラスのうちの部長はどこかズレているとしか思えなかった。



こうして皆に『誕生日おめでとう』と言われて、幸せな、

至極幸せな誕生日だったと言えるだろう。



父からは律儀にエアメールが届いた。

いつも外国を飛び回る父は、

けれどもこうしていつも自分の誕生日を覚えていてくれる。

手紙を開くと、十五歳になるにあたっての心構えが書いてあった。

いつもはそういうことを言う人じゃないのに、

こういう時だけはやけに神妙だから、どこかくすぐったい。

けれども愛されているのだという自覚は生まれて、

心はひどく軽くなる。



母からは、完結な文章のメールが届いた。

さっぱりした性格の母からは、シンプルだけれども、

優しい、

母独特の言葉が綴られていた。


普段はあまり、こんなことも思わないのだけれども、

こうして沢山の人に愛されているのだということを知ることができる日を、

作ってくれた神様に、有難うと伝えたくなる。

肝心なときに願いを叶えてはくれない神様も、

たまにもいいことするじゃないかと。



そんなことを思って乾はパソコンの電源を落とした。

そうして時計を見、また一つ溜息をつく。

誕生日終了まであと十五分。

自分の愛する人たち皆に祝ってもらったのだけれども、


一番愛する、彼には。


彼にはまだ、『おめでとう』の言葉すら貰ってはいない。




朝、ドアを開けたらそこにいるのではないかと期待していたのは、

もう遠い昔の記憶のようだ。

乾のクラスに来てくれるのではないかという期待と、

帰りに靴箱で待っていてくれるのではないかという淡い期待はいとも簡単に裏切られて。

携帯電話に来るメール一つ一つに期待をしてみるのだけれども、

待ち望んでいた彼からのメールはとうとう一つも来なかった。



試験中できっと、忘れているのだろうと一人納得をした。

一つのことに集中してしまうと、他のことがおろそかになってしまう桃城は。

きっと今は明日のテストのことで頭がいっぱいで、

一夜漬けに違いない教科を必死で勉強しているのだろう。

乾はそんなことを想像して、けれどもやはり小さな溜息をつく。



会いたい、だなんて言葉を発することなんてできなかった。

彼が苦しんでいるときに、簡単にその時間を奪うことなんてできないから。


年に一度の誕生日。

しかし生きていればまた必ず一年後に迎える誕生日。


だから今回は、無理をしてでも会おうなどとは思わなかった。

彼が覚えていないのなら尚更、二日後まで待とうと思ったのだ。

試験が終わった後に、きっと試験が終わって太陽みたいな笑顔を浮かべる桃城に会って、

実は一昨日誕生日だったんだと言えば、

桃城はひどくすまなそうな顔をして、顔の前で手を合わせて必死に謝ってくれるのだろう。



そんな光景が想像できて、乾は僅かに口の端に笑みを浮かべた。

別に、今日という日に拘る必要はない。

愛されていると、感じさせてくれる日がいつでも、

自分にとっての誕生日となるのだから。


乾は壁の時計を見、自分の誕生日の終わりがあと十分であることを知る。

一つ大人になったのだけれども、

あまり変わっているとは思えない自分を顧みて、

まだまだ子供なのだと思わずにはいられない。




欲しいものも欲しいと言えない、

大人ではない、ただの屈折した子供なのだ。




その時、不意に耳に届いた音に乾は思考を中断させた。

軽やかに響く高い音は、この家のインターフォンで。


深夜に近いこの時間に一体誰だろうと。


考えてみて、息を飲む。


まさか、と。




考える前に乾は玄関へと急いでいた。




ドアの外にいる人物を確認もせず、

閉めていたチェーンと鍵をもどかしげに開ける。

壊してやりたいような衝動に駆られながらドアを開けると、そこには。



紛れもなく、今まで望んでいた彼がそこに立っていた。



「こんばんはっす」


記憶の中と違わない太陽のような笑顔を向けられて、

乾は自分よりも一回り小さいその体をただ衝動的に抱き締めていた。

久し振りに腕に触れる体温に、乾はじっとその熱を味わう。

子供のように高い体温は、けれども乾の肌に優しく触れる。

名前の通りに甘い香りのする実物の彼に、眩暈すら起こしそうだった。


「・・どうしてだ?」


口をついて出た言葉はそんなもので、

整理できない現実と、けれども確かに存在している腕の中のぬくもりに、

ただそんな言葉しか口にすることができなかった。


体中の血液が沸騰するようで、頭が真っ白になる。

腕の中の彼が愛しすぎて指先が震えた。


「・・前、先輩が言ってたじゃないっすか・・。

 形あるものなんて要らないから、ただ一つ特別なものが欲しいって・・」


桃の言葉に、確かに以前そんなことを言ったという記憶が思い出される。

ふと尋ねられた質問に、特に何も考えなく返事をしたのだが、

まさかそんな些細なことを覚えていてくれたとは思わなかった。


「だから、色々考えて・・。

 本当はずっと先輩に会いたかったんっすけど、

 必死で我慢して」


乾はただ、一言も漏らさないように桃城の紡ぐ言葉を聞いた。

まるで清涼剤が心の中を浄化してくれるかのように。

心が透き通るようだった。




「今、乾先輩を独り占めしてるのって俺だけっすよね?」




表情はいつもの桃城なのに、声は僅かに不安そうな色を有していた。

桃城はその腕を静かに乾に回し、確かめるかのように背に触れた。


途端に堪らなくなった。


桃城の熱が乾の熱を煽るように熱く。

背に回される桃城の腕を引くようにして、

玄関の中へと招き入れる。

驚く桃城には構わず、

そのまま部屋の中へと引っ張っていき。


そのまま。


リビングのソファに押し倒す。

その上に圧し掛かると、乾は必死で桃城に口づけを落とす。

桃城の頭を抱え、

深く、

歯列をなぞってしたを絡ませて。

更に登っていく熱に耐えられなく飢えるように口付ければ、

桃城は乾の首に縋るように手を伸ばした。

求められていることに気づいて、

飽きることなくキスを続ける。



苦しくなって息を継ぐ際に、

僅かに視線を掠めたとき、

あまりに幸せで思わずお互い笑ってしまったほど。





ただ幸せで、ならなかった。





口づけの合間に、桃城が問う。


「気に入ってくれました?」


誰も勝てぬような幸せそうな顔で笑う桃城に、

乾は口の端で笑う。



「ああ・・。もちろん、他の何よりも気に入ったよ」



甘い言葉を口にして、再び口付ければ、

桃城はひどく嬉しそうに笑う。






「先輩」



「ん?」




桃城の腕が伸びてきて、

頬を両手で挟まれて。

じっと。

目を見つめながら、

最愛の彼は、乾を一番の幸せの高みに導いてくれる。













「誕生日おめでとうございます」












「・・有難う」


















来年の誕生日は一日中君といたいと、そう言ったら、

君は応えてくれるだろうか。






Happy Birthday Sadaharu Inui !