36度の、とろけそうな日。





夏お決まりの午前中の練習は、都市特有の光化学スモッグ警報により、

いつものように日が空の頂上を迎えるころに中止になる。

もちろん毎年それを見越して練習メニューを組んでいるのだから今更驚くこともなく。

練習中止の報を聞き、皆安心したように練習を終えている。

そんな、35度以上の真夏日が二桁ほど連続して続いている、夏休みのとある一日。

今日も海堂はいつもと同じく、一番最後にコートを出て部室へと戻っていった。

そこまではいつもと変わらぬ、夏休みの一日だったはずであるのに。




「海堂、危ない」




珍しい人の呼びかけと、振り向いた途端に目に入る鮮やかな蛍光色。


その時、平和だったはずの一日が一瞬にしてなくなったことを知る。





+36度





目の前に突然現れた蛍光色のそれは、海堂の肩に当たり、

ぱしゃりと小気味のいい音をたてて弾けた。

海堂は一瞬何が起きたのか分からず、飛んできた蛍光色の破片と、

濡れてしまった肩を見ながら呆然と立ちすくんだ。

一体何が起きたというのだろう。



「ごめん、海堂!」



そう、いつもとは違うどこか少しだけ慌てた色を含む不二がこちらに駆け寄ってくる。



「いえ・・」



そこでようやく、海堂は飛んできた蛍光色の物体が水風船だったことを知る。

一体何故不二がこんなものを持っていたのかは分からないが、

いくら濡らされたとはいえ、相手は仮にも青学レギュラーである先輩である。

ここで目くじらをたてて怒るわけにもいかないし、ましてや濡れたのは練習用のTシャツである。

そうとりたてて怒る必要もないと判断して、不二と向き合った。



「全然構わないっす」



海堂は、それで話が終わるものだと思っていた。

不二は他人が構わないと言っているものをわざわざ引き止めるような人間ではなかったし、

こちらも別にそれほど構おうなどという気もなかったのだから、話はこれで終わるのだと思っていた。


しかし。

突然不二の後ろから再び、蛍光色の水風船が飛んでくる。

今度は黄色である。

飛んできたそれは二人には当たらず、その近くの足元に落ちてぱしゃりと音を立てて割れた。

海堂はそれを見て、少しだけ眉をしかめた。

一体、どういうことなのであろう。

水風船は不二が投げたものではなかったのだろうか?


不審な表情をして目の前の不二を見れば、不二は顎に手を当て、思案顔をして海堂を見ていた。



「・・不二先輩?」



その視線に不安になった海堂は、僅かに弱い声音で彼の名を呼ぶ。

それに不二が答えたのはその数秒後だった。



「海堂、ちょっとこっちきて」



ぐい、と腕を引っ張られて、海堂は驚く。



「え・・ちょ・・先輩!?」



しかし相手は仮にも先輩であり、無理矢理腕を振り解くこともできず、

海堂は引かれるままに部室の陰へと連れていかれた。



「こっちで何が起こってる・・ん・・」



尋ねようとした声は、目の前に広がった光景によって途切れさせられた。

何をしているのだろう、この人たちは。



「乾、海堂連れてきちゃった」



腕を引かれて、不二に連れてこられたのは、ダンボールを重ねただけの質素な壁のようなものの前。

そこには何故だか海堂の恋人である乾と、生意気な一年生ルーキーがいた。


何が起こっているのかは咄嗟に判断できず。

ただぽかんと立ちながらその光景を見ていると、再び不二に強く腕を引かれた。



「ほら、ぼんやり立ってるとまた当たっちゃうよ!」



なんて、滑り込むようにダンボールの壁の下に屈んだ。

すると今まで海堂が立っていたところに何個もの水風船が投げ込まれていた。

それを見て、海堂はようやく状況を理解する。



「・・もしかしなくても戦ってるんすか」



「当たり。流石海堂。物分りがいいね」



褒められてもこの状況では何も嬉しくないのだが、と海堂は思う。

しかし隣の不二はとても楽しそうにしていて、

この状況でわざわざ突っ込みを入れることすらできないようだった。

なんて、こうしている間にもこちら側にどんどんと水風船が投げ込まれてくる。


海堂がちらりと不二のまたその隣を見れば、越前が壁の向かい側に必死に水風船を投げていた。

そしてその越前に水風船を作っては手渡しているのが、まさしく乾なのであった。



「どう?もう大体状況は掴めた?」



なんて、今度は不二も乾から水風船を投げてもらい、

海堂と話をする片手間に、相手の陣地に水風船を投げ込んでいた。

向こうから投げられる水風船を鮮やかにかわし、蛍光色の水風船を投げている。

なんて器用な人なんだと思わずにはいられない。



「・・はい」



分かりたくもなかったが、とは言えず。

海堂は僅かに助けを求めるように乾を見れば、乾は小さく笑ってみせるだけであった。



「これ、毎年恒例でさ」



なんて不二はやはりさも楽しそうにそう言葉を紡ぐ。



「毎年この時期に、水風船で試合をしててさ。

 いつも、僕と乾と手塚のチームと、ゴールデンペアとタカさんのチームで戦ってるんだ」



そう言っているうちにも水風船は飛んできていて、時折海堂の近くにも落ちてくる。

不二だけではなく、その隣の越前も酷く喜々とした表情で水風船を投げていた。



「一年生の時はこっちが勝って。

 去年は全国大会出場も決めたのりにのっているゴールデンペア側が勝って。

 だから今年はリベンジってやつ。

 流石に今年は負けられないよね」



なんて、ひゅんひゅん飛び交う水風船の中、告げられた。



「今年は手塚がいないから、無理矢理越前を引っ張ってきたんだけど。

 なんだかあっち、桃を引き込んだみたいなんだよね。

 それじゃ人数的に不利じゃない?

 だから海堂を連れてきたんだけど」



桃城、という言葉に海堂はぴくりと表情を歪ませる。

あちらに桃城がいるのならば、引き下がるわけにはいかない。



「大丈夫?できそう?」



なんて、両手に何個も水風船を持った不二が、

テニスと同じく、腕で器用に飛んできた水風船の威力を無効化し、自分の手の中に収めた。

流石三年目ともなると手馴れているとしか思えない離れ業だ。



「やります!」



そう意気込んでみせると、不二は嬉しそうに笑い、腕の中の水風船の何個かを海堂に渡した。



「とりあえず、僕たちの攻撃方法が分からないと思うから2、3球見てて」



「頑張ってくださいね、海堂先輩」



どうやらもう既にコツを掴んだらしい一年生ルーキーが海堂に不敵に笑ってみせる。

しかしそれに反している余裕はなく、また越前の方にもそれ以上海堂を構っている余裕もないらしく、

壁の向こうの敵に視線を向けた。

海堂は未だ屈んでいるため、向こうの状況は分からない。

しかし去年はあの旧青学3強チームが負けたのだというのだから、相当なチームワークに違いない。

言われたとおりに、海堂は不二と海堂と乾の行動を見た。



乾が少し離れた水道から、できた水風船を次々に不二と越前に投げ渡す。

それを二人は一度も見ることなく器用に受け取ってみせて、

それを息もつかぬ間に相手に投げつける。

見ていると簡単そうだが、しかしこれはかなり技の要することであろう。


気は抜けねぇ、と、海堂は意気込んで不二を見上げる。

すると不二はにっこり笑ってみせて、



「大丈夫?」



と尋ねてきた。



「行けます」



そう答えて、海堂は水風船を避けながら立ち上がり、水風船を投げ始めた。

立ち上がってみて初めてここがどういう状況になっているのかを理解することができた。


10mほど離れた向こうにも、腰の高さほどのダンボールを積み上げた壁ができており、

そこから時折桃城や菊丸が立ち上がっては豪快にジャンプをし、こちらに何個も水風船を投げていた。

そんな相手の姿を見て、負けられねぇと海堂の闘志に火がつく。

相手は、大石が水風船を作り、それを正確なコントロールで桃城と菊丸に投げ渡し、

それを最後に二人がこちらに投げてくるという様子だ。

河村はまだこちらの出方を伺っているのか、ときたま水風船を投げてくるだけなのであるが、

さすがにその風船のスピードは並のものではなかった。


海堂は相手が立ち上がり、水風船を投げてくる瞬間を狙って投げ始める。

しかしもちろん相手も心得ており、それがフェイントであったり、空中で避けられたりしてしまう。

中々奥が深いものだと思わずにはいられなかった。



今やっと行動を開始したばかりの海堂は、もちろんまだ完全に慣れきってはいなく、

ときたま相手の水風船が当たり、Yシャツが濡れてしまった。



「大ジョブっすか?」


なんて薄く笑うような声が隣から聞こえてきたのだが、

隣の越前を見れば、きっと初めの頃に随分とやられたのだろう水の染みがTシャツに出来ていて、

海堂はふ、と越前に鼻で笑ってみせる。



「お互い様だろ」



もうこれ以上は濡れる訳にもいかないと、思ったちょうどその時だった。

複数の蛍光色が視界を占めて、海堂は一瞬怯んでしまう。

不二と越前が同時に壁に隠れてしまい、海堂だけとなったところを敵三人が狙い撃ちにしてきたのだ。

海堂が気づいたときにはもう遅く。

目の前に迫っていたそれを、甘んじて受け入れるしかないと思い、

来るべき衝撃に備えて、海堂は目を閉じた。



しかし。



襲ってくるはずの衝撃はいつまでたってもやってはこず。

変わりに心地よい熱に包まれた感触だけが海堂に訪れた。



「ぼんやりしてたら駄目だって」



さっき不二にも言われたでしょ?

温かい腕の中に抱きこまれて。

耳元に聞こえてきたのは愛しい恋人の声だった。

優しい腕の中で顔をあげれば、やはりそこにいたのは乾だった。


「・・先輩」


あたりを見渡せば、数個の水風船の割れた残骸があり、

先ほどの衝撃から助けてくれたのは乾だったことを知る。


「・・何で?」


問えば彼は優しく、


「ああ、不二と交代」


と、今まで乾がいた水道を指差したのでそちらを見れば、

確かに水風船を作っては越前に投げ渡している不二がいた。


「いいんすか?」


「いいんだよ」


肩をぽんぽんと叩かれて、海堂はその手の優しさに思わず頬を染める。


「去年までは俺と不二のツートップで攻撃してたんだから。

 手塚、見た目通りに細かいことが好きでさ。

 水風船を作らせたら誰よりも正確で早かったんだ。

 あっちも大石が作ってるじゃない?

 二人の天職みたいなものだったんだよね。

 手塚が水風船を作って、正確にトスをして、俺と不二が計算ずくで攻撃をするって感じ。

 だから実はどっちも攻撃専門。

 実は水風船作るの不得意でさ」


なんて、乾は小さく笑ってみせた。

そうっすか、なんて乾の言葉を聞きながら、温かい彼の腕の中で。

戦場で離れ離れになった恋人たちが、奇跡的に出会えたかのような気分になって。

僅かに濡れたTシャツを着た乾に抱きつくと、戦に出る前の抱擁よろしく、乾にぎゅっと抱きついた。



後から思い返してみれば、それは気分が高揚していたからできたと思わざるを得ないような行動で。



本当にお互い気分が高ぶっていたのだろう。

乾が海堂に軽く口づけた。

それを何の抵抗も見せずに受け入れながら、海堂は乾のシャツをぎゅっと掴む。

蛍光色の水風船が舞う中、ぎらぎらと真夏の太陽が照りつける中、


非常識にも酷く幸せだと思った。



「こら、そこいちゃついてないでさっさと攻撃する!」



二人の頭の上で小さな水風船が破裂して、二人でびしょぬれになる。

水道では拗ねたような不二がもう一つ投げるよ、というような仕草をして、

海堂は乾は二人で視線を合わせて笑った。



「そうっすよ!俺一人なんすから!!」



珍しく感情を剥き出しにした越前がこっちに怒ったような声を向ける。

一人で戦っている今、何個か攻撃を受けたのだろう。

越前のTシャツから水が滴り落ちていた。


「行くか、海堂」


「っス」



二人で目を合わせて、また笑って。

それから、不二に水風船を貰って、攻撃態勢に突入する。


どうやら。

壁の向こうでは、菊丸が河村にラケットを持たせたらしく、


バーニング


という、酷く熱い声と、重い水風船が飛び交うようになりはじめた。




ここからが本番だ。




決意を新たにし、乾が立ち上がるのを見て、海堂も敵を倒すべく立ち上がったのだった。



















その日はこの夏一番の暑さを迎えたという。