ただ一緒にいたかった。

願ったことはそれだけ。





+この道の先に





流川は一人、校門の前で立っていた。

自転車を脇に置き、家へと帰っていく人々をじっと眺めている。

待ちわびている人は、ただ一人。



流川はずっと考えていた。

自分が愛した人と一緒にいることさえも叶わないのかと。

想うことでさえ、許されるものではないのかもしれない。

しかし、少しの時間でさえいい。

あの人と一緒に同じ時間を過ごせたならば。



流川は一人ため息をついた。

今までこんな思いを持ったことなどなかった。

バスケット。それが自分の人生の中で唯一大切なものだった。

それなのに・・。



自分らしくないとは思う。

しかし、そんな簡単なことで否定しきれる感情ではないと分かっている。

だからこそ、少しの可能性でもかけてみる気になったのかもしれなかった。



校門に寄りかかり、校舎から出てくるであろう人を待つ。

木暮が来たらすぐにでも行動がおこせるように流川の目の前には自転車がある。



数分もたたないうちに、その人はやってきた。



隣にいるバスケ部のキャプテンに楽しそうに声をかけながら笑っている。

木暮はバスケ部の中で小さいとはいっても、他の生徒に比べたら頭一つほど高い。

その隣にいる赤木は更に大きいので、すぐに見つけることができた。



幸い、いてほしくない人物の姿はその周りにはなかった。

そのことに内心に喜びが広がる。

一つ目の賭けには勝ったのだ。



流川は無表情な顔を崩さぬまま、ただその人が近づいてくるのを待った。

次第に近づいてくる木暮がふとこちらを向く。

バスケ部の練習がないとき、流川はすぐに帰り、一人でバスケの練習をしている。

だからこそ、校門に立っている流川が珍しかったのだろう。

木暮は少し早足で流川のもとに近づいてきた。



「どうしたんだ、流川。こんなところで?」



どの後輩にも向ける優しい笑み。

いつもなら向けられれば心が弾む笑顔でも、誰にでも向けられているものと知れば、その心は急に揺れ始める。

どんな感情でもいい。

自分だけに向けてくれる笑顔があればいいと、どれだけ思ったことであろう。



「・・先輩」



流川は自転車の素早くサドルに座った。



「乗ってください・・」



後ろの荷台を軽くたたき、そこに座るように促した。



「え・・乗ってくださいって・・流川・・?」



困惑したように木暮は流川を見た。

突然そんなことを言われれば誰しも驚くだろう。

しかし、時間がないのだ。

三井の姿が見えればきっと自分の行動は阻止されてしまう。



「送るっす」


「送るって・・流川、自転車で来てるくらいなんだから家近いんだろ?俺は駅4つ向こうだよ・・」



木暮は困ったように流川の申し出を断ろうとする。



「送るっす」



流川はもう決めてしまったことであるかのように、木暮の腕を引っ張り、荷台へと座らせた。



「ちょっと流川・・」



自転車を急発進させて、校門から駅の方向へと向かう。



「わっ・・!」



突然の発進に驚いて、木暮は流川の背中に縋るように手を回した。

流川の行動の意図が掴めず、木暮はただただ困惑するしかなかった。



「流川、本当にどうしたんだよ?」



ひたすらに自転車を前へとこぐ流川の背中に木暮がそう問い掛ける。



「・・トレーニングっす」



その答えに木暮は小さく息を吐いた。

この湘北高校バスケ部きっての我侭な後輩に何を言っても無駄だと諦めたのかもしれない。



「ま、いっか。そんなに送りたいんだったら送ってよ」



後ろで木暮が笑っている気配がする。

肯定の言葉に流川のココロが踊った。

もうこれで何も行く手を阻むものがなくなったのだ。




風が心地よく流川の髪を揺らす。

夏物のワイシャツ1枚しか隔たりのない体。

背中に触れる木暮の熱と、腕の感触が流川を幸せにした。

もう2度とは訪れないだろう時間。

それを噛み締めるかのように流川は自転車の速度を少しだけ遅めた。

少しでも長く、木暮と一緒にいられたら。

速度を遅めたことを、木暮は別段気にするようでもなかった。



木暮に言われたとおりの道を走っていくと、すぐに海が見えてきた。



「うわー、海だ」



毎日見ているはずのそれに、木暮は素直に驚きの声をあげる。



「なんか電車の中から毎日見てるけど、こうやって近くで見るのは久しぶりだな」



太陽の光を反射して、鮮やかな青が一層目に映える。



「これからまた人がたくさん来るんだろうな」


「・・そうっすね」



流川があまり反応を返さないのを知っていながら、

木暮はそんなことを気にもとめていないかのように話し掛けてくる。

木暮の性格なのだろうが、それが流川の心を軽くする。



「風もきもちいいな・・」



海からの風が優しく頬の横を通り抜けていく。

確かに潮の香りは夏の訪れを喜んでいるかのようで心地がいい。

木暮の言葉に、流川も素直にそう頷いてみせた。


それをどう受け止めたのか、突然、木暮は後ろから手をのばして流川の頬を少しつねった。

驚いて後ろを振り返るが、思いがけない程木暮の顔が近くにあり、流川は慌てて顔を前へ戻した。




心臓が。

心臓の音が。

まるで試合をしているときのように勢いよく打ちだしたのが分かる。

叫びだしてしまいたいくらいの昂揚感。



今までバスケでしか味わったことのない思いが体の中でうねるように息づいているのがわかる。

流れる血がまるで自分のものではないみたいで。

熱が流れに逆らわずに跳ね回っている。



早く止めなければ。

そう思えば思うほど熱は更に温度を増し、流川を焦らせる。

どうにかして止めなければきっと気づかれてしまう。



そんな流川の心境には気がつかなかったようで、相変わらずの口調で木暮が話す。



「馬鹿みたいだなとか思ってるだろ・・。当たり前なことに感動してるから」



少しふくれたような声で木暮が流川にそう言った。

流川は少し下を向きながら軽く頭を振った。

もちろん、木暮に否定の意を表してのことだ。

そんな流川に木暮は笑って、小さく『アリガト』と言った。

流川が気を遣って否定をしたのだと受け取ったようだ。



「単純なんだよね、俺」



背中の全意識が木暮へと向けられている。

このうるさいほどの鼓動に気づかれたくない反面、木暮の全ての動作を感じようとしている。

どこか矛盾した感情だ。



「自分でも本当に単純だなって思うこともあるけど、でもさ・・」



流川目の前に赤信号が現れる。

それを見てゆっくりとスピードを落として、信号の前で自転車を止めた。

いつもならば信号など無視している流川だったが、今は少しの間でも止まっていられることが嬉しく思えた。



横断歩道の青信号が点滅し始める。

流川はそれに名残を覚えて、一度木暮を振り返った。

木暮は海を見ながら微笑んでいた。

優しげに、そうまるで穏やかな海のように。

一瞬で目を奪われた。目を逸らせてはもったいないくらいに。

ふと木暮が流川の視線に気がついて前を向いた。

向けられた視線ににっこりと笑ってみせて、木暮は前を指差した。



「流川、青だよ・・」



気がつくと、隣の車が動き出している。

流川はペダルに足をかけ、再びゆっくりと自転車を発進させた。

笑った木暮の顔が忘れられない。



もう、どうしていいか分からないところまで来てしまっていることは分かっていた。

告げないつもりでいたこの思いは、果たしてこれからも隠していくことができるのだろうか。

流川の手の平に自然と力がこもる。



「流川、さっきの話の続きな、・・」



後ろからの声にはっと意識を戻される。



「幸せの基準なんて人間それぞれ違うんだよ。

 俺は他の人にとっては些細なことかもしれないことを幸せだって思ってる。

 それって能天気って言われそうだけど、でもなんか・・いいと思わない?」



きっと後ろに座っている木暮は笑っているのだろうと思った。

風がそよぐような柔らかな笑顔で。

流川は目を見開いて、そして小さく笑った。

この人が自分が好きになった人なのだ。



「あ、流川笑ってるだろ!」



ぽんと叩かれた背中が熱い。

いつまでもこの熱を残しておきたいと思う。



「笑ってないっす。・・幸せは人それぞれでいーと思うっす」



自分でもすんなり言葉が出たことに驚き、きっと木暮もそれに驚いていたことだろう。

少し間があったあと、木暮が小さく呟いた。



「・・有り難う、流川」



消え入るような声でそう言った木暮は、きっと恥ずかしそうに顔を赤らめているに違いない。

背中に触れる手が、回される腕が暖かくて、そして嬉しかった。

人からみれば小さな幸せかもしれない。

けれども流川にとってはこれが今一番の幸せなのだ。

木暮が言いたかったのはそういうこと。

幸せなんて他人に決められるものではなく、どれほど幸せか、

幸せではないのかを決めるのは自分次第なのだ。


後ろに座るこの人は、誰をも幸せにする力を持っている。

流川は木暮を好きになったことをとても誇りに感じた。





海が見えなくなり、見慣れない街中へと入っていった。



「流川、この辺でいいよ」


「家まで送るっす」



一旦止まり、後ろを向くと、木暮は困ったように笑っていた。



「近所の人に見られたら恥ずかしいだろ・・」



だからここでいいよと言われ、流川は渋々ながらそれに応じた。

もう少し一緒にいたかったという気持ちは拭い去れないままに。



「有り難うな、流川・・」



木暮が自転車の荷台から降り、流川の隣に立つ。



「うっす」



少しだけ頭を下げて木暮に礼をする。

何も聞かずに流川の自転車に乗ってくれたのだ。

それだけでもどれだけ嬉しかったことか。

木暮が『じゃあ』と言って家の方向に歩き出す。

もう日が傾きかけていて、道が太陽によってオレンジ色に染められていた。

影は学校にいたときよりもずっと長くなっている。

流川は木暮を見届けるまで動く気はなかった。

じっとその背中を追っていると、数歩歩いたところで木暮は突然流川を振り返った。



「あ、そうだ流川!」



木暮が振り返ったことに驚きつつ、流川は少しだけ自転車を動かして木暮の傍に行った。



「夏になったらみんなでさ、海に遊びに行けるといいな。もちろん部活が休みの日にだけど・・」



流川の背中をぽんと叩いて、木暮は無邪気に笑う。



「・・うっす」



声がうまく出ていなかったかもしれない。

掠れた声に木暮は変に思ったかもしれない。

嬉しかったのだ。また木暮と接点を持つことができて。

後輩に対して先輩からのただの社交辞令として言ったのかもしれない。

それでも『約束』であるかのように口にされた言葉が嬉しかった。

これで終わりだと思っていた木暮との思い出がまた一つ増えていく。



「じゃあ今度こそ、またな」



笑顔で手を振って去っていこうとする木暮の腕を咄嗟に捕まえる。



「?るか・・」


「先輩・・」



頬に触れて、驚いているその顔を引き寄せる。

ふわりと暖かい感触に体が震えた。



「流川・・」


「俺は諦めない・・」



そう、例えもう誰かのものになっていたとしても。

木暮の腕を掴む力が自然と強くなっていくのを流川は意識の底で感じていた。







人間の心はもっと貪欲なもので、幸せを手に入れたら次の幸せを望むようになる。

そのきっかけを与えたのは紛れもなく木暮自身。

先輩、きっとあんたはそれを知らない。