+ある日の牧さんち。





ここ、301号室に住む牧さんのうちでは毎朝こんな光景を見ることができるのだ。



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いくら高校バスケ界の帝王だった牧でも、大学に入ってしまえばただの1年生。

実力があっても下級生がやらなくてはならないことがたくさんある。

もちろん、牧は実力を鼻にかけて先輩たちとそりが合わないということはない。

バスケが好きで、勝つことに貪欲で。

そんな彼は先輩に対しても風当たりはいい。

実力に見合っただけの練習を牧がこなしてきているのを、先輩たちは知っているからだ。

それに、海南大のバスケ部には付属高校のバスケ部だった先輩がたくさんいる。

少しは気が楽といえば楽なのだ。

しかし、大学の体育会というのは厳しいことで有名だ。

いくら牧でも1年生としての仕事をしなくてはならない。

高校とは少しだけ離れた大学の体育館に、牧は毎朝早くから出かける。

早朝練習をするためもあるし、それに先輩たちが来る前にやらなくてはならない仕事もある。

だから高校のバスケ部で朝練をする神よりも早く大学へと出かけるのだ。



牧の部屋の玄関のドアが開く。

そこから出てきたのはきっちりときめたスーツに身を包んだ牧と、制服姿の神だ。



「それじゃ、行ってくるな」


「頑張ってくださいね」



靴を履き終わり、笑いかけてくる牧の姿はやはりかっこいいなと神は思う。



「戸締りしっかりするんだぞ」



そんな牧の言葉に神はくすりと笑った。



「牧さん、同じこと毎日言ってますよ」


「なんか言いたくなるんだよ、お前には」



神に指摘されて牧は、少しだけ視線を逸らして苦笑いを浮かべた。

こういう子供っぽい仕草は自分の前でだけ見せるということを知っていたので、心がじわりと暖かくなる。



「俺も子供じゃないんですから」



神はサンダルをつっかけて玄関の外に出て、階段のところまで牧の後ろについていく。

それはほんの少ししかない距離だけど、どうしてか毎日そこまで歩いていってしまう。



牧の広い背中をいつまでも見ていたいと思うから。

手を伸ばしても届きそうになかった牧が自分の傍にいるのが信じられないのかもしれない。

またいつか自分の知らない遠い世界に行ってしまいそうで、毎日牧のその背中を見送る。

神の気持ちは牧には分かっているのだろうか。

遅刻するぞといいながら、その見送りを制したことは一度もない。



前を歩いていた牧の足がふと止まる。

それにつられて神も1歩遅れて足を止めた。



「神」



腰に手を回されて、引き寄せられる。

しっかりと逃げられないくらいに抱きしめられて、牧の唇が神の唇に触れた。

牧らしい、隙のない行動。

相手の行動を封じ込めて、抵抗できないようにして、自分の意思を押し通す。

それは牧のバスケプレイにも似ていて、神は思わず笑みを零した。

こういう牧を好きになったのだ。

神も牧の腕に手を回し、そのキスに答えるように軽く唇を寄せた。



「大学で浮気なんかしないでくださいね」



そんな神の言葉に、口に触れるか触れないところで牧が笑った。



「お前こそ信長に甘い顔見せてるんじゃねーぞ」



今度は神が笑う番だ。



「そんなことしませんよ」



神の返事に、牧は少しだけ苦そうな顔をした。

けれどもお互いの体がくっついている分すごく暖かくて、目が合った途端に二人で笑ってしまった。

もう一度キスをして、少しだけ名残惜しいような気持ちのまま唇を離す。



「いってらっしゃい」


「ああ、行ってくる」



神を抱きしめていた腕をほどき、牧は階段を下りていく。

背を向けられていると思うと胸が締め付けられるような気がしたが、

少しだけ頭を振ってその考えをやり過ごした。



やがて牧の背中が見えなくなったので、神はまた少しだけ歩いて自分の部屋の玄関の前から下をのぞいた。

階段を降りた牧は100mくらい離れたバス停へと向かっていく。

歩く姿はやはり帝王牧そのもので、真っ直ぐに悠然としている。



そんな姿に笑みを零して、神は部屋の中へ入っていこうとした。

これから神も朝練に出るために高校に行かなければならないのだ。



名残惜しさを胸に秘めながら部屋に帰ろうとした神に、突然牧が振り返って、軽く手をあげた。

それに驚きながらも神は満面の笑みで牧に手を振る。

神が手を振りかえしたのをみて、再びバス停へと歩きはじめる牧の姿に、

神の心はさっきよりも更に暖かくなる。



これから牧のいない生活が始まるけれども、辛くない。

牧も慣れない生活で大変だろうけれども、神は不思議に大丈夫だと感じた。





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そんな牧と神を遠くから眺める2組の目があった。

ドアの陰に隠れて、そっとその様子を覗いていたらしい。

いや、出ていきたかったのだが、あまりの熱々さに出ていけなかったというのが本当のところだ。

仙道と花道は神が部屋へと帰ってもまだ動けずにいた。



「すごいねー、牧さん。なんだか新婚家庭みたいだな・・」



仙道の言葉に花道は何も反応を返さない。

すっかり牧たちの熱にあてられてしまったようだ。

顔が髪と同じくらい真っ赤になっている。

そんな花道をかわいいと思いながら、見えないように小さく笑った。

もし笑っているところが花道に見られたらそれこそ殴られかねない。



「桜木、俺たちもああいう風にする?」



花道の顔を覗き込んで、上目遣いで聞いてみた。

仙道の言葉に花道は肩を一瞬大きく震わせて、仙道を振り返る。



「ば・・!馬鹿言ってんじゃねー!!お前もああいう恥ずかしいことしたいのか!?」



花道は明らかに動揺して興奮気味に話し出す。

でも仙道はそれが照れであることを知っている。

花道が本気で怒っているときは、もっと研ぎ澄まされた刃物のような鋭利さで相手の懐へと飛び込んでくる。



仙道はそんな花道の体を思い切り抱きしめた。

花道は彼女ができたら一緒に登校するというのを夢に持っていた。

どこか子供じみた、それでも暖かさを感じずにはいられない夢だ。

そんな花道が『いってらっしゃいのチュウv』を本当はしたいと思っていると勘ぐるのは不思議なことじゃない。



「したいよ。俺桜木のこと本気で好きだからさ。

 好きな人とはああいうことしたいんじゃないの?」



桜木はそうじゃないの?と仙道が問うと、花道は自分を戒めている腕から抜け出そうと動いた。

しかし仙道は更に力を込めて花道の体を抱きしめ、今度は耳元でもう一度尋ねた。



「桜木は俺のこと好きじゃないからああいうことしたくないの?」



花道はピクンと体を震わせたあと、真っ赤になって下を向いて、何かを言いたそうに口をぱくぱくと動かした。

しかし声は出ていない。



「桜木?」



花道の言葉を促そうと名前を呼ぶ。

確信犯の呼びかけ。

花道はたいてい人に何かを決められるのを嫌う。

だから、自分の口から言わせないといけないのだ。



すると花道は何かを決心したようにキッと顔をあげた。

顔はまだ赤かったが、その瞳にはいつもの強い光が宿っている。



「・・俺もああいうことしてえ・・けど人前は嫌だ・・」



言い終えた途端に顔を背けてしまった花道に、仙道は再び笑みが零れる。

幸せってこういうことなんだなと仙道は一人実感する。

目の前の花道が、花道の言ってくれた言葉が嬉しくてたまらない。



「そっか、じゃあ・・・」



仙道は花道を玄関の中まで連れていって、ドアをパタンと閉めた。

再び花道の体を抱きしめて、一応逃げられないようにしておく。

しかし花道はそんな仙道に不平を零した。



「腕、邪魔だ・・」



相手が逃げる意思がないのだと悟って、仙道はそっと腕をほどいた。



「目つぶれ」


「はいはい」



花道の言うとおりに、目を閉じる。

やってくる柔らかい感触に期待を込めていると、すっと仙道の首に花道の腕が回された。

そして待ち望んだ柔らかい感触。

羽が軽く触れていくような錯覚さえ覚える。



「・・いってらっしゃい・・」



消え入るような声で、それでもしっかりと花道は言ってくれた。

それに答えるように仙道は何倍も深い口付けを返す。



「いってきます、桜木」



最後に花道の下唇をぺろりと舐めて、軽くウインクをする。



「ば、馬鹿センドー!!」



朝っぱらからマンションに花道の大きな声が響き渡ったとか。