+悩みごと。






桜木花道は一人で考え事をしていた。

それも練習の真っ最中も真っ最中。

本当は考え事などしている暇など全くない。

動いて動いて、ボールを一生懸命に追いかけているはず。

バスケットボールに魅入られた花道にとって、練習時間さえも楽しいものだ。

しかし、そんな花道に、楽しい部活の時間でさえも凌ぐような頭を捻らせる大きな出来事が起こった。

普段、思ったら一直線、考え事など全くしない花道が考え事をするなど、

天変地異を起こす神様だって驚いていることだろう。



「うーん・・・何かが違う・・・」



花道の目はただ一人の人、湘北高校バスケットボール部の唯一のオアシス、木暮公延に注がれていた。

もちろん、湘北バスケ部の『アメ』であると言われるとおり、

木暮はいつでも笑顔を絶やさず、部員全員に優しい。

血も涙もないような他のバスケ部員たちとは違い、花道の成長ぶりを誰よりも褒めてくれる。

キャプテン赤木の辛い辛い練習も、彼がいるからこそ耐えられるといっても過言ではない。



しかし、今日はやたらと幸せそうなのである。

もちろん、木暮はいつも暗い顔なんかしていない。

寧ろその爽やかな笑顔で他の部員たちを元気づけてあげてしまうほどだ。

花道の目の錯覚かもしれないのだが、

それでも今日はまるで木暮の周りで花でも咲いているかのような明るさなのだ。

この木暮の幸せそうな姿には他の部員も気がついているらしく、

みんな首を傾げながら柔らかい笑顔を飛ばす木暮に視線を向けている。



(一体メガネくんに何が・・)



花道の頭の中は木暮の身の上に起こったであろう、よい出来事を推測するのでいっぱいだった。



(昨日の晩御飯がメガネくんの好きなものだったとか・・)

(メガネくんに彼女ができたとか・・。いやいや、この天才桜木を差し置いてそんなことはありえない・・)



だからであろうか、花道はパスで飛んできたボールに気がつくこともできなかった。



ガッターン!



こともあろうかボールを顔面で受け止めてしまったのである。

あまりにも突然のことに、花道はそのまま床へと倒れこんでしまった。

体育館に物々しい音が響き渡る。



「大丈夫か桜木!」



まず一番最初に駆けつけてくれたのは、やはり木暮だった。



「痛え・・!!」



花道はボールが当たった右の頬をさすりながらゆっくりと上体を起こした。

(天才ともあろうものが、床に倒れこむなど不覚極まりない・・)

花道は痛む頬を気にしないそぶりで、近づいてきた木暮に一番の笑顔を向ける。

他の部員たちは呆れたような目で花道を見ていた。

花道にパスを出した流川などは、遠くの方で様子を見つめ、大きなため息をつく。



「天才にはこれくらいなんともない・・」



しかし、木暮はそんな花道の言葉を聞いていないのか、赤くなった花道の頬にそっと手を触れた。



「痛っ!!」

「ほら、やっぱり痛いんじゃないか!無理するんじゃない」



木暮はうずくまっている花道を引きずるようにしてコートの外に連れていった。



「彩子!桜木の手当てしてやってくれ」



木暮が呼ぶと、今までその状況を楽しむように見ていたマネージャーの彩子が救急箱を抱えてやってきた。



「全く、ぼーっとしてるからいけないのよ」



彩子が花道を一喝すると、その言葉に木暮がにっこりと笑ってみせた。



「そうだぞ、桜木。練習中にぼーっとしてるなんて危ないぞ」



二人の言葉に花道は軽くうなだれて自分の不覚さを呪った。

大勢の人の前で恥を見せるなど、自分らしくもない。



「分かった。気をつける・・」



素直に反省の意を示した花道に、突然背後から声をかけられた。



「全く本当に練習中にぼーっとしてたのかよ、お前は。よくそんなことできるよな」



「むむ、ミッチー!」



ボールを手に抱えた三井は、不敵な笑みを浮かべながら座っている花道を見下ろした。



「お前はただでさえ初心者なんだからしっかり練習しろよな」



いつもの意地悪な物言いは同じなのだが、言葉の端々に棘が感じられて、花道はむっとした顔を向ける。

言い返そうとして口を開いた花道は、それよりも前に少し怒ったような口調の木暮に言葉を遮られた。



「三井。桜木はいつもしっかり練習してるだろ。

 それはお前だってわかってるはずじゃないか。

 たまたま今日転んだだけでそういう言い方はないだろ?」



木暮の言葉に花道はそれ以上三井に言うことをやめた。

言いたかったことは全部木暮が言ってくれたし、木暮が自分をかばってくれているのも嬉しいと思う。

花道はそのままその状況を見守ることにした。



三井は木暮の言葉にあからさまに不機嫌そうな顔をした。



「だから何でお前はそう後輩に甘いんだよ!?

 お前が甘くするからこいつも流川もつけあがるんだろ」



三井に言われて今度は木暮が珍しくむっとした顔になる。

珍しい三井と木暮の言い争いに、練習していた他の部員の視線が自然と二人に集まってきていた。

しかし、言い争いをはじめてしまった二人には周りのことが見えなくなっているようだ。



「甘やかしてなんかないよ!今回だって桜木は怪我してるんだよ!助けて当たり前じゃないか」



「だからってなんでお前が毎回毎回助けてるんだよ!

 わざわざお前が助けなくてもいいだろ?彩子だっているんだし」



目の前で交わされるそんな会話を花道は目を丸くして見ていた。

木暮がこういう風に三井に対して接することは見たことがなかったし、

優しい木暮にここまで絡む三井も初めて見た。

しかし、二人はそんな花道を気にすることもなく、お互いのことだけに気を取られている。

二人が争っている原因を作ったのが自分だということを忘れ、花道はなだめるようにその間に入っていった。



「まあまあ、メガネくんもミッチーも。今は部活中なんだから・・」



花道の言葉に、木暮と三井ははっと気づいて、気まずそうに瞳を逸らした。

3年生である二人がこういう風に部活の雰囲気を崩すのはまずいと思ったのであろうか。

二人はまだ何か言いたそうな顔をしながらも、互いのいた場所へと戻っていこうとした。



それを見て、花道は一安心して笑顔を浮かべる。

三井と木暮の言い争いを見ていた他の部員たちはもうすでに練習へと意識を戻し始めていた。



しかし、そこで花道は驚くべき言葉を木暮の口から聞いた。



「・・三井。もう口聞いてやらないからね!」



まるで喧嘩をして拗ねた小学生のように言い放って、木暮はコートへと戻っていった。

三井はその姿を呆然とした面持ちで見送っている。


花道ももちろんその言葉を聞いて、数秒固まってしまった。

木暮が、あの木暮があんなにも子供らしい面を持っていたのだろうか。

心のどこかにあった大人で優しい木暮のイメージが花道の中で音をたてて崩れていくのを聞いた。



「ほら、桜木花道。治療するからしゃんとしなさい!」



彩子の言葉に花道ははっと意識を現実へと戻す。



「あ、彩子さん・・」



口をぱくぱくさせて、酸素の足りない金魚のように花道は木暮と三井を指差した。



「あれは・・一体・・?」



そう言うと、彩子はくすっと笑って花道の頬に大きなバンソウコウを貼った。



「よーく見てみれば分かるわよ」



その彩子の言葉に、花道は練習へ戻っていった木暮と三井の姿を追う。

三井はリングの下で黙々とシュートの練習をしている。

しかし、いつもと違ってボールはまるでリングに嫌われたように入らない。

ぽんぽんと落ちるボールを見ては、三井は顔を下に向けた。



そして、体育館の反対側にいる木暮に視線を向ける。

木暮は後輩と一緒にパスの練習をしていた。

しかし、さっきまであんなに幸せそうだった顔はその面影もなく。

パスをもらっても何回に一回は手からこぼしたりしている。

木暮も、手からすり落ちるボールを見ては小さくため息をこぼしていた。



「彩子さん・・。メガネくんとミッチーは喧嘩していただろ?なのに何で怒ってないんだ?」



怒っていないというか、寧ろ悲しんでいるといった二人の姿に、花道は首をかしげた。

そんな花道に一つため息をついて、彩子はこうぽつりとつぶやいた。



「ただの痴話喧嘩よ。痴話喧嘩。あんたもそんなのに巻き込まれてかわいそうね」





ち・わ・げ・ん・か?





彩子の言葉が理解できなくて、花道はただただ首を捻るばかりであった。





恋なんて、いつだって気まぐれ。