+夏の終わり




気だるい、うだるような暑さが消え。

いつの間にか空気に肌寒さが混ざるようになる。

秋晴れという、その名の通りの青い空。

澄み渡った空は手を伸ばしてもどこか遠く、捕まえることなどできないように輝き続ける。



夏が終わる。



止まることなど知らなかった。

ただ走り続けることが何よりも心を騒がせた。

抑えることのできない熱を隠そうともせず、ひたすらに前へと向かったあの夏は終わる。

なんてあっけなかったのだろう。

楽しかったときは一瞬であるかのように過ぎ去ってしまった。

仲間と共にした熱も想いも今では本当にあったのかさえ疑いたくなる。

終わってしまったのだ。



夜空には一つ二つと輝く星がある。

都会の空には星なんて見られればそれだけで上出来なのだろうか。

夜になり、少し肌寒く感じる風に、木暮は小さく体を震わせた。



馬鹿みたいだ。

あの時の熱を失いたくなくて、いつまでもこのままでいられればいいと思っている。

永遠に続くことなんてないのに。

それでも、忘れたくないという思いは消えることはない。

高校3年生の夏。

最後の夏休みに誰よりもいい思い出が作れたということは自負している。

駆け抜けた思いと熱さは今だ体の中を駆け巡っている。

だから、失いたくなかったのだ。

大切な仲間たちと駆け抜けた最後の夏を。



木暮は一人天を見上げた。

願いは口に出しても聞き入れられることはできないかもしれない。

それでも、どこかにそれを繋ぎ止める何かがあるような気がして。

流れ星が流れてくるのを心のどこかで望んでいる自分がいる。

どうかもう一度、あの熱が体の中を駆け巡るように。

もう一度飛びたたんばかりの昂揚感が訪れるように。



木暮は自分が思わず手を握り締めていることに気がつかなかった。

そして、最愛の人が近づいてきていたことにも。



「木暮。お前何見てんだ?」


「三井!」



三井はジーパンとTシャツというラフな格好をしていた。

しかしその手にはコンビニのビニール袋を下げていて、どこか不釣合いだ。



「ごめんな、急に呼び出したりして・・」



木暮がそう謝ると、三井は口元を緩めて優しげに笑った。



「どうせ俺も暇だったんだ。気にするな。それにお前から誘われるなんて滅多にないもんな」


「・・悪かったな」



少しふくれて、恥ずかしげに三井を見た。

するとその隙をついたように、三井は木暮の唇を掠め取っていった。



「・・・三井!」



突然のキスを咎めるように睨むと、三井は肩に腕を回して木暮を抱きしめた。



「誰もいないんだからいいだろ」



そう言われて、木暮は辺りを見渡す。

確かに誰も見当たらない。

夏には花火をする子供たちで賑わっただろう公園には、もう人の影さえ見ることができない。



そう確認すると、木暮は三井の暖かさに思わず縋るように肩を寄せた。

夜の寒さのせいにして。



「そうだな・・。誰もいない・・」



感傷に浸りそうな心を無理やり押しやって、木暮は三井にとっておきの笑顔を作ってみせる。

そして一旦三井の腕から抜け出して、ベンチの近くに置いておいたバケツを取りにいく。

バケツの中には夏の名残のような花火が少しだけ入っていた。



「この前・・みんなで花火したときの余りがあったからもったいないないなと思って・・」



木暮はバケツの中の花火を見つめた。

それを手に取って、三井に渡していく。



夏の思い出が一つずつなくなっていってしまう。

火がつき、それが燃え尽きる様はどこかその思いに似ていた。



「俺も持ってきたぞ、花火。ふらっと入ったコンビニに余りもんみたいに一つだけ残ってたから買ってきちまった」



三井が持っていたビニール袋から、小さな小さな花火セットを取り出した。



「・・有り難う、三井・・」



すぐ消えてしまいそうな思いを繋ぎとめてくれるのは、いつでも三井だ。

最後の夏、これで全国に行けなければもう終わってしまう夏に、

思いを繋ぎとめてくれたのも三井だった。

三井がいなければどうすることもできなかった。

渡された一束の花火。

今でも三井は何でも分かっているかのように、木暮の思いに優しく触れてくる。



「それじゃ、やるか」



三井が取り出したライターで花火に火をつける。

それを木暮が他の花火に火を移して、火がなくならないようにする。

手に何本も花火を持って、三井は子供のように回したり、口にくわえたりしていた。

宙に描かれる光が目に残像として残っていく。

しかしそれもいつしか消え、また他の光が木暮の目に映る。

もうすぐ訪れてしまう終わりを思い出さないように、子供のようにはしゃいでみたりもした。



「綺麗だね!三井・・」



色とりどりに変わる花火の光に、素直に感想を漏らしながら三井を見た。



「そうだな」


「俺はあの赤と黄色の棒の花火が好きかな・・」


「そうかぁ?俺はこの細いやつが一番だと思うぜ」



笑いながら花火の批評をしてみたりもして。

次第に増えていく燃えきった花火を見ないようにしながら、未だ鮮やかに輝く花火を見続けた。



やがて時は過ぎ、そしてすべての火が消え、元の夜の闇だけが公園を覆う。



「・・三井、これが最後の花火だよ」



持っていた最後の花火を、三井の前に差し出した。

差し出した手が微かに震えていたのを三井は気がついただろうか。

しかし三井はそんなそぶりを見せずに、ポケットからライターを取り出し、

木暮が持っている花火に火をつけようとかがんだ。



「よし、じゃあやるか・・」



三井は花火の先端に火を近づける。じわじわと灯っていく火が、やがて強い光を生み出していく。

溢れるほどの光の洪水が闇夜を照らし、鮮やかな色がかわるがわるに現れていく。

それは花火の中ほどにいくに従って強くなり、一番の盛り上がりを見せる。



「・・なんだか・・・」



言い切れない思いが木暮の中を駆け巡る。

まるで燃え盛らんばかりの思いは、夏のあの時の自分たちと似ていて。

そして鮮やかに、そして強く輝いた思いはやがて何もなかったかのように消えていく。

胸が詰まりそうな思いに、喉の奥が焼けるように痛んだ。



光が次第に弱まっていき、そして小さな橙色の光を残したまま、また周りは夜の闇へと戻される。

木暮はずっと燃え残った花火を見ていた。



終わったのだ。何もかも。どんなに望んでももう返ってはこない。

あの熱さも、思いも。



「終わっちゃったんだな・・」



最後の花火をバケツの中に入れ、木暮は小さくため息をつく。

どうして永遠であることが叶わぬのか。

願っても願っても過去は戻ってこない。輝かしい過去であればあるほど、取り戻したいと思うのに。



夜の風が木暮の肌を滑るように吹き抜けていく。

もう夏は遠ざかっていってしまった。

その証拠に、夏には纏わりつくような熱を孕んでいた風は、いつしか冷たさを持つようになっていた。

木暮は無意識に冷えた自分の体を抱きしめていた。

何も言わない三井を不思議に思い振り返ると、三井もどこか辛そうな顔をして木暮を見つめる。

木暮は引き込まれるようにその顔を見つめた。

目の縁に熱さがこみあげてくる。



気がつくと、三井の腕の中にきつく抱きしめられていた。

その腕がどこか悲しみに震えている気がして、木暮も三井をしっかりと抱きしめ返す。



「終わったな・・」



三井が頷くようにゆっくりと言葉を紡ぐ。

言葉に出すと、それが実感を伴って表れるように思える。

部活のない生活。勉強漬けの毎日。

忙しいけれども、中心をなくした日々は虚無感を覚えさせる。

拠りどころをなくし、縋るものもない迷い子のような感覚。

救ってほしいと願って、いつも心に浮かぶのは、あの時の光景・・。

気がつくと体育館を目の端に捕らえ、そこでバスケを楽しんでいるだろう仲間たちの姿を思い浮かべる。

もうあそこに自分の居場所はないのだと思うだけで、心が散り散りにされたかのような痛みを覚える。

助けてほしい。心の中心にあった大切なものを返してほしい・・。

三井の手が優しく木暮の頭に触れる。

軽く頭を叩かれて、少し高い三井の肩に頭を押し付けられる。



「泣け。泣いちまえ。お前はどうせ我慢して泣いてもいないんだろ?

 一人で抱え込みやがって。今まで俺を呼ばないで。本当、馬鹿だな・・、お前」



三井の言葉が、柔らかな綿が降ってくるかのように一つ一つ心に積もっていく。

三井は分かってくれていたのだ。

なぜ木暮がこんな時期に呼び出したのかも、どんな思いを抱えているのかも。

木暮は三井の肩に寄りかかって、きつく目を閉じた。



「・・やっぱりかなわないな・・三井には・・」



零れてきそうな涙を堪えようとして、それでも震えてしまう体だけは抑えることができなかった。

三井に背中を優しく撫でられて、抑えていた涙が堰を切って流れ出してくる。



みっともなく、幼い子供のように泣きながら、それでも大人という世界へと踏み出していかなければならない。



「・・三井・・」



囁くような声はそれでも三井の耳まで届いたようだ。



「ん、なんだ・・?」


「有り難う、三井・・」








素敵な思い出を有り難う。



ずっとずっと忘れない。

みんながくれた優しさも、目指した夢も、大きな希望も。

ずっとずっと忘れないから。