+ただ一つ、欲しかったもの+




生じたのはきっと迷い。

だけれども、救ってほしかったのも事実。

誰か、助けて。







流川は、部活後の自主練習を終えて部室に戻ってきた。


体育館にはまだ赤木と桜木が残り、必死で練習を続けている。

跳ねるボールの音と、赤木の怒声が体育館の方から聞こえていた。


流れる汗を拭きながら、流川は部室のドアを開けた。

しかし、流川はそこから足を踏み出すのをためらった。


ロッカーの前に横たわる一人の人間。

それがいつもの通り、あの元気な赤毛のサルだったら何にも問題はない。

そのまま踏みつけてでも叩き起こして自分のロッカーを開けるだろう。



しかし。それは流川にとっては意外すぎる人物だった。

副キャプテン。

3年間、赤木と一緒にこの湘北バスケ部を支えてきた人物だ。

いつも笑顔を絶やさず、部員に優しく、そして自分には厳しいという一面を持つ。

誰からも信頼を集めている人だ。



しかし、そんな彼がなぜこんなところで寝ているのだろう。

流川の頭の中にたくさんの疑問符が飛び交っている。

木暮はこういうことをする人ではないというイメージが流川の中にあったのだ。

床の上に、着替えもしないで寝転がる人だったのだろうか。



流川はとりあえず気持ちよさそうに眠る木暮を起こさないようにゆっくりと近づいていった。

ドアの方向に背を向けて寝ている木暮の顔を覗きこむようにしてみると、やはりどこか幸せそうに眠っていた。

ロッカー室で無防備に眠る木暮に、微かな驚きを感じながら、流川はそっと木暮から離れた。



自分のロッカーへ行き、着替えを取り出す。

シャツを脱ぎすて、ワイシャツに腕を通しながら、それでもどこか気になって、木暮の方を見た。



そこで、流川はあることに気がついた。

さっきは気がつかなかったが、木暮はとあるものを抱きしめながら眠っているのである。



不思議に思った流川は、もう一度ゆっくりと近づきながら、

木暮が腕に大切そうにかかえているものが何であるのかを見極めようとした。

木暮を起こさないようにそれに触れる。

赤い布。

それは湘北バスケ部のユニフォームだった。



流川の頭の中に更に疑問が募る。

一体、なぜ木暮はユニフォームなどを抱きしめながら眠っているのだろうか。

流川は木暮の傍に座り込みながら、頭の中に浮かんだ疑問について考えだした。

傍に座って、じっと木暮の姿を観察する。



やはりどこか幸せそうな顔をして眠っているのは流川の気のせいではなさそうだった。

何が木暮をここまで喜ばせているのだろうか。

流川は気になって、木暮が大切そうに抱きしめているユニフォームに手を伸ばした。

軽く引っ張って、流川はその手を止めた。

木暮が身じろぎをして、少し動いたからだ。

起こしてしまうのは悪いので、流川はそのまま少し待ってみた。

すると、規則的な呼吸が聞こえてきたので、流川はまたそのユニフォームに手を伸ばす。

木暮を起こさないようにゆっくりとユニフォームに触れて、流川はその場で目を見開いて固まった。



てっきり、木暮は自分のユニフォームを抱きしめて眠っているのだと思っていた。

しかし、見えた数字は紛れもなく『14』。

流川はそのままどうしていいのか分からず、固まったまま木暮を見つめた。



なぜ、木暮が三井のユニフォームを大切そうに抱えながら眠っているのか。

最近三井がバスケ部に戻ってきたときから、木暮がどこか嬉しそうにしているのは知っていた。

しかし、それは友人が再びバスケ部に戻ってきたからだと理解していた。

その考えは間違っていたのかもしれない。

どうやら、木暮をこんなにも幸せそうに眠らせているのは、あの『14』番であるらしい。



ただ漠然ともやもやしたものが流川の中に沸き起こってきた。

木暮に幸せそうな顔をさせていること。

14番のユニフォームを大切に抱きしめていること。

名前などつけられない感情。

ただ、何かが嫌だったのだ。



考える前に、流川は言葉を紡いでいた。



「・・先輩・・」



肩をゆすって、木暮の覚醒を促す。



「・・ん・・・」



瞼を2、3度開いたり閉じたりしながら、木暮はゆっくりと目に光を映し出す。



「・・あれ、流川・・?」



木暮は上体を起こしてふとあたりを見渡した。そして慌てたように立ち上がろうとする。



「ごめん、俺こんなところで寝ちゃってたんだ・・」



流川はそんな木暮の様子を、どこか観察するように眺めていた。



「・・あれ・・・」



立ち上がった木暮は、自分が手にしていたものを思い出したかのように見つめた。

そして、そのものの正体に気がついた木暮は一瞬にして顔を赤くした。

困ったように下を向く木暮の姿は、それでもやはりどこか幸せそうだ。



「・・えっと、流川・・?」



真っ赤な顔を流川に向けて、木暮は言葉を濁しながら流川に尋ねた。



「・・見た・・?」



木暮の質問の意味を理解して、流川はゆっくりと頷いた。

嘘をつく必要もないし、なぜだか木暮の反応を見てみたかったのだ。



「そ、そっか・・」



木暮は慌てながら、手にしたユニフォームを見つめ、そして三井のロッカーを開いて、その中へと戻した。

パタンというロッカーの閉まる音とともに、奇妙な沈黙が訪れる。

流川はただずっと木暮を見つめているだけだ。



「・・流川・・」



木暮がうつむきながら流川の方を向く。その顔はきっとまた赤くなっているに違いない。

木暮は自分のTシャツの端っこを握り締めながら小さくつぶやいた。



「ごめん・・このこと、黙っててくれないかな・・」



木暮が流川に向けているのは、きっと言わないでくれるだろうという信用。

そんな信用が無性にイラついた。

信頼なんかを向けられるのはまっぴらだと、頭の中で信号が出る。

裏切ってやれ。

その純粋な信頼を。



流川がただ頷くと、木暮は心底安心したように笑った。



「有り難う、流川・・!」



「先輩」



木暮の言葉を遮って、流川は木暮の方に近づいていった。

よくわからないという顔をした木暮の肩に手を置いて、逃げられないようにする。

見つめられるその瞳は、きっとこれから流川がしようとしていることを全く予想していないのだろう。



「・・口止め料・・」



「るか・・」



流川、と言葉を紡ぐその唇を塞ぐ。

思った以上に熱のある、柔らかい唇だと流川は感じた。



それと、バタンという音とともにロッカー室のドアが開くのは同時だった。



「っつ!!こっの!」



大きな怒声がロッカー室に響き渡る。

そして木暮から唇を離した瞬間に、流川の顔に衝撃とともに大きな痛みが走る。

ガタンと、叩きつけられたロッカーが大きくきしんだ音を出す。



「何してんだ、お前・・」



「おい三井!やめろよ!!」



怒りにまかせて流川を殴り飛ばした三井を、木暮が懸命に押さえている。



「ふざけんな!・・てめー!」


「三井!」



木暮が三井の腕を掴みながら、必死で殴りかかろうとするのを抑えている。

そんな光景を見て、流川は小さく乾いた笑みを浮かべた。



もう、この二人は。

そういうことなのだ。



「何笑ってるんだ、お前」



三井はまだ怒りが収まらないといった様子で流川を睨んで立っている。



「・・先輩」



流川は下を向きながら、ゆっくりと立ち上がった。

その顔には未だ消えない冷たい笑みを浮かべて。



「・・絶対負けねえ」




あんなに綺麗な存在を見たのは初めてだったんだ。

だから、助けてほしかった。

バスケを捨てて、また戻ってきた彼のように。

自分も。





「・・絶対負けねえ」





たとえそれがどんなに痛みを伴おうとも。