大石の声が好き。

声を聞くとふわりと、全身を纏う空気が柔らかくなる。

そんな感じ。


だから大石に名前を呼ばれたときは必ず微笑んでしまうんだ。

大石に抱きついたときに困ったように呼ぶ「英二」という声も、試合に勝ったときに大石が嬉しそうに呼ぶ「英二」という声も。


どれもこれも愛しくて、幸せな気分になる。
大石ってすごい。
俺のこと、こんなに幸せにしてくれるんだからね。





+声音+





今日は大石の部屋に、勉強をするために来ている。
うちにいてもどうせ大石のことばっかり考えて、勉強する気になんてなれない。
だったら、大石の傍で勉強した方が絶対はかどるはず。
そう、大石に言ったら、少し苦笑いを浮かべながら『いいよ』と言って俺の頭を優しく撫でてくれた。
そして約束を忘れることなく、大石は日曜日の今日、家へ呼んでくれたんだ。

数字の羅列が並べられている教科書を、俺は大石のベッドに仰向けになりながら読んでいた。
大石は自分の机で問題集の問題を解いていて、俺は持ってきた教科書を読みながら問題を解いている。
問題集に教科書と似たような問題があって、二つの問題の解き方を比べながら問題を理解する。
数学の教科書って、どうしてこんなに分からない書き方をするのだろうか。
もう少し分かりやすく書いてくれれば、勉強する気も起きるのに。

大石が教えてくれる数学は本当に分かりやすい。
もしかしたら学校の先生よりも分かりやすいんじゃないの?と思うけれども、言葉にして言わない。
そんなこと言ったら竜崎先生に怒られちゃうもんね。
菊丸は教科書を読みながら、フムフムとその問題の解き方を理解して、飛び上がるようにベッドから体を起こした。
そうして床に置いてあるテーブルに真面目に向かう。
俺だって勉強するときは勉強するのだ。
そうしないと試験前に痛い目を見ているのは目に見えているから。

もし俺の成績が落ちたら。
こうして大石と俺が日曜日に会っているせいで、俺の成績が落ちたのかもしれないと、そんなことは全然ないのに大石は優しいからそう考えるに違いない。
そんなことになったら俺もすごく辛い。
だから遊ぶときは遊ぶ、勉強するときは勉強する。
そうけじめをつけて勉強することを覚えたのだ。
でも、実は勉強するときも大石の傍にいるし、遊ぶときも大石の傍にいる。
それって一石二鳥じゃない?

数学の問題を一つずつこなしていきながら、菊丸はチラっと大石の背中を眺めた。
姿勢よく椅子に座る姿はかっこいいと思う。
そうして何事にも自分の姿勢を貫いて、潔いところなんてすごく好き。
勉強中は他のものが目に入らないことなんて知ってるけど、今はさ、ここに可愛い恋人がいるんだから少しくらい振り向いてくれたっていいよねと思う。

俺は片手を計算するために動かしながら大石の背中に向かって念じる。

こっち、向け。

俺の方を見て。

その願いが通じたのだろうか。
大石はカタンとペンを置いて、こっちを振り向いた。

自分で言うのもなんだけど。こういうとき、流石青学黄金ペアと思うよね。

大石は俺の方を見て、俺を幸せにしてくれる優しい笑顔で笑った。
いつもは、誰をも包み込むお母さんのような顔で笑うのだけれども、俺といるときは別。
俺だけにはいつも、本当に嬉しそうな顔をして笑ってくれるから、俺も思わず幸せな気分になる。
幸せそうに笑う大石に俺も最上級の笑顔で笑い返した。

「勉強、はかどってる?」

大石が椅子から降りて、こちらに近づいてくる。

「うん、はかどってるよん」

大石に大きくピースをしてみせて、計算式で埋まっているノートを掲げてみせた。

「本当だ、すごいね。英二は飲み込みが早いからね。基本さえ分かれば応用なんか簡単だろ?どこか分からないところとかあった?」

大石が丁寧な仕草でノートを一枚ずつめくっていく。
俺はそれをじっと隣で眺める。

「ううん、今は特にないよ。分からないところがあればすぐに大石に聞きにいってるだろ?」

「そうだな」

パタンとノートを閉じて、大石は俺に返してくれる。
それを受け取って、俺はちらりと壁に掛かった時計を見た。
もうそろそろ3時。
たくさん勉強もしたし、そろそろいいかな。

「大石、休憩にしよう!」

大石も勉強に一区切りついたみたいだし、俺も大石に褒められるだけ勉強したんだから。
そう思って大石を強請るように見上げると、大石は壁に掛かった時計が3時を示しているのに気づいて、小さく笑いながら頷いた。





大石が持ってきてくれたお菓子と飲み物がテーブルの上に並べられる。
いつもお菓子は大石のお母さんの手作りで、そんなところはすごいと思うし、大石のお母さんなんだなと思う。

大石の家の雰囲気が好き。
うちは家族の人数が多くていつも煩いんだけど、大石の家にはいつも穏やかな空気が流れてる。
来るたびにああいいなと思うんだ。
もちろん、兄ちゃんや姉ちゃんのいるウチだって大好きだけどね。

大石の横に座って俺は、大石のお母さんが作ってくれたクッキーを食べる。
すると、突然大石が俺の名前を呼んだ。

「英二」

ドキン、と心臓が跳ねた。
こんな至近距離で、そんな優しい声で俺の名前を呼ぶなんてズルイ。
俺ばっかりがどきどきしているようで口惜しいじゃんか。
クッキーを食べながら、俺は大石の声など聞こえなかったかのように顔を下に向けた。

「英二?」

だからズルイってば!
こんなに近くで俺の名前を呼ばないでよ。

顔に熱が昇ってくるのが分かる。

頬が熱い。

俺は耐えられなくなって大石の前に移動して、向き合うように座った。
そしてぎゅっと大石の体にしがみつく。
そんな俺に何も言わず、大石は優しく俺を抱き返してくれた。
髪の毛を弄んでくれる大石の手が嬉しい。
その温かさがとっても恋しくて、俺は更に大石に抱きつく。

「大石の声が好き」

「声?」

そう、大石の声が好き。
俺を呼んでくれる声音がいつも優しいのを知っているから。
耳元で自分の名前を呼ばれるだけで幸せになれるんだ。
心の奥底からあたたかさが昇ってきて、体中にかあっと熱が広がる。
胸の中がいっぱいになって、あたたかさが溢れ出してきそう。

俺は顔を上げて、大石の顔を覗き込む。

「大石が『英二』って名前を呼んでくれるのが好き。大石の優しい声も好き。だから大石。『英二』って呼んで?」

俺が強請ると大石は困ったように、けれど優しい声音でこう言ってくれた。

「英二」

その声の柔らかさに体中が幸せに包まれる。
くすぐったいような感触に思わず片目を細める。

「もっと呼んで」

「英二」

柔らかい、包み込むような音に俺は自然に笑みを零す。

「英二」

大石の唇に触れて、その動きを指で感じる。
優しく触れる大石の唇に、俺はもっと大石の言葉が欲しくなる。

「もっと。もっと呼んで」

駄々っ子のようにせがむ俺に、大石はまた穏やかに笑う。

「英二は面白い奴だな。いつも呼んでるだろ、英二って」

大石の言葉に俺は思わず頬を膨らませる。

「いつものじゃ駄目なの!大石はよく他の人の名前も呼ぶじゃん。手塚とか越前とか。だから駄目。俺といるときは俺だけに、俺だけのために名前呼んで」

大石の唇に指で触れながら、強い視線でそう強請る。
真っ直ぐに大石を見詰めると、大石もただ俺だけを見てくれる。
確かな大石の真実。
それが嬉しい。

「英二」

視線を合わせたまま大石が、その唇に触れていた俺の指先にそっとキスをする。
ぞくり、と体の中を駆け抜けて、俺は思わず目を閉じる。

「英二」

息がかかるほど近くでそう囁かれて、俺は体を震わせる。
そして唇に大石の熱を感じて、腕を大石の首に回して、縋るように抱きついた。
与えられる熱に心の頭の中も掻き乱されたようにぐちゃぐちゃになる。

大石の声も好き。

だけど。

大石が一番好き。

もっと。もっと。

大石が欲しい。


離された唇に不満を感じて、強請るように大石を見上げる。

「もう、勉強終わりにしようよ」

そう言うと、大石はおでこに一つ、優しいキスをくれた。

「・・そうだな」


大石の腕に運ばれて、背中に感じた柔らかい感触と、大石の熱の心地よさに俺はうっとりと瞳を閉じた。