誰かに。

捉えられることが嬉しいと。

初めて感じたのは、他でもないあの人と出会ってからだ。





+2アウト、2・3塁。





白球は青い空に、一筋の緩やかに綺麗な軌道を描いて飛んでいく。

それを目の端で捉えながら、乾いた地面を真っ直ぐにあの人のもとへと走っていく。

ボールが飛んでいったのはレフト方向。

十二支高校一野球を愛する部長のもとへ飛んでいったボールは、直ぐにあの人へと返されるだろう。

気は、一秒たりとも抜けない。

後方から直ぐに投げられる気配を感じて、僕は本塁へ向かう速度を早めた。



あの人――辰羅川さんに、初めに目をつけたのは他の誰でもない僕だと言い切ることができる。

だって僕は初めから、ずっとあの人のことしか見ていなかったのだから。

初めは捕手というポジションに興味を惹かれたからなのかもしれない。

僕のイメージの中のキャッチャーというものはそれこそ、三像先輩のようなものであったから。

いつも僕はああいう体の大きな、まるで宝者を守る番人のような面構えをしたキャッチャーに、

その体の大きさで本塁へ向かうことを阻止されてしまう。

縮まらない体格差はスピードと技で補うことしかできず、

恵まれない自分の体と恵まれた相手の体に焦燥と羨望を感じていた。


今回もまた、同じ学年でキャッチャーになる人間はそういうタイプなのだろうと、

相手にとっていわれの無い憎悪と羨望を持ちながら、辰羅川に初めて会ったときに、

不思議な高揚感とともに、


胸が高鳴った。


僕にとってキャッチャーはいわば天敵に等しい人間であるはずなのに。

どうしてだか彼を一目見たときからざわざわと心の深いところが騒ぎ出す。

思わずユニフォームの上からぎゅっと心臓の辺りを掴んでしまうほど。

辰羅川さんから目を離すことができず、まるで呆けたように彼を見ていた。

後から考えると酷く間抜けだったと思う。


辰羅川さんは今まで僕が見たことのないタイプの捕手であった。

体格がよいという訳ではなく、策略を講じるタイプのキャッチャー。

人当たりがよく、誰にでも優しい。

頭がよく、機転の利くタイプだと思った。

僕にも気をかけてくれていて、たまに向けられる優しい言葉と笑顔に、

もう一日のうちで辰羅川さんのことを忘れている時なんてないほど。

頭の中は辰羅川さんでいっぱいになった。


だから僕は声をかけた。

辰羅川さんが犬飼くんと仲良しだということは知っていた。

だけどそこで一歩引いてしまったら、きっとこの先一生、僕は辰羅川さんと近くなれることはないと。

必死に自分に言い聞かせて、まだ知り合ったばかりの辰羅川さんに声をかけた。



『一緒に練習してください』



初めは少しびっくりしていた辰羅川さんだけど、その後は笑顔になって、



『分かりました。一緒に練習致しましょう』



と答えてくれた。

それから、僕と辰羅川さんの関係が深くなっていったんだ。


辰羅川さんと練習をし始めてまもなく。

僕は折角僕と辰羅川さんなのだから、と本塁への走りこみの練習を始めた。

提案したのは僕なのだけれども、辰羅川さんも練習になるから、と快く受け入れてくれた。

辰羅川さんがホームベースを守り、そこに僕が3塁から走っていく。

ボールを持った辰羅川さんは、ただ真っ直ぐ、僕だけを見て。

走りこんでくる僕を、本塁は踏ませないと、普段は見せることのない鋭い目つきで追う。

そんな視線にゾクりと背筋を震わせながら、負ける訳にはいかないと、

本塁へ駆け込む速度を早める。

どんな角度で、どんな速さで辰羅川さんをかわせばいいのか。

最初の頃はお互いにデータもなく、僕の方が有利だったのだが、

何度も練習を重ねていくうちに、段々僕の手の内も暴かれて、

辰羅川さんの術中にどんどんと嵌っていくような気さえする。


僕と、辰羅川さんだけ。

二人だけの空間。

部活後の練習。

日はとっくに暮れていて。

こんな時間に練習している人間も他にいなく。

ただ僕だけを見てくれる辰羅川さんに眩暈すらした。


そうして本塁に走りこんでいくうちに、辰羅川さんをうまくかわし損ねて、

真っ直ぐに辰羅川さんに突っ込んでいってしまった。

まだまだ甘い僕の技術に唇を噛む。

正直にも真正面に思いっきり飛び込んでいってしまった僕は、

恥ずかしくて顔を上げることもできなかった。

しかし。

僕よりも一回り長い腕が、そのまま優しく僕を抱き締めてくれる。



『大丈夫ですか?』



見上げるとそこには心配そうな辰羅川さんの顔。

顔を上げずにいた僕を、何処か怪我をしたのかと思ったようだ。

慌てて僕を抱き起こそうとする手に、僕も慌ててその手を押し留める。


『あ、ごめん辰羅川さん、何でもないんだ』


僕が大きく首を振ってそう伝えると、辰羅川さんは安心したようにほっと息をついた。



『よかった・・君にお怪我がなくて』



そう言って、他の誰に見せるよりも優しい笑顔を僕に向けてくれたのだった。



体が小さいからと、心配されるのはいつものこと。

だけど、こんな風に。

ちゃんと僕を一人の人間として見てくれて、心配してくれる人に今まで出会ったことがなかった。

僕は優しい辰羅川さんの眼差しに泣きそうになりながら、それでも真っ直ぐ、

本塁に向かうときのような視線で、辰羅川さんを見上げた。




「辰羅川さん・・。



 好き、だよ

           」




それは本当に後から考えると唐突な告白で、辰羅川さんは目を瞠った。

何かを言い募ろうとしたんだろうけど、僕の真剣な目を見て、

それが嘘じゃないってことを理解したみたいだった。



そうして。



いつも僕を本塁から遠ざけるような強さではなく。

とても優しい腕で、僕を抱き締めてくれたのだった。





好きなのは2アウト2・3塁。

白球が空を舞い、僕は2塁を蹴る。

ボールはレフトの浅い位置に落ち、すぐさま本塁へと投げ返される。



そう、本当に、不覚にも。



僕は初めて、捕まえられるということが嬉しいと感じてしまったんだ。

2アウト、2・3塁。

好返球が、キャプテンから辰羅川さんへと返って来る。

いくら早い僕の足でもキャプテンの送球と本塁へ帰ってくるのが同じくらいで。

僕が早いか、辰羅川さんがボールを掴むのが、先か。

と、思っているうちに、辰羅川さんのミットにボールが収まるのが見える。

僕を本塁から阻止しようと立ちはだかる辰羅川さんは、ただ真っ直ぐに僕のことだけを見る。

ただ二人だけの空間。

そんなこと、あるはずがないのに、

このグラウンドには僕と辰羅川さんの二人だけしかいないような気さえした。

立ちはだかる辰羅川さんを避けるように本塁に腕を伸ばす。

しかし何度も何度も練習を繰り返した辰羅川さんには、僕の行動の半分くらいは読まれてしまう。

今回は、辰羅川さんの勝ちだった。

僕が動いた方向に辰羅川さんも動いて。

すっぽりと、僕より二周りくらい大きな辰羅川さんの腕の中に抱き締められる格好になる。


アウト!


叫ぶ審判の声も、どこか遠くに聞こえた。

アウトになってしまったのに、それでも。

掴まえられた腕の中が酷く優しくて。

僕は、不覚にも。

掴まえられてもいいかもしれないと、思ってしまうんだ。



顔を上げると、僕だけを見つめてくれる辰羅川さんがいる。


好きなのは、2アウト2・3塁。

例えば僕が2塁にいて、本塁でアウトになれば。

それでこの回は終わるんだから、辰羅川さんは、僕以外の誰のことを気にする必要はない。

だから、ただ僕だけを見てくれる。


僕だけを見て、そうして優しく微笑んでくれるんだ。



「・・今度は負けないよ!」



見つめる優しい笑顔にそう告げると、彼は嬉しそうに笑ってみせた。



「ええ、今度も負けないように致します」







そうして僕たちはまた、次の回の戦いに向けて立ち上がるんだ。