+微熱+ 与えられる熱は、甘くゆっくりと体の中に浸透していく。 ゆっくりと、ゆっくりと、体の線をなぞるように。 心はいつも彼への熱を孕んでいるから。 ひとつ、ひとつと熱がしみこんでくるたびに、 体の奥から抑えきれない程の熱が溢れ出してくる。 心地よいあたたかさと、包み込むような夏の香り。 あまりにも体に馴染んでしまって、離れることができないくらいに。 強く、心を占めている。 抑え切れない感情を持て余して、どうすることもできない。 クーラーのついた部屋はどこか無機質に新一を包む。 作られた冷たい風がどこか気にいらなくて、新一はクーラーのスイッチを切った。 誰もいない空間。慣れているはずのそれは新一が好むものであった。 誰にも邪魔をされずに、好きな読書に没頭する。 食事を忘れて新書を読み続けることも少なくない。 だけれども、今日はどうしても好きな本に集中することができなかった。 触れる本の感触、ソファの感触。 どれもこれも求めているものとは違って、心が渇望の悲鳴をあげる。 違う。欲しいものはこれじゃない。 新一は体を冷たい空気が走るのを感じて、自分の体を抱きしめた。 溶かされてしまうほどの熱が欲しい。 触れていくものすべてを溶かしてしまうほどの熱が。 認めてしまえば簡単なことで、新一は本を読むのを諦めて、そのままソファへと寝転がる。 クーラーを止めたので、生暖かい空気がじわじわと体を這い上がってくる。 それさえも今は心地よく感じて。 熱を逃がしたくなくて新一は足を抱えて体を縮こませた。 早く、帰って来い。 待っているのももどかしいくらい、ココロとカラダがあいつに餓えている。 帰ってきて、あの誰をも溶かしてしまうほどの熱で包んでほしい。 目を閉じると、外からは蝉の鳴く声が聞こえる。 彼らは夏のほんのわずかな時にしか生きることができない。 その短い人生の中で、彼らは夏を知らしめるためだけに鳴いているのではないだろう。 夏の中で、熱を求めて。 短い時しか生きることができないからこそ、あんなにも情熱的に鳴くのだ。 欲しいものがあるのだと、求めるものがあるのだと、身を削りながら。 あんなにも素直に欲しいものを求めることができたらどんなに心が楽になるだろう。 ヒトという生き物は生きている時間が長く、その分まだ先にある時間をあてにしてしまう。 まだ時間はあるから。 そういう逃げ道をいつでも持ってしまっている。 傷つくのが怖いから。失敗するのが嫌だから。 長く生きるということで、ヒトは臆病になっていくのかもしれない。 自分に与えられた時間を計算し、逃げるために時間の余裕を用意する。 そういう自分も臆病なのだ。 新一は目を閉じたまま、唇の端で微かに笑った。 今も、与えられる熱だけを待っている。 いつも惜しみなく与えられるものだと疑わずに。 だけれども、時は永遠ではないから。 いつしか、まだあると思っていた時間はなくなり、ヒトは焦る。 前もって行動を起こしていたヒトを羨みながら、起こさなかった自分を罵りながら。 いつしか自分もそうなるのだろうか? そんな愚かな人間に。 新一はふと目を開けて、窓の外を見た。 空の端の方から赤みを帯びてきている。 そろそろ外のうだるような暑さは影を潜めるのだろう。 時間があるというのは人間の特権だけれども、待っているだけでは何もならない。 相手が欲しいならば、その側面を少しだけ見せてやればよい。 気がつくか気がつかないかなんて相手次第。 それが人間だけの時間を使った恋の駆け引き。 これだけは人間の特権で、他の誰にも真似できない。 人間の感情なんて、面倒臭いもの。 いっそ、蝉のように素直ならば楽だったんだ。 新一はゆっくりと立ち上がって、ひんやりとする床を踏みしめながら玄関へ向かった。 今日だけは特別に、ここで待っていることにする。 だから、早く帰ってこい・・。 早く・・。 何分くらい待っただろうか。 それは人間の人生にしたらほんの僅かな時間でしかないはずだ。 だけど焦がれるような熱のせいで、それはあまりにも長い時間のように感じられた。 人間っておかしい。 こんなの蝉が聞いたら笑っちまうよな。 新一は目を閉じて、嘲るように笑った。 そしてやっと待ち望んでいた、ドアの開く音。 待ち望んでいた人と、想像通りの驚いた顔。 「ただいま・・っ!!て、なんで工藤こんなところにおんねん。びっくりしたわ」 外から帰ってきた平次は、手にスーパーの袋を持ちながら、額に汗をかいていた。 彼が帰ってきただけで、この家の中の空気ががらっと変わる気さえする。 思わず笑みを浮かべていたことに気がつかなかった。 時がもったいないから。 やっと手に入れられた熱に静かに体を預けていく。 夏の太陽でさえ負かしてしまいそうなほどの平次の熱と、沸き立つような汗の香り。 そう、これだ。 これが欲しかったんだ。 いつまでも新一を惹きつけてならない、平次の熱。 熱は皮膚を伝わって、じわじわと体の中に入り込んでくる。 それは情事の時の愛撫にも似て、どこか心地よかった。 そんな新一に平次は嬉しそうに笑う。 「なんや、さみしかったんか?」 こうも簡単に言い当てられてしまうと、何だか反対に腹が立つ。 だから、仕返しに。 ちょっとだけ背伸びをして、平次の耳元に唇を近づける。 そしてくすぐるように耳に口が触れる寸前で息をはいた。 「・・抱いて」 息を詰める音と、手にしていた荷物を落とす音。 真っ赤になった平次を見て、新一はくすくすと声をたてて笑う。 「嘘にきまってんだろ、ばーろぉ」 ああ、何だかあったかいんだ。 待ち望んでいるものは、もう手放せない。 いつしか、蝉の鳴き声は聞こえなくなっていた 手に入れたのだろうか、身を焦がすような熱を。 |