+嘘+ 目に見えているものが真実で 見えないものは虚構だと、誰が言ったのだろう。 信じるものさえ違わなければ 皆、同じであるのに。 快斗が目の前で綺麗にトランプを操る。 それはまるで一つの生物であるかのようで。 ひどく新一の心を惹き付けた。 滑らかな曲線を描く指先が、一つ一つカードを操っていく。 「ねえ、新一?」 快斗は何もない黒い板の上に、一枚のカードを置いた。 その様さえ優雅に。 快斗は、何も表情を読み取ることができない、仮面のような笑顔で佇んでいる。 新一はただ黙って目の前に置かれたカードを見つめた。 置かれたカードはスペードのエース。 板の上は全て黒で覆われていて、その冷たさに少しだけ身震いをする。 目に映る黒はまるで快斗の瞳のように、 虚無で何も存在していないような感覚を起こさせた。 快斗の瞳には今何も映ってはいない。 映ることを拒否してしまった瞳は虚ろに空間を写し取っているだけだった。 まるで底なしの闇。 何もかもを飲み込み尽くしてしまいそうなその色に、新一は悲しげに快斗の瞳を見た。 今は・・ そう。 新一の姿でさえ映っていない。 快斗の手が優しくカードの縁に触れた。 「ねえ、新一」 何も映していない瞳とは裏腹に、新一に問い掛けてくる言葉は睦言のように甘い。 「誰が裏や表を決めたんだろうね」 快斗が慣れた手つきでカード裏返す。 そこにもトランプ特有の赤い色彩はなく、模様は全て黒で印刷されてあった。 黒い薔薇の花がまるで新一を嘲笑うかのように妖艶に咲き誇っている。 「どうしてこっちが裏なんだろうね」 快斗の指がいとおしむようにカードに印刷されている薔薇に触れる。 「こっちの面が表だっていいじゃない?」 薔薇の花の輪郭を指でなぞり、まだ咲きかけの蕾に触れ、快斗は嬉しそうに目元を細めた。 快斗は新一に感情を何も読み取らせないような表情で再びトランプを裏返す。 「・・・」 息を詰めてその指先を見つめる。 裏返して出てきた絵柄はスペードのエースではなく、またしても黒い薔薇の柄。 新一は目を少しだけ見開いて快斗の顔を見た。 快斗はただいつもの笑みを顔に貼り付けているだけで、何の感情の変化も見られない。 「ほら、これでどっちが裏かどっちが表か分からなくなっただろ?」 快斗は数回カードを裏返して、どちらも同じ絵柄であることを確認させる。 黒い薔薇が快斗の指先で踊るように跳ねる。 漆黒の中でカードの縁の白だけがひどく際立って見えた。 「さあ、名探偵。どちらが表でどちらが裏かな? 真実が見える君ならそれを見つけることができるだろう?」 快斗が抑揚のない声でそう問うた。 もたらされた問題は、観念の絶対性。 どんなに自分が表だと思ったものも、他の人間にすれば裏でしかないこともある。 新一は一つ息を吐いて、快斗の何も映し出さない瞳を見つめた。 真実を見つける探偵と、人の物を盗む怪盗。 どちらが表で、どちらが裏なのか。 新一はそのカードに触れ、再び裏返してみせた。 そこには先ほどと変わらない、薔薇の花の模様が印刷されている。 同じ模様。裏返しても裏返しても、永遠に続くかと思えわれる同じ光景。 「何度裏返したって同じだよ、新一」 優しい声音でそう囁かれる。 指を快斗に取られて、いとおしむように唇で指先に触れられた。 「新一、本当に正しいものなんてあるのかな?」 信じているものが、がらがらと足元から崩れていく感覚。 快斗は何度もそれを味わってきたのかもしれない。 「自分が本当だと信じているものがいつ嘘になるかわからない。 そんな中で真実なんてあるのかな?」 そっと腕を引かれ、快斗の腕に抱きこまれる。 瞳はまだ新一を映していないのに、まるで操られた人形のように新一の唇に触れた。 触れただけの唇は冷たさだけを残して離れていく。 「正しいなんて誰が決めたんだろう。間違っているなんて誰が決めたんだろう」 うわごとのように快斗は呟いた。 そんな快斗を見ているのが辛くて、新一はそっと快斗の背に手を回した。 背骨をなぞり、浮き出ている肩甲骨に触れると、一瞬快斗は息を止めた。 暖かさが、熱が、戻ってくる。 新一は快斗の腕を取って、快斗と同じようにその手に唇で軽く触れた。 慈しむように、守るように触れるだけのキスを降らしていく。 新一は少しだけ色の戻ってきた快斗の瞳を真正面から覗き込んだ。 「・・怖いか、快斗?」 新一の問いに、小さく体を震わせただけで、快斗は何も答えなかった。 快斗は。快斗の心は。 信じてきたものがそのままそうではないと覆されて。 もう何も信じられない程傷ついてしまっている。 「・・怖いか?」 再びそう尋ねて、新一は快斗の心臓の上にゆっくりと手を乗せた。 そこは快斗が懸命に生きている証を伝えている。 どくん、どくん、と手のひらに伝えてくる血は、快斗の生きている証。 「真実なんて、そう。見る人によってそれが全然真実じゃなくなることがある」 快斗の目の中には、いつもの人懐っこいような光は見えない。 けれども、奥に引き込んでしまった快斗の心を もう一度こちらに呼び戻すだけのきっかけが、そこにはあった。 「何が正しいか正しくないかなんて、その人によって違う。 みんな生きてきた時間も場所も違うんだ」 そう、何もかも違う。 人なんて全く同じ人間なんていないのだから。 「だけど、真実は・・」 新一は快斗の目の前にあるトランプの下にすっと手を入れた。 指先を上にあげ、もう一度トランプを裏返してみる。 「真実は、その人が信じていることが真実なんだ」 ぱたり、と乾いた音を立ててトランプがひっくりかえる。 そこには先ほど消えてしまったはずの、スペードのエースが印刷されていた。 快斗は静かに息を詰める。 そしてそろりと腕を動かして、新一の腰を強くひいた。 快斗の腕に抱えられながら、そのまま床へと体が倒される。 腰に回った腕は新一の体を強く抱きしめていて、まるで骨が軋みそうな程強く抱かれた。 快斗は新一の首に顔をうずめていて、その表情は見えない。 「自分が強く思うこと――それが真実だから」 いつもは触れることができない快斗の髪を優しく梳いてやる。 柔らかく触れるそれの感触に、新一は優しく笑う。 もう快斗からは真っ黒く、何もかもを飲み込んでしまいそうな闇はなかった。 「快斗、・・好きだよ。それが俺の真実」 快斗は?と問うと、 首に顔をうずめて新一を抱きしめていた快斗が、 がばっと顔をあげて新一の口唇を奪った。 深く口づけて、快斗は名残惜しそうに、最後にちゅっと下唇を舐めた。 「あー!もう新一本当に好きだよ!もう誰にもあげないし、誰にも触らせないから!絶対!」 いつもの快斗の口調に新一は口の端をあげて笑った。 その顔を見て、快斗もいつもの悪戯好きそうな笑みを浮かべる。 快斗が新一に覆い被さりながら頬に口付けの雨を降らせていると、 快斗は突然はた、と気がついたようにトランプを一枚取り出した。 それはさきほどと同じ、薔薇の柄のトランプだった。 「俺の大好きな新一くんに、真実をプレゼントv」 「へえ、何?」 新一が興味を持って答えると、快斗はうれしそうに微笑んだ。 快斗がぱちんと指を鳴らすと、カードが一回転する。 「Present for you・・・」 新一の前には一枚、ハートのエースが差し出されていた。 嘘でもいいよ。 だから君の真実で僕を愛して。 |