真っ青な空の下、穏やかな昼の時間に一人道を歩きながら、 自分の周りはなんと平穏なのだろうと心の中でそう独りごちた。 +室町十次の受難・1 昨日の夜は派手に抱き合った。 いつものことなのだけれども、千石さんの家に遊びにいったら有無も言わさず抱き締められた。 (有無も言わさず、というのは正確には違って、抵抗はするもののいつも千石さんに丸め込まれてしまうのだ) 普段だったらそれでも簡単に受け入れることはないのだが、昨日の千石さんはいつもと違って。 甘えてくるように肩に顔を埋められた。 もう大概、俺と千石さんの付き合いも長くって、 千石さんがそういうことをしてくるときはどんなときなのか大体分かるようになってきた。 きっとまた、この人はたくさんのことを一人で抱えすぎて、どうしようもなくなっているのだろう。 不真面目に見える千石さんは実は色々と考えていて。 表の明るさは計算じゃないのかと思えるくらいに、千石さんの内面は色々な思いでいっぱいなのだ。 けれど、千石さんは滅多に俺に弱音を吐かない。 恋人なのだからもう少し頼ってほしいとも思うのだけれども、 先輩の意地があるのか千石さんは本当に俺に弱っているところを見せたがらないのだ。 大丈夫だよ、そんな風に笑って。 いつも自分の中で何とかしてしまおうとするのだ。 だから千石さんが昨夜のように俺に弱っているところを見せるのは本当に珍しいことで、 そしてだからこそ、千石さんが普段よりもずっと苦しんでいることが分かる。 けれど、それ以上は聞かない。 聞けないのではなくて、聞かないようにしている。 下手に聞いてしまえばあの人は、はっと我に返って、また大丈夫なふりをしてすっと腕の中から逃げてしまう。 助けてくれって内心では思っているくせに、下手なプライドが邪魔をして助けを求められないのだ。 だから、俺はわざと気づかないふりをする。 気づかないふりをして、そうして。 何も言わずに抱き締めるのだ。 顔を埋めてきた千石さんの背に腕を伸ばして、すっぽり抱き込むには腕の長さが足りないのだけれども、 なるべく抱き込むように抱き締める。 千石さんの頭を胸に預けて、ぎゅっと抱き締める。 すると僅かに千石さんの体が震えて、そして千石さんの腕が俺の背を強く抱いた。 それが合図で。 かりっと鎖骨の辺りにくちづけられて、それから何も言わずに床に縫い付けられた。 普段とは違う、強い眼差しと、獣じみたキス。 俺はその晩、千石さんの心の痛みが少しでも無くなればいいと思いながら、その背に手を伸ばし続けた。 その結果が、これだ。 千石さんに求められ続けて、気を失うように倒れこんだのは深夜すぎのこと。 朝起きるともちろん体は動かなくて、千石さんは俺に甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。 けれど体調は直ぐによくなるはずもなく、 『俺も室町くんと一緒に家にいる』と言った千石さんを無理矢理家から追い出して、 まるで第二の家かと思うくらい慣れてきた千石さんの家で、午前中を寝倒した。 そして今に至る。 体の具合も大分よくなって、午後からでも授業に出ようと学校にやってきたのだ。 午後は幸いにして動かなくてはならない授業もなく、乗り切れるだろう踏んでのことだ。 ちょうど今行けば昼休みの時間だろう、そう思って一人校舎内に入っていく。 すると校内では昼の放送をしていて、午後の授業までにはまだ時間があることを知った。 俺は僅かに安堵の溜息をついて、そうして靴箱に靴を入れた。 しかし、そこで不審な音がして、俺は僅かに眉をしかめた。 きーん、と、校内放送のマイクが特有の機械音を発したのだ。 故障だろうか、いつもはこんなことはないのに、と思っていると、突然。 耳を疑うかと思うような声が俺の耳に飛び込んできた。 「室町くん、大丈夫!? 昨日は無茶してごめんね! 今日は室町くんのお願い何でも聞いてあげ・・・」 ぷつり、とそこで放送は途切れた。 千石さんの言葉の後ろでなにやら慌てる放送部員の声が聞こえたから、 きっと無理矢理マイクのスイッチを切ったのだろう。 いや、もしかしたら放送器具そのもののスイッチを切ってしまったのかもしれない。 一瞬静寂に襲われた校内に溜息をついて、俺はくるりと向かう方向を変えた。 今履き替えたばかりの靴を手に取り、そうして再び履きなおす。 今日は休講決定である。 俺は再び真昼の道を歩きながら、俺以外はなんて平穏なのだと溜息をつかずにいられなかった。 |