+Love sphere






黒板の前では、どこから見てもまともな道を真っ直ぐに歩いてきましたと言わんばかりの、

髪はきちんと分けられ、スーツを着こなした教師が、延々と日本の経済について語っている。

真面目に真っ直ぐ歩いていくことだとか、日本の経済状況を述べ、改善点を語ることだとか。

それで楽しいの?と一度尋ねてみたいものだといつも思う。

けれどきっと、尋ねてみたところで楽しいという答えが返ってくることは間違いがない。

そこで楽しいと言わない人間が、こうして自分の考えを押し付けるかのように自慢げに、

知識を人前で語っているはずもないからだ。

今生きている道が正しいと思い、それを肯定する言葉を述べなければ、

今まで生きてきた道は全て間違っていた道であるということを証明することになる。

そんな無様なことを彼らがするはずもないだろう。

千石は穏やかな日の当たる席で一つ退屈げに欠伸を漏らした。

一度でいいから目の前にいる教師たちの道を否定してやりたいと。

今まで君たちの生きてきた道は間違っていたのだと、

彼らの主張を看破してみたいという気に駆られる。

真っ直ぐ生きてきた人間が他の道を見、それを正当化されたとき、

目の前で当然の事柄、ありきたりの知識ばかり口に出す彼らがどういう反応を示すのかと。

そうは思ったが、千石はそこまで暇ではなく、そこまで非道ではない。

ではどうしてこんなことを思うのかと言えば、彼の授業がつまらないのだ。



日の当たる席、5時間目、社会。

これほど眠い授業はないのではないだろうかというくらいに、

退屈の極みの時間を千石は過ごしている。

席替えというものはほとんどの場合、くじびきで行われる。

くじびきほど運というものに左右されるものもなく。

得意科目よりもよい成績が得られるのではないかというくらい得意であるくじびきで、

千石が教師の目の前の席になどなる訳がなかった。

だからこそ千石はほとんど高確率で窓側、

それも後ろの席を手に入れることができるのであった。

この席も、最近のくじびきで手に入れた席だ。

別に後ろの方であればどの席でも同じだと思うのだけれども、

やはり窓側にこだわってしまうのは、

窓の外から校庭が見られるという特典がついているからなのだろう。



千石はつまらない授業から意識を外し、校庭へと視線を向けた。

そこでは、どこかのクラスが体育の授業をしていた。

今日の体育は野球であるのだろう。

生徒たちはダルそうにホームベースを出したり、ラインを引いたりしている。

そこで千石はふと、気づいたことがあって、視線を勢いよく教室内に戻し、黒板を見た。

今日は水曜日。そして5時間目。

日付を見て、千石はがっくりと首を落とした。


・・何たる失敗。

水曜日の5時間目といえば、

愛する愛する室町くんのクラスが体育をしている時間ではないだろうか。

いつもいつもこの時間は室町くんの体育をする姿を見ていたはずだったのに。

ああそうか、そうだったのか。

この授業をまともに聞いた覚えがなかったのも、あの教師にやたら反感を覚えるのも全部、

この時間に室町くんのクラスの体育が入っていたからなのだ。

千石はうな垂れた頭を、こうしちゃいられないと再び勢いよく校庭へと向けた。

既に用具の搬出が始まっているということは、

もう準備体操は終わってしまっているのであろう。

それを思い千石はまた項垂れそうになる。

どうしてもっと早く気づかなかったのだろうか。

いや、どうして今日に限って室町くんの体育の時間を忘れていたのだろうか。

後悔してもしきれず、千石は未練たらしく室町の姿を目で追った。

室町は日の射す校庭の中で一塁ベースを持って歩いていた。

細いその腕では少しベースは重そうで、思わず千石は自分が持ってやりたい衝動に駆られる。

授業が自習であればもしかしたら校庭へと走り出していたかもしれない。



室町がベースを一塁の場所へ置くと、教師が集合の合図をしたらしく、

室町は走って教師の元へと向かう。

走るたびに、体育着の裾から肌が見えて、それが何ともいえない。

そんな室町の姿が誰かに見られていたらと、気が気でないのも事実なのだが。

そんな中、室町に名も知らないクラスメイトが一人近づいていく。

楽しげに笑いながら室町の肩を叩くクラスメイトは、

当然のようにその横を走りながら室町に話し掛ける。

千石の位置からは、ちょうど室町を隠すような位置で走っているため、大変面白くない。

それに。

室町は彼の言葉に何かしら言葉を返して、そうして僅かに笑ってみせたのだ。

これには千石も大きな衝撃を感じずにはいられない。

あの笑顔は自分だけのものであるのに、クラスメイトに見られることに憤りさえ覚える。

あんなに簡単に他人に笑顔など見せたら、室町くんなどすぐに狙われてしまうに違いない。

千石はとりあえず、室町の隣を走るクラスメイトの顔をしっかりと覚えた。


あの男、要チェック。

今度室町くんに近づいたら容赦はしない。


整列を言い渡された室町くんは、背の順で並び始めた。

室町くんの位置はほとんど真ん中くらい。

特に背が高いわけでも低いわけでもない。

そうして教師が、きっとゲームの説明をしているのだろうが喋りはじめ、

そうしてやがてゲームをするために生徒たちは散らばっていった。

どうやら赤と白でゲームをするらしく、先攻は白、後攻は赤のようだった。

何故そこまで分かったのかといえば、室町くんが白で、

次のバッターのサークルに入っていたから。

どうやら室町くんは、2番でショート。

随分かっこいいポジションを守るものだと、千石は僅かに笑みを浮かべた。

教師の合図で試合が開始され、一番打者が打席に入る。

しかし彼は惜しくもピッチャーの前に三振で、次は待ちに待った室町くんの打席。

室町くんはテニスの時と同じ、随分と涼しげな顔でバッターボックスに入っている。

一球目はボール。

室町くんの出方を相手は見ているのだろうか。

そして二球目。

甘く入ったストレートを室町くんがライト方向に飛ばす。

ライト前ヒット。

室町くんは一塁に悠々と走ってみせた。

打たれたピッチャーは悔しそうで、けれども室町くんは打ったことに何の感慨もないのか、

先ほどと同じく、涼しい顔のままだ。

でもきっと、いつもより少しだけ動作の大きな室町くんを見て、

顔には出ないのだけれどもきっと喜んでいるのだろうと、千石も嬉しくなる。

室町くんが楽しければ自分も楽しい。

笑みを湛えながら、千石は室町の姿を眺める。



こちらに気づいてくれないかなと思うのは、見ている側の当然の思いなのではないだろうか。

先ほどからずっと見ているのに、室町は少しもこちらを向いてはくれない。

でも、まあ。

ラッキー千石の名を持つ自分なのだし。

きっと室町くんはこちらを向いてくれるに違いない!と。

何だか随分と自分勝手な自信を持ちながら、

穴があいてしまうのではないかというほど彼を見つめていると、

ふと、室町くんがこちらを向いた。

緩慢な動作で、だけれども視線はしっかりと千石を捉えたようで。

室町はただ、静かに千石だけを見上げていた。



本当は今すぐ、かわいいかわいい室町くんのところへ飛んでいってあげたいところだけど。

いくら千石さんでも、この高さから落ちちゃったら死んじゃうからさ。

それに。

飛んでこられた室町くんも、きっと迷惑するだろうし。

だからここはグッと、耐える男の心境でさ。

かわいい短パンの室町くんを見ながら、耐えるのなんて本当は嫌だったんだけど。

嫌われるのは嫌だから、教室で室町くんを見るだけで我慢してあげよう。



校庭で、自分を見上げる室町くんとの間には、ただ越えられない距離があるだけ。

他には何も、なくて。

ただ二人、室町くんと自分だけがこの世界にいるような錯覚を覚える。

息が、詰まる。

ああ、違う。

こういうのを、『ドキドキして、呼吸が苦しくなる』って言うんだよね。

君はすごい。

この千石さんをただ一人、ドキドキさせてしまう人なのだから。




時間にして、何秒くらいだったんだろう。

ほんの、僅かな時間だったような気がする。

大好きな人との小さな逢瀬は、なんと短いものだったのだろう。


室町くんが、二人だけの空間を終わらせる合図であるかのように小さく頭を下げた。

再び顔を上げ、室町は千石の姿を見る。

サングラスを取った顔を他の人間に見られるのなんて嫌なのだけれども、

自分だけに向けてくれるのであれば、素顔を見せてくれるのも大歓迎なんだけど。

でもここは学校の校庭で。

授業中、室町くんのかわいさに見とれて、どんな奴が室町くんの姿を見ているか分からない。

そんな中、室町くんにサングラスを取って、こっちを向いてもらうなんて、

嫌すぎて喚きだしたくなるほど嫌だ。

少しだけ、そんなことを考えて。

それから、千石は授業中にも関らず、室町に大きく手を振ってみせた。

すると僅かに顔を赤くして、室町は本塁の方に視線を移す。

次の3番バッターが既に打席に入っているようだ。

少しだけ、その3番バッターが恨めしくなったのは仕方がない。

短い室町くんとの逢瀬に、千石はわざとらしく、大きな大きなため息をついた。






「千石」


気づくと隣に立っていたのは、先ほどまでは前にいたはずの社会科教師で。


「外ばかり見て随分と楽しそうだな?」


その言葉に千石は誤魔化すようにへらりと笑ってみせる。


「嫌だなぁ、先生。ちゃんと聞いてますよ」


「・・・・・」


深いため息をついて、教師は再び前へと戻っていく。

そんなことを言っても、こんな授業、聞く気はないのだけれども。






難しい経済の話?

ごめんなさい、どうでもいいのです。






愛しい君が、全て。