あの人のことを。 気にし始めたのは、つい最近のことだった。 +凄絶な純白 明確に覚えているのは強い光。 太陽にも似た、眩いほどの強い光。 初めて触れたその光は眩しすぎて、思わず目を覆いたくなるほどのものだった。 けれども目を覆ってしまうその前に、千石は酷く優しく、 けれど有無を言わさないほどの力で室町の腕を拘束する。 眩しくて、眩しくて逃げ出してしまいたいのに。 視界に入った瞬間から、まるで逃がさないという風に捕らわれてしまう。 逃げたい、逃げ出したい。 どんなにそう思っても、足掻けば足掻くほど見えない糸に絡め取られているようだ。 見えない沼にどんどんと沈んでいく感覚。 あまりの恐怖に泣き出したいほど。 目を覆うほどの自由も与えられず、 腕も足も自由にならない身で一体何処へ逃げようというのか分からないけれど。 ただ自分の中には渇望にも似た自由への願いと、そして、 この人にずっと捕らわれたままでいいと思う矛盾した感情が同居していた。 どうしてよいのか分からない。 考えても考えても思考は繰り返すばかり。 一体、どうすればよいのか。 考えている間に、体は更に身動きが取れないくらいに嵌っていく。 恐怖に引きつる心は、見えなくなっていく足元に、 深く捕らえられる腕に、錯乱にも似た感情を覚えていく。 無力な自分に、自由な空を。 (-------それが叶わないのならば、 他のものに視線が向けられないほどの拘束を) 彼に初めて出会ったのは、桜の花びらもひらりひらりと散りはじめた、 4月の入学式の時であった。 こともあろうに室町は入学式から遅刻をしてきた。 別段そのことについて咎められることもないだろうし、 長いくだらない偉い人間たちの話を聞くくらいならば遅れていった方が賢明だと考えたのだ。 それが、この普通で何の変哲もなかった自分の人生を大きく変えることになろうとは思いもせずに。 学校までの道を歩いていると、壁の向こうに体育館が見えてくる。 室町がこれから通う山吹中学は、校門まで行ってそれから体育館に向かうよりも、 道にある塀を乗り越えた方が体育館まで近い。 きっとこの時間であれば校門で行われている受付も終わっているだろうとそう解釈して、 室町は壁に一つ足をかけて塀を乗り越えた。 向かい側は体育館の裏側になっていて、 遠くの方から誰かがマイク越しに話している声が聞こえてくる。 まだ長い挨拶は終わっていないのかと、僅かに溜息をつきながら室町は体育館裏を歩きだす。 日のあまりささないそこは僅かに湿った匂いがしたのだけれども、 そこそこに立つ桜の花の、香りたつような鮮やかな桜色に思わず目を奪われる。 はらり、はらりと散るその姿は何にも例えがたく、 目の前で咲き誇るそれにただ純粋なる賞賛と感嘆の溜息を送った。 風に吹かれ柔らかく揺れるそれは、見るものの心を安らげる。 この咲き誇る優しく力強い花を見て、一体どれくらいの人が心を救われたことだろう。 春は新しい命の芽吹きを象徴する季節であるが、その代名詞ともいえる桜は、 まるで命を司る花のようだと室町は思った。 ぼんやりと、桜を見ているときであった。 突然、室町の後ろで人の気配がした。 驚いて振り向くと、 まるで太陽にも似た、眩いくらいの光。 視界に入ってきたそれに、ただ息もできずに。 目を瞠って、壁を乗り越えてきた人物を見ていた。 彼は唐突に室町の前へ降り立ち、そして真っ直ぐに室町を見た。 その視線から目を逸らすことができずにただ立ち尽くす。 驚きにも似た、けれどどこか高揚感を誘うその感情は今まで有したこともなく、 自分がどうしてその場から動くことができないのか、目を逸らすことすらできないのか分からなかった。 「・・あっれー?」 目の前の彼が突然発した声に、室町は僅かに体を震わせる。 そうして唐突に伸ばされた腕が目の前にやってきた時、室町は初めて自分が動けることを悟った。 彼の腕が自分に触れるその瞬間に逃げ出そうと試みたのだけれども。 できたことといえば少し体を動かすことくらいで、気がつけば室町は彼に腕を掴まれていた。 何故突然腕を掴まれてのか理解できず、やはり咄嗟に逃げようとする。 けれども彼は逃がさないとでもいうくらいに強く室町の腕を握った。 「大丈夫。俺、怖いお兄ちゃんじゃないから」 なんて、太陽のような笑顔を浮かべながら彼はひどく人好きのする笑顔で笑ってみせる。 「君、新入生?」 矢継ぎ早に繰り出される質問に、室町は思わず一つ頷く。 しかし新入生用のリボンも何もつけていない自分を、どうして新入生だと分かったのだろうか。 大体、普通新入生はこんな時間にこんなところにいない。 普通であれば入学式をサボっている2、3年生だと思うだろうに。 「そっかー」 何故だか分からないが酷く嬉しそうに笑う彼は、不審げに向ける室町の視線に気づいたのか、 千石は小さく首を傾げた。 「ん?何で俺が君のこと新入生って分かったかって? そりゃあ君みたいな可愛い子、前からこの学校にいたら知らないわけないでしょ?」 室町はその言葉を聞いて、数秒思考回路を停止させる。 一体この人は何を言っているのだろうと、純粋に理解できなかったのだ。 しかし、初めてその意味を理解した時、室町は思わず吹き出していた。 「・・面白い人ですね」 なんて、あまりの彼のセリフに笑いを覚えずにはいられなかった。 彼はそんな室町を見て、怒るでも気を悪くするでもなく、更に嬉しそうに笑ったのだった。 「あー!笑ってくれた! かわいい子は笑った顔がやっぱりいいね」 そう言われた瞬間。 彼に見つめられていることに気づいて、室町は自然に笑うことができなくなる。 かわいい、と面と向かってそれでも平然と笑い続けていられる人間が、 この世界にどれくらいいると思うのだろう。 気恥ずかしくなって彼から視線を外す。 けれども彼はあまり気になどしていない風で室町に話しかけた。 「ねぇ、君さぁ、テニス部に入らない?」 唐突な勧誘に、室町は目を丸くする。 確か部活のオリエンテーションは入学式の後にあったはず。 それなのに今声をかけてくるとはどういうことなのだろうか。 それに。 山吹中のテニス部といったらこの辺りでは知られている部活で。 室町はもちろん真面目に部活動などしようとも思っていなかったし、 その上彼が入部を促しているのは、強いテニス部なのである。 「え・・」 どうしよう、と室町は思った。 自分はテニスなど初心者であるし、それに部活をやろうなどとは思っていなかった。 だから断らなくてはならない、と思ったのだけれども、どうしてだろう。 何故だか彼の腕を振り解くことができなかった。 「俺さーテニス部なんだよね。只今絶賛部員募集中!」 ね? なんてウインクつきでそう言われて。 けれども室町は、テニスなんて興味がないと言ってしまおうと思った。 「・・俺、」 「何でもいいからこの後テニス部見に来てよ。 俺が試合してるからさ」 断ろうと、思ったのに。 声に乗せようとした言葉は、彼の言葉に遮られて音になることはなかった。 「見に、きてよ」 彼のひどく真っ直ぐな視線と、真剣な声音に否定の返事をすることを忘れてしまった。 否、否定の言葉など頭の中から消え去っていて、 掴まれた腕の熱を感じながら室町は無意識に頷いていた。 「やった、ラッキー!」 酷く嬉しそうに飛び上がらんばかりに喜ぶ彼を見て、 見に行くだけならば特に問題はないかと、自分に言い訳をする。 テニス、なんて大して気に止めたこともなかったのだけれども。 まさかこの後、自分の人生に大きく関ってくるものになろうとは思ってもみなかった。 「俺は 千石清純 って言うんだ」 よろしくね、と差し出された手を見て、そうして千石と視線を合わせる。 どうやらこれが握手のために差し出された手だということを理解して、 室町はおそるおそるその手に自分の手を重ねた。 「俺は・・室町十次って言います」 別に自分は名乗る必要なんてなかったんじゃないかと後になって気づいたのだけれども。 自分から名前を明かすと、千石清純、と名乗ったその人は花が咲いたように笑った。 「室町くん、ね。 絶対この後テニス部に来てよ。 絶対、だよ」 そうして。 千石は手を繋いだまま室町を誘った。 「・・・ちょ!何処へ行くんですか?」 慌てて問えば、千石はん〜?と室町を見て笑う。 「体育館の中まで一緒に行こう。 どうせ席とか分からないだろ?」 そう、言われて。 桜の花が咲き誇る中、手を繋いで歩いた。 ――それが彼との、初めての出会いだった。 |