受け取らずにはいられなかった。

片思い、一方通行の想い。

自分はその辛さを知っているから。

想いという名のそれを受け止めることはできないけれども、認めることはできると思ったから。

泣きそうな顔をしてそれを差し出す女の子から、かわいらしくラッピングされた包みを受け取った。

その女の子は嬉しそうな顔をして、一回頭を下げて階段を下りていく。





その笑顔に少しだけ罪悪感を覚えながら、頭はただ一人のことを思い出していた。





+愛の形+





「室町く〜ん!」

後ろから音もなく近づいてきた人に気がついたときは既に時遅く。
体は後ろから両腕で抱きしめられ、身動きも取れない状態にされていた。

とりあえずその腕の中から抜け出そうと抵抗を試みるが、今まで成功したためしなどない。
仕方なしにその抵抗をやめて、助けを求めようと辺りを見回すが、生憎誰の姿も見当たらなかった。
普段ならば見かねた南部長がやってきて救出してくれるのだが、どうやらそれももう少し後のことになりそうだ。

「・・なんですか?」

後ろから抱き付いてきた人物に疲れたように返事をする。
部活がある度にいつもいつもこれでは、さすがに以前よりは慣れたとはいえ疲れるものだ。
これが同年代の輩ならまだどうにでもできるが、先輩である彼を邪険にするのは難しい。
こういうところに現れた、体育会系の部活の縦社会を室町は少しだけ呪った。

「室町くん、今日女の子からチョコレート貰ったんだって?」

この人は。

どこでそんな情報を手に入れたのだろうか。
室町がとある女の子に呼び出されたのは、5、6時間目の間の休み時間のことで。
6時間目終了後にはもう部活なのだから、その短い時間で彼はその情報を知ったことになる。

「何で千石さんが知ってるんですか?」

当然の問いだと思った。
ただの後輩の行動を一々知っている千石がおかしい。
けれどこういうとき決まっていうのはこのセリフで。

「俺は室町くんのことだったら何でも知ってるよ」

振り向くとそこには千石の誰をも惹き付ける綺麗な笑顔があって、室町は内心で小さくため息をついた。

どうしてこの人は、こうして人を惹き付ける力を持っているのだろう。
千石はJr選抜だったということもあり、他校に友人をたくさん持っている。
試合に出かける度に誰かに話し掛ける千石を見て、よく心が痛んだ。
惹きつけられているのは自分だけではなく、千石には誰もが惹かれるのだということ。
そして、その笑顔に期待してはいけないのだと自分に言い聞かせた。
そうでもしないと心から溢れた感情が傷ついてしまいそうだったから。
笑いかけられているのは自分だけじゃない。
優しくされているのも、大切に扱われているのも自分だけじゃない。
心に強く誓っているから、室町は千石の前でやけに頑なな態度に出てしまう。

「そうですか」

「あ、嘘だと思ってるでしょ〜」

千石が更にぎゅっと室町を抱きしめてきた。
それに驚きながらも、室町は千石の腕の中で眉を顰めた。

この人のどこからどこまでが本当で、どこからが嘘なのか。
勝手に解釈をして、その優しさを勘違いして傷つくのはごめんだ。
だから自分はいつまでもこの人の言葉を信じない。

「嘘でしょ?」

そう言いきる室町の言葉に千石はまた笑顔を浮かべて、そして勢いよく室町を解放した。

「・・!」

バランスを崩しかけた室町は前に倒れそうになるが、どこからか伸びてきた手に腕をつかまれてなんとかそれを逃れた。

「室町くん」

掴まれている腕の先をみるとそこにはニッコリわらった千石がいて、室町は再び内心で大きなため息をついた。
いつも執拗に構ってくるこの人は、絶対に自分で遊んでいる。
面白いものでなければこの人が執着を見せるはずがないのだから。
遊ばれているだけ。
だから期待してはいけない。

肩を落として疲れきったという表情をしてみせる室町に、千石は全く気にしていないという風にその腕を引っ張った。

「室町くん、そのチョコ見せて」



「・・・・・・は?」



唐突な千石の言葉を理解するのに、室町は数秒の時間を有した。
いつも、いつもなのだが、千石の言うことは突飛すぎて自分の想像にも及ばない。
けれど先輩なのだから無下に断ることもできなくていつもその行動に振り回されている自分がいる。
今度はこうきたか・・と室町はがっくりと首をうなだれるけれども、千石は気にせず自分の腕を掴んだまま部室へと向かった。

ドアを開けるとそこにはもうすでに他の部員の姿はなく、後で南部長に怒られるのだろうなと思うとまた少しだけ気が滅入った。
しかしこれから貰ったチョコを見せなくてはいけないのだから、誰もいないのは好都合だと言えようか。

「室町くんの鞄どれ?」

がさがさとロッカーを荒らしだす千石の姿を見やって、室町は千石のいる反対の方向から鞄を取り出した。

「これですよ」

貰ったチョコを晒しものにするとは些かいただけないが、部活にこれ以上遅れるのも困るのでさっさとこの先輩の気まぐれに付き合うことにする。

「うん、そうだね」

「俺のことなら何でも知ってるんじゃなかったんですか?」

「知ってたよ〜。だけど間違えただけじゃないか」

苦し紛れのように言い訳をする千石の言葉をあらかた無視して、室町は鞄の中を探りだす。
先ほど女の子から手渡されたチョコを再び手に取って、千石の前に差し出した。

「これですよ」

ふうん、と頷いた千石にこれでもう用は終わりかと思ったが、千石は意外な言葉を口にした。

「これ、開けていい?」

一瞬ためらうけれども、そういえば自分も中身を見ていないと思い、室町はどうぞと頷いた。

千石が綺麗にラッピングされたリボンを解いて袋からチョコレートを取り出す。

それは手の平に乗るほどの大きさをしたハート型のチョコレートだった。

「へえ、愛されてるねえ室町くん」

見るからに手作りという形のチョコレートなのだが、懸命に作ったという思いが読み取れて、その人物の思いの強さが窺えた。

「そうですか?」

思いの強さなど他人には量れない。
この女の子の自分を思う気持ちが強いとしても、果たして自分がこの目の前の人を愛する気持ちより強いのだろうか。
そしてもし彼女の思いの方が強いのであれば、自分のこの気持ちが負けて、彼女の方へ行くとでもいうのだろうか。
よく、わからない。とそう室町は思った。


千石は手の平に乗せたチョコレートを何ともなしに弄んでいると、突然それを一口で口の中へと入れた。


あまりに突然の出来事に室町は止めることさえできなかった。

ただただ唖然と千石の行動を見つめる。

千石が顔を上げて、室町の視線を捉える。

じっとりと絡みつくようなそれに一瞬呼吸が止まり、吸い込まれそうな瞳の色に動けなくなる。

何故だか千石も室町をずっと見つめていて、千石の強い光が室町を捉えた。

いつもは決してつかみ所のない色を湛えているのに、初めて見せた真摯な瞳の色に室町は動くことでさえできなかった。

口を動かして、それを飲み込むと最後の仕上げとばかりに千石は唇をペロリと舐めた。

その行動が余りに扇情的に思えて、室町はビクリとからだを震わせる。


「室町くん、この女の子のこと好きなの?」


千石の口から零れたのはチョコを食べたことへの謝罪ではなく、こんな問いであった。
瞳はまだ室町を絡めて捉えたまま離そうとしない。


ゆっくりと伸びてきた腕に反応することもできずに、室町はそのまま床へと押し倒される。


まだ視線は交わったまま、室町は身動き一つできなかった。


どうして。
千石はこんなことをするのだろうか。
頭は回転数を早めてその答えを探そうとするけれども、千石の視線がそれを邪魔する。
意識は千石の方に向かっていて、どうしても答えが見つからない。
呼吸をするでさえもひどく苦しく思えた。

「それとも・・」

千石がふと室町愛用のサングラスに手をかける。
そして慣れた手つきでそれを外すと傍に置いた。
カランというコンクリートに触れる音がやけに部室内に大きく聞こえる。

光に慣れていない目は眩しさにぎゅっと瞼を閉じた。


「室町くんは好きでもない女の子からチョコを貰ったの?」


ただその問いだけを反芻して、室町は一つ頷いた。

自分が好きな人間は彼であって彼女ではないのだから。

室町の答えに、千石は更に問いを重ねる。


「どうして?どうして室町くんは好きでもない女の子に期待させるようなことをしたの?」


期待、するのだろうか。

ただ自分がチョコを受け取ったということだけで相手が。


「ただ・・俺は」


千石に促されるように顎を持ち上げられて、目を開ける。
そこには先ほどと変わらない瞳の強さを持った千石がいて、室町は息を飲んだ。


「俺は?」


優しい口調で先を促される。
誰をも魅了する笑顔を持ったこの人が、ときにひどく恐ろしく思える。


逆らえない。


そんな笑顔を向けられて、千石を想っている自分が逆らえるとでもいうのだろうか。


「俺は・・一方通行の想いを知ってるから・・。相手の痛みが分かるから少しくらい優しくしてもいいんじゃないかと思って・・」


片思いは切なくて苦しい。
何度もそう実感した自分は、必死に室町にチョコを渡そうとする彼女を見て、自分の姿を彼女に映してしまった。
こうして想いを打ち明けられたらどんなにいいだろうと何度も何度も思いながら。


「うん・・じゃあもうこんなことしちゃ駄目だよ」


千石はやんわりと否定の言葉を口にする。
まるでそれが当然であるかのように、室町に断る余裕さえ与えてくれない。
室町は必死で口を開く。
何かを言わなければ心臓が潰されてしまうような気がした。


「何でですか・・?」


今度は室町が千石に問い掛けた。


いつだって貴方が。


貴方がみんなに優しくしているじゃないですか。


そう口にしそうになって思わず唇を噛みしめた。
嫉妬をしている。そんな醜い感情を吐き出しそうになった自分に嫌悪感さえ感じる。
この人に特別を求めてはいけないのに。
そう強く誓ったはずだったのに、ふとした瞬間に心は千石を求めて走りそうになる。


「俺はずっと君に恋してるから」


聞こえた言葉を思わず疑った。
この人はこういうときまでどうしてはぐらかそうとするのだろうか。
強い視線で千石を睨みつけると、それ以上の強さで千石は視線を室町へと注ぐ。
普段は隠されている心の奥が見え隠れするほど、この人が感情を表に出すことがあっただろうか。
千石は今、確かに室町だけを見つめていて、
錯覚、しそうになる。


「・・嘘だ」


そう、嘘だ。
この人はいつも笑顔で優しい嘘をつくから。
信じたいと思う心と裏腹に、頭は必死でその言葉を否定する。
愛しい笑顔を頭から振り払って、耳の奥に残る柔らかい声に聞こえないふりをして。
期待をすればするほど自分が惨めになるのはわかっているから。


「そうやっていつも信じてもらえないけどね」


千石の手が室町の頬に触れる。
そのまま千石の手が室町の瞳を覆い隠す。

視覚を失った代わりに、やけに聴覚が研ぎ澄まされていく。
千石の言葉を、動く音を貪欲に欲しようと聴覚が動く。

突然、耳たぶに温かい何かが触れ、思わず室町は身じろいだ。


「室町くん・・」


耳元で囁かれた声に、耳たぶに触れたものは千石の唇だったのだと気づく。
理解した途端に体中を襲う熱に、室町はぎゅっと手のひらを握り締めた。

堪えなくては想いが零れ出してしまいそうだった。


「俺は本気で室町くんのこと、好きだよ。だから室町くんも本当の心を見せて。意地を張った室町くんじゃなくて、心の奥にいる室町くんを見せて」


耳元で呪文のように囁かれる声に、涙が出そうになった。

信じたい、けれども信じられない。
彼はみんなのもので、決して自分のものにはなりえないのだから。


「・・俺のこと、好き?」


千石の声にヒュっと喉の奥が鳴った。
自分は上手く呼吸もできていないようだ。


目頭が熱くなってくるのを感じながら室町は静かに首を振った。


数秒、千石は何も言葉を発しなかった。


纏っていた空気がふと重くなって、室町の全てを圧迫する。


どれくらいの時間が経ってからだろうか、千石は低い声で口を開いた。


「・・俺は独占欲が強くて、絶対に手に入れたいものは諦めない性分なんだ。だからどんなに室町くんが信じてくれなくても諦めるつもりはないよ」


室町の目を押さえていた手を離されて、開けた視界に体中の血が跳ねた。


うっすらとぼやけた視界の向こうには、太陽のように明るい千石の笑顔ではなく、悲痛な色を湛えた千石の苦笑いがあった。

室町は見たこともない千石の顔に驚いて目を瞠る。

この人が表情を曇らすところを今まで見たことなどなかった。

いつでも千石はその明るさを絶やすことなどしないのだと、心のどこかで思っていた。

それなのに、その笑顔を霞まさせているのが自分なのだと思うとひどく心が痛んだ。

千石にこんな顔をさせる気はない。

遠くで密かに想いを湛えて見つめているときでさえも、いつも千石の笑顔が絶えぬよう願っていたのは自分なのだから。


傷ついたような表情をする千石の頬に室町はスッと手を伸ばす。


信じてもいい、千石の真実がそこに見えたような気がした。


「・・信じてもいいんですか?」


自分でもやけに弱々しい声で尋ねたものだと室町は思う。
千石のことにおいては自分はいつも臆病だから仕方がないのかもしれない。

室町の言葉に千石は驚いたように目を見開いたが、すぐにいつもの笑顔を浮かべる。
千石の頬に触れる室町の腕をぎゅっと握り締められて、どくん、と心が大きく跳ねた。


「信じてごらん、室町くんの好きな千石さんのことを」


軽くウインクまでしてみせて、千石は最上級の笑顔で笑う。

この人には適わないと思う。
きっと、この人に心を奪われた時点で室町が千石に一生適わないと決まってしまったのだろう。

クスリと口元を緩めて笑ったら、千石は嬉しそうに室町の唇に指で触れた。


「キス、しよっか」


その言葉の意味を理解する間もないまま、唇に訪れたあたたかい感触。

しょうがないなと、室町は瞼を閉じてその感触に溺れた。







初めてのキスはチョコレートの味がした。