+LOVE EMOTION〜番外編〜+ 小さなちゃぶ台の傍に座らされて。 『ちょっと待っててね』 という言葉どおり、亜久津はそのちゃぶ台の前で座っていた。 何故だか正座で座っている自分に気づいたのだが、それを崩す気にはなれなかった。 しばしの間待っていると、河村の母が小さな箱を持って亜久津の前へとやってきた。 トイレからあまりに長い間戻らずにいると、きっと河村が心配をするのだろうと思ったが、 目の前のちゃぶ台に突然その箱を置かれて、河村のことはぽんと頭から抜けてしまった。 「これ、何だか分かる?」 酷く嬉しそうに河村の母は話す。 先ほどの強引なところといい、楽しそうに話すところといい。 どこか優紀に似ていると思わずにはいられなかった。 いや、母というものは皆このような強さを持っているものなのだろうか。 亜久津は河村の母に問われたので、目の前に置かれた箱が一体何であるのか 考えてみることにした。 何の変哲もない箱には、一体何が入っているのだろうか。 もちろんこの中身を亜久津に見せたいわけなのだから、 入っている物は亜久津に関係のあるものに違いはないのだろうけれども。 しかし自分に関係のあるものなど、想像もつかない。 亜久津がしばしの間黙り込んでいると、焦れたのか河村の母はその蓋を開けた。 「これはね、仁くんと隆が子供の頃の写真なの」 箱をあけると、なるほど、その中にはアルバムが2、3冊入っていた。 僅かに古ぼけたそれは数年の年季を感じる。 河村の母がその中の一冊を手に取り、ページを開く。 そこには小さな河村と亜久津が、笑いながら写真に写っていた。 随分と若い自分を見るのはひどく照れくさかった。 しかし河村の母がわざわざ亜久津にも見えるようにアルバムを開いてくれているので、 見ないわけにはいかなかった。 今よりも精度の悪い写真が、けれども、その時に存在していた空間を上手く切り取っている。 その時の雰囲気さえも感じることができるそれに、 亜久津は次第に懐かしさを含んだ目で写真を見始めていた。 写真に写っているのは、主に空手道場時代の写真であった。 一番初めの写真は、小学1年生の頃。 道場に初めて通い始めたときの写真だ。 まだ小さな小さな子供であった自分たちは、 どこか不安そうな光を瞳に有しながら写真に写っている。 その次は、初めての試合の日。 亜久津は勝ち、河村は負けてしまったのだけれども。 写真に写っている二人は、肩を組んで元気よく写真にVサインをしていた。 試合後の着崩れた胴着で、けれども誇らしげに写真に写っている。 そんな昔の姿を見て、亜久津は僅かに口の端に笑みを乗せた。 昔はこうして随分と素直に笑っていたものだと。 思い返してみるとどこか不思議な気がした。 「仁くん、この写真見て」 河村の母に指差され、見ると、それは昔、 亜久津が河村の家に泊まりにきたときの写真であった。 今よりも少しだけ若い河村の母と、今よりも随分と小さな河村と亜久津。 河村の父に寿司を作ってもらい、夕飯を食べている写真や、 河村の部屋で遊んでいる写真など、随分と楽しそうであった。 自分がこんな表情をしていたこともあるのだと、今更ながらに知った。 河村の母がアルバムを捲る。 そうして見えた写真を見て、亜久津は僅かに目を瞠った。 その写真は。 風呂上りの二人の写真で。 きっとパジャマは河村の家で借りたのだろう。 二人おそろいのパジャマであった。 しかしそれだけでは何の問題もない。 問題なのはその色で。 河村がブルーのパジャマを着て、亜久津がピンクのパジャマを着て、 布団の上で並んでいる写真は。 まるで新婚さんのようで。 本気で洒落にならない。 河村の家に泊まりにきた当時はまだ子供で、 そんなこと、きっと気にもとめていなかったのだと思う。 その写真を見て、河村の母が楽しそうに笑った。 「仁くん可愛いわね〜。もちろん、今も可愛いんだけど」 ふふっと可憐に笑う河村の母は。 180cmにもなる体格の亜久津を、『可愛い』と言ってのけた。 さすが河村の母だと思わずにはいられなかった。 亜久津は河村の母の言葉を否定することも、笑って応じてやることもできず。 やはりただアルバムの前で座っていることしかできなかった。 そんな亜久津を見て、河村の母はまた楽しそうに笑った。 「今だから言える話なんだけどね。仁くんに教えてあげるわ」 含みを持たせながらそう言う河村の母は、一枚の写真を指差した。 亜久津がそれに目を向けると、 二人で喧嘩のようなじゃれあいをして抱き合っているところであった。 それも今見ると随分と恥ずかしい写真である。 二人でおそろいのパジャマ、それも色違いを着て。 布団の上でじゃれあいながら抱き合っている写真など、今となっては、 本気で洒落にならない。 河村の母は昔のことを思い出しているのか、口元に柔らかい笑みを浮かべている。 次に河村の母が発した言葉は、今までのものとは比べ物にならないくらい、 深く亜久津の心に響いた。 「この頃の隆の口癖がね、『仁くんをお嫁さんにする!』だったのよ」 何と。 何と言葉を返していいのか分からず。 ただ頭の中で河村の母の言った言葉を反芻しながらその写真を眺めていた。 頭の中が真っ白になるとはこのようなことを言うのであろうと、今更ながらに知った。 体の芯から湧き上がってくる熱で、頭が回らない。 そして、その時。 部屋の襖が勢いよく開けられて。 今まで話題の中心にいた人物が部屋の中へと入ってきた。 「お袋!亜久津は・・!!お、お袋!!」 部屋に入ってきた途端、ちゃぶ台の上にあるアルバムを見つけて、 河村は顔を赤くしながらそのアルバムを指差した。 「何で亜久津にアルバム見せてるんだ!?」 「あら、いいじゃないの。仁くんとの写真なんだし」 「よくないよ!」 顔を赤くした河村が、困ったように亜久津の方を見た。 けれども亜久津はその視線を直視することができず。 僅かに逸らしてしまう。 どうして目を合わすことなどできようか。 あんなに熱烈な告白を聞かされては。 目を逸らされた河村が、更に困ったように亜久津の顔を覗き込んできた。 「ごめんね・・お袋が・・。気悪くした?」 どうやら。 河村は、亜久津が無理矢理河村の母に付き合わされて、 不機嫌になっていると勘違いをしたらしく。 まさか亜久津が。 昔の河村の話を聞いて胸が高鳴っているのだと思いもよらないのだろう。 「いや・・」 そんなことはないと、口に出そうとした。 けれどもたった二言発した自分の声は僅かに上ずっていて、それ以上話すことをやめた。 そんな亜久津を不思議に思ったのか、河村が亜久津の顔を覗き込んでくる。 昔よりも随分と大きくなり、男らしさの増した河村が、何故だか写真の中の、 亜久津を嫁にしたいと言った河村の姿が重なって、 どくん、と一つ、他人にも聞こえてしまうのではないかというくらい大きな心臓の音がした。 いつもは恥ずかしがって、愛など滅多に口にしない男の。 突然明かされた愛の告白は、心臓に悪い。 心の準備をしていない時に、ふと、こんなことがあると、 息が出来なくなるほど、締め付けられるような熱を感じるほど。 馬鹿みたいに嬉しくなっている自分がいた。 「亜久津?」 呼びかけられて我に帰る。 目の前にいる河村に、思わず手を伸ばしそうになったのだけれども。 ふと辺りを見回すと、にこやかな笑顔を湛えてこちらを見ている河村の母がいて。 亜久津は出しかけた手を慌てて元の位置へと戻した。 そうして何事もなかったように立ち上がると、 河村の母に小さく頭を下げて部屋の外へと出ていった。 河村も、慌ててその後ろからついてくる。 絶対に赤くなっているだろう顔を、河村には見られたくなくて、 亜久津は河村の部屋に向かってさっさと歩いた。 後ろから同じくついてくる河村の気配を感じながら、一度河村の部屋の前で立ち止まる。 みっともない自分の姿を見られたくはなかったのだけれども。 どうしても。 抱き締めて。 口づけて。 抱いてほしかった。 そうしてクルリ、と振り向くと、そこには困った顔の河村。 「あ・・亜久津・・」 何か言葉を発する前に、河村の口を自分の唇で塞いだ。 キスをしている間に後ろ手で襖を開け、部屋の中へと河村を誘い込む。 河村を部屋の中へ引っ張って、襖を閉める。 すると、そこは小さな、だけれども大切な二人だけの空間となる。 訳が分からないという顔をしている河村に、亜久津は僅かに笑ってみせた。 亜久津は今となってはもう、ほとんど笑うなどということはないのだけれども。 少しだけ笑みを浮かべた自分が。 あの写真の中に写っていた、小さな子供の頃の亜久津のように河村の瞳に映ればいいと、 ふとそう思った。 「お前、ずっと昔から俺のこと好きだったんだと?」 そう尋ねて、河村の瞳を覗き込みながら、さっきは触れたくて触れられなかった河村の頬に 亜久津は手を伸ばした。 すると河村は僅かに困ったような顔をして、けれども、迷いなどは全く見せずに、 亜久津の目を見た。 「お袋に言われたのかい?」 「いいから。お前の答えを聞かせろよ」 急かすように言葉を続けると、河村は子供の頃よりも幾分か低い、けれども随分と甘い声で、 こう言った。 「うん・・。ずっとずっと好きだよ」 亜久津のこと。 「・・バーカ」 そう、言葉を紡いだのだけれども、溢れてくる感情を抑えることなどできずに。 亜久津は河村に口づけた。 深く口付けると、応えてくる熱が心地よい。 そのまま。 後ろへ倒れこむように、押し倒されて。 腕にひんやりと、畳の感触がする。 けれどもそんなものを感じなくなるくらい、河村の熱で埋め尽くされた。 河村は、随分と昔から、自分のことを愛していてくれたらしい。 そんなことで嬉しくなる自分も、ずっと河村のことが好きだったのだと。 悔しいから言ってはやらない。 |