+LOVE EMOTION 〜zero・14〜 空気というものは何処にでも存在している。 今この瞬間に呼吸をしているこの空気も、 肌を撫でて去っていく一陣の風も、どれもこれも同じ空気なのである。 何かを勘違いしていたのかもしれない。 空気のようにずっと傍にある。 その言葉は、自分というものを脅かさずに傍にいる 自分にとって自然な存在であるということを意味していると理解していた。 けれども。 空気というものは流動する。 今自分の傍にある空気も、いつしか。 一筋の風となり、通り過ぎていってしまうものなのではないか。 そう、思ったのである。 気がつくと亜久津はいつもと同じ帰り道を歩いていた。 二人で帰るときはいつも遠回りをして、川沿いの道を歩いている。 けれども一人で帰るのだから遠回りなどをせず、 家に向かって帰ればよかったのに。 ぼんやりと歩いていたせいであろうか。 気がつけばいつもと同じ道を歩いていたのだ。 習慣というものは恐ろしいものであると、 亜久津は夏の太陽の光を受けて輝く川を見ながらふと思った。 午後に差し掛かったばかりの外の空気はひどく熱く。 体に纏わりつくようなそれは、 人の動きを鈍らせてしまうような力を持っているようだ。 頭のてっぺんでその存在を主張する太陽の光は、あまりに明るすぎて。 人はその大きさに圧倒され、屈服させられているような錯覚すら覚える。 川岸では同じく夏休みの子供たちが遊び回っている。 彼らはそんな圧迫など微塵も感じていない様子で、 楽しそうに川原を走り回る。 羨ましい。 そう心の奥で感じたのは嘘ではない。 けれどもどうしてもそれを認めることができずに、 亜久津は川原から目を離した。 あれだけ純粋に走り回ることができたら、どれだけ幸せであっただろう。 しかし今更自分の性情を変えることなどできず。 亜久津はただ黙って家路を歩いた。 太陽に熱せられたアスファルトは、人を焦がすほどの熱を有し、 スニーカーのゴムの裏からその熱がじわりと伝わってくる。 空を見上げれば、おおきな、まるい、青い空。 眩しくて、思わず亜久津は手を翳した。 家に帰り着く。 どこか重い足取りで家の前の階段を上がり、 ドアを開ける。 「お帰り、仁」 突然の優紀の登場に、亜久津は僅かに驚いた。 いつもならば玄関先で出くわすということなど全くないのに。 今日はどうしたことだろうか。 まるで亜久津を待っていたかのように、優紀はそこにいた。 「・・ああ」 おざなりに返事をし、亜久津は家の中へと上がろうとした。 けれどもそれを阻むかのように優紀が亜久津の前へ立った。 どうしたのだろうと優紀の顔を見上げると、 覗き込むように優紀が亜久津に顔を近づけてきた。 突然のことに亜久津は思わず、僅かに体を引いた。 「仁、さっき隆くんが来たわよ」 優紀の言葉に亜久津は目を瞠る。 ――河村が、ここに来た。 その言葉に亜久津は息を飲むほどの衝撃を覚えた。 幼馴染と楽しそうに話していた彼は、 あの幼馴染と一緒に帰ってしまったのではないのだろうか。 突然一人で帰ってしまった亜久津を気にすることなどなく、 楽しそうに、幼馴染と、帰ったのではないのか? 亜久津も遠回りをしながらも、一直線に家に帰ってきた。 それを、後から出てきた河村が自分よりも早く家に着いたということは、 河村は道場から亜久津の家まで一番近い道を、この炎天下の中、 懸命に走ってきたということなのであろう。 亜久津は呆然と、立ち尽くし、そんな河村の姿を思い浮かべた。 平気でそういうことをやってのける人間なのだ、彼は。 「・・それで、河村は?」 乾いた唇がそう言葉を紡いだ。 玄関を見渡してみるけれども、河村の靴らしきものはない。 「仁がいないって言ったら、何だか困ってた風だったけど、 『学校に行かなくちゃいけないので帰ります』って言って 帰っちゃったわよ、隆くん・・。何かあったの、・・仁?」 優紀の慈悲深い視線が亜久津に向けられる。 何があった、と優紀に言うわけにはいかなかった。 亜久津にも、この感情の名は、未だよく分からないのだから。 優紀には何も答えぬまま。 亜久津は持っていた胴着の入った鞄を優紀に押し付けた。 追いかけなければならない、と。 本能でそう感じた。 次は自分が追いかけなければならない、と。 流れていってしまうものであれば、捕まえる努力をすればいいと。 もし傍にあってほしいと願うのならば、 それが現実となるような行動を、自分がすればいいのだ。 河村は、学校へ行く、と。 そう言っていたという。 目的地は、河村の通う小学校。 亜久津は玄関のドアを開け、外へと飛び出した。 「仁!!」 呼び止められて振り向くと、優紀は満面の笑みで手を振っていた。 「いってらっしゃい!」 それに返事をするかのように、亜久津は僅かに口もとに笑みを浮かべた。 |