+LOVE EMOTION 〜zero・15〜




河村の小学校は亜久津が住む家から少し離れたところにあった。

名前は知っているけれども、その学校へ行ったことはなく。

手探りで探すように、河村の小学校へと向かった。

ひどく蒸し暑い日であった。

正午は過ぎたとはいえ、今の時間帯は一番気温が高い。

流れる汗をシャツの袖で拭いながら、

亜久津は河村の通っている学校を目指した。


亜久津の傍を、小さな子供たちの集団が通った。

彼らは手に手にプールバックを持っている。

夏休みの期間中、小学校ではプール教室が開かれている。

きっと彼らも、泳ぎを覚えるために懸命に泳いできたのだろう。

濡れている髪はまだ乾ききっておらず、

まだプールから上がって間もないのだと教えてくれる。

亜久津はふと、彼らの服についている名札を見た。

それはやはり、河村の通う小学校のものであった。

学校はこの先にあるのだと、確信しながら道を進んだ。


すると次第にざわざわと、風に乗って静かな音が聞こえてきた。

喜ぶような甲高い声や、応援を促す声。

きっと小学校の校庭で、どこかのクラブが部活動をしているのであろう。


そういえば、と亜久津は気がついた。

夏休み中のこの期間に、どうして河村は学校へと向かったのであろうか。

河村は校外で空手をしているため、クラブ活動には参加していないはずだ。


・・いや。

亜久津はゆっくりと空を見上げた。

河村が学校で何をしているかなど、聞いたこともなかった。

だから亜久津がただそう思っているだけで、

河村はどこかの部活動に所属しているのかもしれなかった。


何も知らない。

本当に、何も知らないのだ。


その事実に改めて気づいたのだが、

亜久津はそれに気づかなかったかのように僅かに唇を噛んだ。


少し歩くと、小学校の校門が見えた。

校門からはすぐ校庭に繋がっているのだが、

亜久津はその前で立ち止まってしまった。


来たはいいが、それからどうすればいいのか分からなかった。

そのまま中へ入っても私服で通う小学校では、ばれることはないであろう。

しかし、中へ入ったとしても彼がどこで何をしているのかは分からない。

亜久津はただ途方に暮れた。

何も考えなしでやってきてしまった自分に、少しだけ後悔をする。


追わなければいけない、と思った。

今度は自分が追わなければならない、と。


だけれどもその感情は一体どこから出てきたものか分からず。

ただ衝動に押されるかのように前へと進んだ。


しかし、ここで行き詰まってしまった。


何も知らない。


その事実が重く亜久津に圧し掛かる。

もし少しでも河村の学校生活を知っていれば、

何処にいるのかくらいは想像がついたはずであるのに。


亜久津は少しの間、その場で立ち止まる。

どうすればよいものかと、熱いアスファルトの上で立ち尽くした。


いつもは使わない頭を回転させる。

これからどうすればよいのかを必死で考えた。


ふとそのとき、甲高い声が聞こえた。

その声にひかれるように亜久津は校庭へと視線を向ける。

今まで気づかなかったが、校庭では、テニス部が部活をしていた。

少ない面積の校庭をいっぱいに使い、

お世辞にも状態がいいとは言えないコートの中で、

亜久津と同じ年くらいの子供たちが懸命にテニスをしていた。


亜久津はぼんやりとその姿を眺めた。

上手いとはいえないその姿も、けれども楽しそうにやっているというだけで

それなりに見えるから不思議だ。

けれども亜久津は大してテニスに興味もなく、視線を逸らそうとした。


その時。

目の端に映ったものを認めて、亜久津は息を飲んだ。


見間違いだと。

そう思いたかった。


何で、あいつが。

テニス、を。



亜久津は食い入るようにその姿を見つめた。


・・なんだ、意外と。

様になってるじゃねぇか。


ボールを打つ河村は、真剣な目をしてボールを追っていた。

まだラケットを持ったばかりなのであろう河村は、

けれども元々センスがあったのか、随分と形になってきている。


亜久津はただじっとその姿を見つめた。

何度も、何度も。

河村がボールを打つ姿を眺めた。

その場から動くことはなく、ひたすらにその姿を見つめた。





どうしてだろう。


裏切られたような気がするのは。





夏の暑さのせいだけではない息苦しさと、胸を締め付ける痛みが亜久津を襲う。

河村は自分に何も言わなかった。

それはいつものことであるから、責められるものではない。

けれども。



河村の言葉が蘇る。


『テニスもさ、亜久津のことが好きみたいだし』


そう言った河村は笑っていた。



テニスくらいは。

そう、テニスくらいは。

亜久津に言ってくれてもよかったのではないのか。


河村が自分にそれを隠していたわけではないのだろうけれども。

ただ、胸の中にはやりきれない思いが降り積もって、

息もできないほど苦しかった。


河村は、ひどく楽しそうにテニスをする。

――自分とは違って。

同年代に倒すべき敵はいなく、

それほどテニスに熱くなることができない自分とは反対に、

河村は、懸命にボールを追い、ミスをしても楽しそうにそのボールを追いかけていた。


河村はテニスをしている。

けれどもその『テニス』というものは、

亜久津とは全く違うところにあるものとしか思えなかった。


近い距離であるのに、随分と河村の姿を遠く感じる。

何故だろう。

ひどく。

ひどく苦しかった。



もうこの場に立っていることすらも、ただ苦痛で。

それでも動くことのできない体に、亜久津は更に苦しさが募った。



亜久津は、河村から僅かに視線を離した。

その時。

こちらを見ている人間がいることに気がついた。

我に返ってその方向を見ると、先ほど河村とともに道場に来ていた、

あの幼馴染がいた。


まるで射るような視線でこちらを見ていた。

駄目だ、と亜久津は直感した。

ここに来ていることを河村にばれてはならない。


亜久津は素早く視線を逸らし、校庭へと背を向けた。



先ほどまではあんなにも追いかけなくてはならないと思っていたのに。

今は彼から逃げなければならないと思っている。



――裏切られた思いがするのだ。

ひどく、傷つけられたような。



亜久津はただ、夏の日差しが降り注ぐ道を、歩いた。

耳の奥まで届く蝉の声や、皮膚を突き刺す日差し。

どれもこれも亜久津は気づくことはなかった。



けれども、亜久津のそれとは関係なく。



――夏は、盛りを迎えていた。