+LOVE EMOTION〜zero・18〜+




新しい空。

新しい学校。

新しい制服に、

新しいクラスメイト。


変化は望まずとも、亜久津の前に迫ってくる。

ただ。

望んでもいない状況の変化が、押し付けられるように目の前に来た時、

それを受け入れることができないというのは、自然な人間の行動なのでははないだろうか。


酸素が無くては生きていくことができない人間が、突然水の中に放りこまれた。

そんな、感じ。


例に漏れず、亜久津は新しい学校に馴染むことなどできなかった。

もちろん、元の小学校でも馴染んでいたとは言い切ることはできないのだが。

それでも、今の学校よりは馴染んでいたのだということを、

こうして、今までと違う場に来たときに初めて実感した。


クラスを埋める、白。

憎らしいほどに白い制服は、着たその日に汚してやった。

どうしても、一つのシミのない白という色が許せなかったのだ。

汚れた制服を見て、優紀は随分と怒ってみせたのだが、

洗濯をしてもうっすらと汚れた跡が残っている制服を見て、

何故だか安心している自分がいた。


クラスの、一番前の席というのも気に食わなかった。

亜久津、という名前故、出席番号は1番。

もちろん、席は一番前。

席などにはこだわる人間ではなかったはずなのだが、

ドアの近くにあるこの席は、人の出入りで煩いのだと気づいた時、

学校にいるのが面倒くさくなった。


入学初めから授業をさぼる自分に、担任がしつこくその理由を尋ねてきた。

あまりにも煩かったから、素直にその理由を告げると、

次の日には席がえが行われて、亜久津の席は一番後ろになった。


別に、どうでもいいことであったのだが、煩くない席を、煩くない自分の場所を手に入れて。

なんとなくだけれども、今は学校に通っている。

それも、またちょっとしたきっかけがあれば日常ではなくなってしまう事柄なのだろう。


つまらない授業は聞かず。

ただ外を眺めていた。

外に何がある訳でもない。

ただ、教科書を読めば分かるような内容ばかりやっている授業が退屈でたまらなかった。

そんな空間に存在するよりは、外を眺めていた方が、ずっと楽しかったのだ。


席替えをしたときに、担任がいらない気を回したのだろうか。

亜久津の周りにはどこから見てもおとなしそうだという印象を受ける生徒たちばかりが集まっていた。

だから、亜久津も何も気にすることなく、毎日を過ごしていたのだ。


そんなおとなしそうな、亜久津の周りのクラスメイトに意識を向けたのは、

とある出来事があったからだ。


ある日の昼休み。

亜久津は屋上へと向かった。

学校へほとんど来ていなかった亜久津が、屋上へ来るのは初めてであった。

屋上は、立ち入り禁止だという看板がかかっていたのだが、

亜久津は気にせず屋上へと向かった。


立ち入り禁止ということもあり、やはり屋上にはなんの装飾も施されていなかった。

剥き出しのコンクリートはところどころ剥げており、

フェンスも触れれば落ちてしまうのではないかというほど、錆びれていた。


屋上を歩き、居心地のよさそうな場所を探す。

日の直接当たる場所ではなく、僅かに影ができている部分に腰を下ろした。

ぼんやりと流れる雲を見上げたり、そして時には屋上から、街を眺めてみたりもした。

亜久津の住んでいる町はそれほど遠くはなく。

屋上から探せば、その姿をぼんやりと捉えることができた。

亜久津の家の方向も、うっすら理解することができる。

そして。

河村と歩いた、川沿いもしっかりと目に捉えることができた。


あの川は、あんな形をしていたのかと。

今更ながらに理解をする。

近くを歩いていたのと、遠くからその形を眺めたのでは、

受ける印象というものは全く違うものなのだと改めて理解をする。


ぼんやりと眺めていて、そうしてまた、もとの位置に座り込む。

腰を下ろして再び空を見上げ、ふと辺りを見渡してみた。

すると。

今まで全く気づかなかったのだが、亜久津とは反対側に人間がいることに気がついた。

先ほども辺りを見渡したのだが、その時にはいなかった。

ということは、亜久津が外を眺めている間に、此処にやってきたということなのだろうか。

それならば気配の一つや二つ、感じてもよかったものであるのだが、全くそれを感じなかった。

亜久津はそれほど景色に熱中していた訳ではない。

それなのにあの人間は、自分に気配を感じさせなかったのだ。


少しだけ不思議な面持ちで、向こう側に座っている人間を観察する。

彼は、ぼんやりとフェンスの外を眺めていて。

随分と穏やかな表情でそこに存在していた。


彼はまだ真っ白い制服を着ており、一目で新入生だということが分かった。

風が吹き、彼が僅かにこちらを向く。

その横顔に、亜久津は見覚えがあった。

彼は間違いなく、亜久津の隣の席に座っている人間だった。

授業中、ふと見る横顔が、今そこにいる人間の横顔と重なったのだ。


亜久津は意外な感じがした。

自分の周りに座っている人間は皆、担任が選んだおとなしそうな生徒たちばかりで。

学校の規則を破ってここにいるというような感じは全く受けなかったのだ。


少しだけ興味を覚えて。

亜久津は立ち上がり、彼のもとへと近づく。

オールバックという髪型の彼は、いつもあまりしゃべっている姿を見ない。

けれどもここにいる以上、おとなしいけれども真面目な人間ではないのだろうと。

亜久津は勝手に想像をつけた。


「おい」


肩に手を置き、彼を振り返らせる。

亜久津の近づいていく足音が聞こえなかったはずはないのに、

彼は今初めて気がついたかのように、驚きながら振り返った。


「ここで何してんだ?」


単純に、問い掛ける。

すると、驚いていた表情が僅かに変わり、彼はほんの少しだけ微笑んだ。


「ああ、亜久津くんか」


隣に座っている彼は、自分の名を知っているらしい。

同じクラスで、隣に座っているのだから当然といえば当然なのだが。

亜久津は隣に座っているこの人間のことを全く知らなかった。

全てのことに、興味がないのだ。


「お前の名前は?」


亜久津が不躾に問うと、彼は僅かに苦笑いを零しながら、言葉を紡いだ。


「東方雅美」


名前は、もしかしたら明日には忘れているかもしれないので、

あまり重要なものだとは思わなかったが、とりあえず、頭の中に留めておくことにした。


「それで?お前は何しにここに来てんだ?」


そう、尋ねると、東方は少し困ったような顔をした。


「別に。何をしに来ている訳じゃないんだ」


穏やかな声で、東方は言う。


「ただ、ぼーっと。空とか、町とかを見ているのが好きなんだ」


そう言って、彼は僅かにしか動かないのであろう表情の中で、微かに笑みを零した。






ほんの。

ほんの少しだけ。

東方の姿に、記憶の中にある河村の姿が映った。




これが、隣の席の、東方との出会い。