+LOVE EMOTION〜zero・19〜+ ひょんなことで隣の席の東方と知り合ってから、少しずつだけれども話をするようになった。 もちろん、本当に亜久津の気の向いたときにしか話し掛けなかったのだけれども。 隣の席に座る東方という人間は、物静かな人間だ。 授業中ももちろん、他のことなどせず、真面目に授業を受けているように見える。 だが。 実際のところ、この人間が物静かなのではなく、 実はただ何も考えていないのだということが次第に分かってきた。 黒板を見ているようで、視線は宙を泳いでいる。 ノートをとっているようで、けれどもペンは動いていない。 ただ、静かなだけで、実際は真面目でしっかりした人間には程遠いのだというのが、 亜久津が東方という人間を見て下した答えだ。 東方と会話をした中で得た情報によると、彼はテニス部であるらしい。 こんなぼーっとした性格で運動部とは驚きなのであるが、 テニス部と聞いて、自分の人生にはつくづくテニスというものが関係してくると、 亜久津は僅かにため息をついた。 彼はどうやらダブルスプレーヤーであるらしい。 話を聞いて、シングルスではなくダブルスであることに、ひどく納得をした。 そうして。 その相手を見て、また東方がダブルスプレイヤーであることに納得をしたのである。 東方のダブルスパートナーは時々このクラスにやってくる。 いや、東方にきちんと、こいつがダブルスのパートナーだと聞いた訳ではない。 だが、聞こえてくる話の内容であるとか、その会話の姿から、 彼が東方のパートナーであると判断したのだ。 東方のダブルスの相手は、東方よりも僅かに身長が低かった。 もちろん彼も、東方と同じで、煩いという部類に入る人間ではなかったのだが、 東方に比べると、随分と表情豊かで、感情表現が豊富だった。 余り大きな反応のない東方に、けれども彼は慣れているのか楽しげに話し掛けている。 随分と、いいダブルスではないかと思ったのが、自然な感想で。 それを東方に告げたら、珍しく僅かに照れてみせたのだ。 彼のダブルスパートナーの名は、『南』であることを最近東方から聞いた。 クラスに時々来る彼が、ダブルスのパートナーであるのかということを問うと、 東方が肯定をするとともに、南という名を教えてくれたのだ。 それから少しだけ、南という人物の話を聞いた。 彼は真面目で人情に厚く、そうして東方にとって最高のダブルスパートナーだという。 聞いていて歯が浮きそうになったのは言うまでもない。 けれども南の話をするとき、東方は随分と表情を崩す。 普段は全くと言っていいほど表情が変わらないというのに、 相手のことを話すときといったら、まるで普段の東方とは違う人物を見ているかのようであった。 そんな東方を見て、随分と心酔しているのだと思ったのは至極素直な感想だ。 そういえば、と。 亜久津はふと浮かんできた人物の顔に、僅かに苦笑いを零した。 そういえば、あいつも。 自分が好きなことを話すとき、随分と楽しそうな顔をしていたものだと。 彼が、空手だとか、好きな空手選手の話だとかを話すときの、 至極嬉しそうな顔を思い出して、亜久津はただ懐かしさに浸った。 時々、南は東方の傍へとやってくる。 その時、東方も南も楽しそうに話をしているのだが。 東方の表情に、亜久津は新鮮な驚きを感じずにはいられなかった。 違うのだ。 表情も、声も。 他の人間と話すときよりも、格段に穏やかで優しい。 まるで慈しむかのようなそれに、見ているこちらが恥ずかしくなるくらい。 それほど、東方の表情は違うのだ。 亜久津はそれを見て、ふと気がついた。 東方にとって、この南という人間は、とても大切な人間であるのだと。 普段あまり外には関心を持っていない風の東方が、こうして南だけには表情を動かす。 東方にとって、南とはきっと。 とても、大切な、人間なのだ。 二人の話す姿を見ながら、亜久津はただそう思った。 大切な、人。 自分で思いついた言葉であるはずなのに、その言葉の持つ意味を思って、 亜久津は少しだけ恥ずかしさを感じた。 何時間目かの授業が終わり。 亜久津は何もすることがなく、ただぼぉっと外を眺めていた。 次の授業までは大して時間もなく。 どこかにサボリに行こうかとも思ったが、教室にいても授業を聞いたためしなどないのだから、 どこでサボっても同じだろうと、亜久津は席についたままでいたのだ。 ぼんやりと外を眺めていると、突然。 思わぬ人物から声をかけられた。 「亜久津、くん?」 この学校にはほとんど知り合いなどいないのだから、振り向いてやる義理もない。 けれども、自分の名を呼んだこの声に少しだけ聞き覚えがあったため、 亜久津はふと声のした方向へと振り向いた。 「ちょっといいか?」 亜久津に声をかけてきたのは、東方のダブルスのパートナー、南であった。 しかし亜久津は南という人間を、東方を通じてしか知らず。 時々クラスに来て東方と話す姿を見ても、直接南と話したことはなかったのだ。 突然の言葉に驚きながらも、亜久津は隣の東方の姿を視線で探す。 しかし珍しいことにそこに東方はおらず。 南が亜久津に声をかけてきたのは、きっと東方にことづけを頼むためなのだろうと考えた。 「なんだ?」 亜久津は南に視線を移しながらそう尋ねた。 すると南は視線の先を僅かに宙に浮かせながら、言いにくいのか、 何秒か躊躇った後に口を開いた。 「悪ぃけど、昼休みちょっとつきあってくれないか?」 南の突然の言葉に、亜久津は不審がらずにはいられなかった。 ほとんど初対面にも近い人間に、一体何処に付き合えというのだろうか。 「何の用事だ?」 訝しげな視線を南に投げかけつつ、亜久津は問う。 するとやはり、南は僅かに口の端を噛んで、言いにくそうにただ一言こう言った。 「・・話があるんだ」 「はぁ?」 亜久津は更に不審がることしかできなかった。 自分に話があるとは、一体どういうことなのだろう。 しかし無情なことに、ここでチャイムが鳴った。 「じゃあほんとによろしく頼むな!」 南は亜久津に、そうとだけ言い残し、クラスを去っていった。 亜久津はただ呆然とその後ろ姿を見送った。 別に亜久津はまだ、南の頼みに応じるとも何とも言ってはいないというのに。 だけれどもどこか真剣そうであった南の姿に、 応じない訳にはいかないという気にはなっている。 南が教室を出、それと同時に東方が隣の席に戻ってきた。 東方に気づくと、南は楽しそうに笑いかけ、東方も嬉しそうに表情を崩した。 東方が、亜久津の隣の席につく。 まだ表情は、南に会ったためか、僅かに笑みを含んでいた。 そんな彼らを見て、一体南は自分に何の話があるのだろうと。 亜久津は不思議に思うばかりなのであった。 |