永遠の、愛だなんて。





+LOVE EMOTION〜zero・22〜





6月頭の衣替えもとっくに過ぎ。

咽返るほどの濃厚な空気が満ち始める頃。

最後の抵抗だと言わんばかりの雨が。

灰色の街を濡らし、人々はその白さにけぶる。


日の差さない大地には、幾筋もの雨の、涙の跡。

その天の悲しみの深さを物語るかのように、抉られた傷跡が生々しく残っていた。


少し肌寒い、けれども呼吸が出来なくなりそうな空気の中。

ただ人々は、息を殺し、暖かな光を待ち望んでいる。


窓ガラスを伝う雨の雫を、亜久津は静かに眺めていた。

流れては他の雫と出会い、更なる大きな雫となる様は、

見る度に違う様相を呈し、見ていて飽きることなどなかった。


薄暗い空は、このところ光という光を映してはおらず。

ただ静かに垂れ込める雲の下、人々は、空を見上げては溜息をつく毎日。


雨のために点けられた教室の蛍光灯のせいで、

窓ガラスに、反射した自分の姿が映りこむ。

教室の机に座り、窓の外をずっと見やっている自分と。

窓ガラスを流れる雨が、まるで同じ空間に存在しているような感覚を覚える。


泣いているのは、空か自分か。


そんな詩を、霞む頭に思い出したのは何故なのだろうか。


授業では、最近習い始めたばかりの、

日本人が昔使っていたという言葉を、教師が熱心に語っている。

昔の人間が使っていた言語というのは、その人間たちの感情伝達手段であり。

今の自分たちに、果たしてそれが必要なのであるのだろうかという疑問は払拭できない。


亜久津は。

昔の人々が使っていた言語の。

その意味など分かるはずもないのだけれども。

しかし、窓の外から聞こえる雨の音と、

聞きなれない、昔の人々の言葉が、ひどく心地よく混ざり合って聞こえた。


亜久津はその音に身を委ねるように、自然と瞼を閉じた。



気がついたら授業は終わっていたようで。

目を開くと、いつもの教室、いつもの空間。

なんてことはない。

ただ、聞こえる音がいつもと少し異なっただけで。

そこに存在するのは、見飽きた、代わり映えのない、空間であった。



「あ、東方ー!」



そう声のした方を向くと、そこには予想通り、亜久津の隣の席に座る東方の相方、

南がいつもと変わらずそこに立っていた。

いつもと、変わらずに。



「お前らのクラス、何処まで進んでるんだ?」



と、南は今まで授業の行われていた古文の教科書をおざなりに捲り始める。

東方の教科書を見、律儀に線の引いてある部分を見つけると、

パチンと指先でそのページを弾いた。



「まだここまでしか進んでないのか・・」



残念そうに眉をしかめる南に、東方は僅かに微笑む。



「悪かったな、お前のクラスより先に進んでいなくって」



「そういう訳じゃねーよ」



南はかぶりを振り、指先で器用に数枚ページを捲る。



「ほら、ここ」



トントン、と指差した先にあるのは、とある有名な詩の一節。



「うちの古文の先生ここ好きらしくてよ、延々と一時間丸々語ったんだぜ。

 楊貴妃と、漢の天子、武帝とされた唐の玄宗皇帝との愛を」



肩を竦める南の姿に、

それはひどく教師の趣味に走った事柄であったのだろうと予想がつく。

けれども、その二人の名を口にした南の口調は、どこか、甘く。

知らず知らずのうちに、その教師の語る世界へ惹きこまれてしまっているのだろう。


南は、更に続けた。



「この詩の中に出てくる、比翼の鳥って、

 一目一翼の鳥が二羽一体となって飛ぶことができる鳥なんだとさ」



「へぇ」



まだ授業でも扱っていない漢文を読みながら、東方は感嘆の声を上げる。



「二羽で、一体か・・」



「そう、それで比翼連理っていうのは、夫婦の愛情の変わらないことに例えるんだってさ」



南は授業での受け売りを、誇らしげに東方に話す。

けれども東方はそれを無粋に咎めることなどせず。

ただ南の言葉を、静かに聞いていた。


亜久津も同じく、南と東方の言葉に耳を傾けていた。

空想上の、愛の姿。

これほどまで純粋に愛を信じることができるのは、きっと。

彼らがひどく幸せな環境で育ったのだからだろうと思わずにはいられなかった。

愛とは、感嘆するほどのものではない。

綺麗ばかりなものではない。

夢物語の言葉で言い表せてしまうような。


そんな綺麗なものでは。



「永遠の愛、か」



ポツリと、東方が呟く。

ひどく情を含んだその言葉に、亜久津は無意識のうちに、口を開いていた。

そんなに柔らかい情を含んだ言葉で表されるような、ものではないのだと。





「永遠の愛なんてこの世にねぇんだよ」





珍しく自分たちの会話に口を挟んだ亜久津に驚いたのか。

それとも。

愛という言葉が亜久津の口から出たことに驚いたのか。

南はひどく意外そうな顔をして、亜久津を見た。

しかし隣の東方はそんな亜久津に驚くでもなく、微動だにしなかった。



亜久津は、一旦言葉を切って、目の前の二人に視線を向ける。


愛、などという。

言葉からは、穢れなど全く感じとることなどできないのだが、

それは『純粋な』というフィルターを通して見たものだからだ。

そんなフィルター、なくなってしまえば愛なんて。


道端に転がっている、紙くずと同じだ。







思い返すのは、優紀と。

自分の父だった男の関係。

愛なんて、探さなくとも二人の人間が存在すればそこに在るものだと信じていた。

そんな小さな子供時代に。

彼らは。



覚えているのは、優紀の涙と、

飛び交う怒声。









「永遠の、愛なんてこの世にない」





言い切る亜久津に、南は腕を組み、何か考え事を始めた。

けれども南がこれ以上何を言おうとも、聞く気はなかったので、

亜久津は、冷たい涙を流す空を見上げ、そうして遠い街並みに視線を移した。



「亜久津」



呼びかける声には、無視をしようと努めるのだが、

けれども人の声を簡単に遮断することなどできず。

聞くつもりはないのだけれども、南の声は必然的に亜久津の耳へと届く。



「でも、織姫と彦星は何千年経った今も雲の上で年に一回会ってるだろ?」



思いがけない言葉に、亜久津は思わず天を見上げた。

今日は、七月五日。

彼らが出会う日まで、あとニ日。

そして。

河村との約束の日までも、

あと、ニ日。



南は、穏やかな声音で亜久津に言う。

それはいつも聞いているはずであるのに、どこか不思議な声音のように感じた。



「永遠、なんて誰が定義するんだろうな。

 人間にとっては永遠のような時間でも、神様たちにとっては、

 一分にも、一秒にも満たないかもしれない。

 人間は、織姫と彦星が一年間にしか会えなくてかわいそうと思っていても、

 神様たちにとってはそんなもの、取るに足らないものなのかもしれない」



な?と促すように南が問えば、東方は短く返事をする。

まるで、天にいる神様とやらが、南と東方に姿を変え。

亜久津に諭しているようであった。


永遠の愛というものを。



「亜久津は、それでも、永遠に続く愛がないだなんて言うのか?」



永遠という言葉が定義されない以上、

愛という言葉も曖昧なものでしかないから、

簡単に『永遠の愛』と呼べてしまうものは、この世に多く存在するのであろう。

亜久津は、南に曖昧な態度で返すことしかできなかった。

それでも南は、気にすることなく続けた。



「永遠を、永遠だと思わせてくれる人間が必ずいる。

 そんな人間から貰った愛が、永遠の愛だと思うぜ」



そんな南の言葉に。

思い出したのは、紛れもなく、彼の姿で。

自分に、嘘偽りもなく、真実の永遠をくれる人間。

何の疑いもなく。

ただ、純粋に。

愛をくれる人。



そう、疑いもなく思えてしまうのは、やはり。

彼は永遠をくれる人だと、

無意識に信じる心が、強いから。



「きっと、今年も」



南は窓の外、重く垂れ込めた雲の、更に先を見通すかのように、

空に視線を向ける。



「織姫と彦星は会うんだぜ。天の川を越えて」



南の横で、東方はひどく優しく微笑む。

亜久津も、ただ空の向こう、今年も会うであろう織姫と彦星の姿を思い描く。

きっと幸せなのだろう彼らの姿を、思い描くことは容易だった。







七月七日長生殿

夜半人無ク私語セシ時


天ニ在リテハ願ハクハ比翼ノ鳥ト作リ、

地ニ在リテハ願ハクハ連理ノ枝ト為ラント。








永遠の、愛だなんて。







君はそこにいてくれるのだろうか。





七月五日、午前十時。

約束の日まで、あとニ日。