これは、優紀に、後から聞いた話。





+LOVE EMOTION〜zero・26〜





その日は一度、家へと戻った。

一日中病院にいた疲れと、

走り回って汚れてしまった制服を何とかしなくてはならなく。

家に帰ろうと、そう思ってはいたのだけれども。

気がついたら家に戻っていて。

一体自分はどのようにして家まで戻ってきたのだろうかと。

ただ不思議に思った。


家に着くと、とりあえず制服は脱ぎ捨て、

そのまま、ベッドに飛び込んだ。

家に戻りついた安心感と、未だ整理のつかない思考のせいで、

すぐに眠りに落ちてしまっていた。


亜久津が次に目を覚ましたときには、既に日は昇っていて。

時計の針は既に頂上の辺りを指していたので、

亜久津は僅かに急いで着替えを始める。

優紀を迎えにいかなくてはならない。

退院は、昼すぎだと言っていただろうか。

適当に家にある食べ物を口にし、

床に散らばっていた制服をおざなりに拾い、

その辺にあった紙袋に詰める。

駅に向かう途中にあるクリーニング屋に置いていくためだ。

もう、見るも無残なほど泥の飛び散った制服は、

自分の手には余り、潔くクリーニング屋の手を借りることを決めた。

少々値段はかかるが、その方が都合がいいだろう。


亜久津はそのまま家を出、

クリーニング屋に制服を置き、

そうして、再びあの病的までに真っ白な病院へと戻った。


病室まで辿りつくと、優紀はちょうど、昼食を食べ終えたところであった。



「仁、おはよう」



笑う優紀の顔には、いつもと変わらない赤い色が差している。

もう大丈夫なのだろうと、亜久津は僅かに肩を下ろした。


「ああ・・もう昼飯は食ったんだな?」


確認するように問えば、優紀は表情を曇らせる。



「私は大丈夫よ。それより仁こそ何か食べたの?」


「家にあるものを食ってきた」


「そう・・」


母親らしい面を見せた彼女に、心配をかけまいと、

亜久津にしてはいつもよりも素直に問いに答える。

優紀が弱っているのに、自分のことで心労を重ねる必要はない。


「もう少し待っててね、仁。

 退院の準備、もうすぐ終わるから」


準備、とは言っても、短い入院生活でそれほど物がある訳ではなく。

着替えを終え、少し化粧をした彼女は、

鞄一つにしかならないほどの荷物を抱え、退院の準備を終えた。


「さ、仁、行こうか?」


ぽん、と背中を押され、優紀とともに病室を出る。

優紀は、短い間だったけれども同室であった人達と挨拶を交わしている。

亜久津は、病室を出る直前に、今まで優紀が寝ていたベッドを見た。

綺麗に整えられたそれは、ひどく無機質で。

まるで人のあたたかさが感じられないそれに、

少しだけ恐怖を覚えた。




廊下を歩き、看護婦たちに見送られながら、病院を出る。

そこで亜久津は優紀を振り返る。

と。

亜久津は優紀が持っていたものに視線を奪われる。

今まで気がつかなかったのがおかしいくらい、綺麗な花束を。

優紀は一つ、抱えていた。


「・・それ」


亜久津は優紀の持っている花束を指差す。


「看護婦たちから貰ったのか?」


そう考えるのが自然で、亜久津もそうだと疑いもしなかった。


しかし。

優紀は、ひどく意外な言葉を亜久津に告げた。


「ああ、これ・・?これはね」


優紀はまるで子供のように、悪戯っぽく笑ってみせる。





「隆くんが朝、来てくれたのよ」











息もできなくなるかと思うほどの、衝撃。

まさか。

彼がここに来ていたなんて。






「この花束を持って、お見舞いに来てくれてね」





亜久津は、優紀が持っている花束に視線を移す。

それは、小ぶりだけれども色とりどりの花で作られていて。

きっと、河村の母親辺りが選んで持たせたのだろうけれども。

それでも、ふわりと、優しさが漂ってきそうなほど柔らかいそれは、

河村が持ってきたと言われ、素直に頷くことのできるものであった。


亜久津はただ、静かに花束を見つめる。

ここに、花束を持ってきた河村の姿が、脳裏に思い浮かぶ。



けれど、そこに。

自分はいなくって。

あと、少し。

早起きをして。

もしここに、駆けつけていたのならば。

会うことができたのだろうかと。




ああ、どうして。

虫の知らせ、なんて言葉があるけれども。

どうして自分は、こんな。

河村の残り香だけを追って。

彼の残像だけを頭に思い浮かべて。




この、どうしようもないほどの、

胸の、痛みは。

どこからやってくるのだろう。





「もしかしたら仁が来るかもしれないと思って、

 引きとめようかとも思ったんだけど、

 隆くん、学校だって言うし、すぐに帰っちゃったわ」





ひどく申し訳なさそうに、優紀は言う。





「いや・・いい」




おかしくなってしまったのではないかと思うほど、

鼓動は激しく鳴り。

一体、優紀に。

どんな言葉を返したのかさえ、覚えてはいなかった。



これでは、まるで。

末期の中毒者のようではないかと。

河村に会えなくて、苦しむ。

ただの、中毒者のようではないかと。

亜久津はただ、唇の端を噛み、

右手を強く握り締める。






河村は。

知っていたのだ。

七月七日、亜久津が。

一体どういう状況に置かれていたのかを。


それでも、彼は。

雨の中。

一人。

あの公園の、滑り台の中で。

来ない可能性の方が高い、亜久津仁という人間を。


待っていたのだ。









思い出すのは、河村の、狂おしいくらいに想いの詰まった、文字。












『来年もここで、亜久津のこと待ってるから』













「来年・・かよ」





再び会う約束をしたのは、来年。

けれど。

こんな。

河村の背を追うように。

彼の残した跡を必死に拾っていくような、日々ではなく。





ほんの少しでもいい。

どんなに短くても、いいから。






ただ、

河村に、会いたかった。