+LOVE EMOTION〜zero・29〜 なにか、もっと、話すべきことはたくさんあったはずであるのに。 いざ河村に会ってみると、今まで話したくてならなかったことのほとんどが。 どうでもいいことのように思えてしまい。 ずっと頭の中で思っていたことの、半分も、話すことができなかった。 それでもいいと、思えてしまうのは。 以前と全く変わらない光景の中に、河村がいるからだ。 いつものいつもの帰り道。 普段と同じ、他愛もないことを。 ぽつり、ぽつりと語り合い。 聞いては受け答える河村の、懐かしい、それでいて新鮮な声音を。 耳元のすぐ近くで聞いた。 普段より随分とゆっくりと歩いていたのだろう。 15分ほどの道のりは、いつもの倍ほどの時間がかかった。 けれども。 実際よりも、ひどく短い時間であるように感じた。 一歩一歩近づいていく、いつもの分かれ道の気配を感じるたび、 出会えた喜びは薄れ、 また離れなくてはいけない予感が深まっていく。 このまま。 延々と、道が続けばいいのに、と。 思わなかったといえば嘘になる。 けれども亜久津にそんな言葉を河村に伝えるほどの、 心の余裕はなく。 焦れていく感情とともに、見えてくる分かれ道はどんどんと近づいてくる。 思わず、亜久津は下を向く。 見えてくる分かれ道を視界に入れないようにと。 僅かながらの抵抗をする。 そうして、歩幅をほんの少し、気づかれない程度に小さくする。 そんなことをしている自分が、惨めで仕方なかったのだけれども。 それでも近づいてくる分かれ道は、伸びるでも、無くなるでもなく。 その場に存在しているのだから、いずれは直視をせざるを得なくなる。 あと、5m。 分かれ道の気配が近づく度に、亜久津の心に怯えが混ざる。 あと、4m。 目に嫌でも入るそれは、もう目算する必要もないほど近い距離。 あと、3m。 そこで突然、事態は急変した。 河村が突然その場で立ち止まり、体を亜久津に向ける。 そんな河村に気がついて、突然のことに僅かに驚きながらも、 亜久津は河村と向き合った。 「亜久津」 ひどく唐突に、彼は言った。 その顔には、優しい笑顔を浮かべながら。 「俺と一緒にばあちゃんちへ行かないかい?」 まるで、近所に買い物にでも行くかのような気軽さで、彼は言ったのだ。 ぱちくり、ぱちくり。 亜久津は2度瞬きを繰り返し、じっくり5秒。 河村の顔を見つめてから、やっとその言葉を理解した。 「・・お前の、田舎へ・・?」 「うん、そう」 やはり顔にはいつもと変わらぬ、いやそれ以上に嬉しそうな笑顔を浮かべたまま、 河村は答える。 「・・どうしてそんな話になったんだ?」 「いつもは俺一人で遊びに行ってるんだけど、 亜久津も行かないかなって思って」 浮かべる笑みには何の迷いもなく。 真っ直ぐに亜久津を見つめる視線に恥ずかしさを覚えて。 亜久津は僅かに視線を逸らす。 「・・見ず知らずの俺が行ってもしょうがねぇだろうが」 「そう?俺のばあちゃんそんなことあんまり気にしないけど」 「・・でも」 「一緒に行こう、亜久津」 反論しようとする言葉を、遮られる。 思いがけず、強引な。 彼の誘いの言葉に、視線を上げて。 河村の表情を覗き込めば、さっきまでは気がつかなかったけれども。 瞳の中に、僅かに不安そうに揺れる光があった。 きっと、河村も。 少しばかりの勇気を出して亜久津を誘ったんだと思ったら、 心がふわりと、軽くなった。 再び河村と視線を合わせ、 その瞳を覗き込み、口の端で笑う。 「・・しょうがねぇな。行ってやるよ」 一緒に。 「有難う、亜久津!」 はじけんばかりの笑顔を浮かべる河村に、 亜久津も口元の笑みを深くする。 思いがけずできた、この次の約束に、心が温かくなる。 このまま、分かれ道で反対方向に別れてしまうだけだったはずの、未来が。 少しだけ違う方向に向き出したことに、ひどく安堵している自分がいた。 「うちの田舎はね、綺麗なところなんだよ」 「・・そうか」 「空気も綺麗でね。・・すごく遠いところではあるんだけど」 大丈夫?と、先ほどまでは打って変わって不安そうな表情を浮かべる河村に、 亜久津は、腕を伸ばして、河村の頬に触れる。 「変なこと気にしてんじゃねぇよ。俺が行くっつったら行くんだ」 そのまま河村の頬を拳で軽く小突いて、 亜久津はニヤリと笑う。 子供の頃に繰り返した、その行為は。 河村はまだ、覚えていてくれているはずであるから。 「あ、うん。分かったよ。じゃあ・・」 一緒に。 一緒に、行こう。 差し出された手は、きっと、約束の証。 今度は亜久津も、躊躇わずにその手を握る。 伝わる熱。 潜む鼓動。 盛夏は、これからだった。 |