+LOVE EMOTION 〜zero・3〜





いつものように空手の練習を終え、河村は更衣室へと向かった。


張り付く胴着を鬱陶しげに脱ぎ、洋服へと着替えていく。


そうして全ての用意が終わり、亜久津は辺りを見回した。


しかし。


いつもなら容易に見つけられるはずの河村の姿はそこにはなかった。


再び辺りを見回すと、そこに河村のランドセルはある。


先に帰ってしまったのではないようであった。


珍しい出来事に亜久津は、どうしたのかと僅かに頭を巡らせた。


しかし待っていてやる義理もないので、亜久津はそのまま鞄を担ぎ、


部屋の外へと出ていった。





道場の玄関を出て、門へと繋がる道を歩く。


こんな風に一人で帰るのは久し振りだなと、ぼんやり思いながら敷石の上を歩いた。


別にともに帰る約束をしていた訳でもなく。


ただ帰る時間が合うから。


それだけの理由で一緒に帰っていた。


そこに約束という言葉は存在しなく。


いつも自然のままでともにいたのかと思うと、


亜久津はどこか不思議な気がした。




門を出ようとしたとき、ふと僅かに聞こえてきた声に亜久津は足を止めた。


耳を澄ますと、その声は大きく聞こえた。


人を詰るような色を持ったその声は、一つではない。


複数の人間が、誰かを詰っているようなのだ。


亜久津はそのまま気にせず、去っていこうとした。


けれども。


何故だか、気になった。



これを勘と、言うのだろうか。




「ちっ・・・」




そんな自分の感情が気に入らなくて、思わず悪態をつく。


しかし足は迷わず、裏の庭の方へ向かっていた。







向かった先では、思ったとおり、一人が数人に囲まれていた。


亜久津はその様子を観察するかのように、遠くでその行動を眺めた。


一人を囲んでいるのは、一つ上の奴らだった。


あまり練習には来ない割には、自分たちの強さを過信して、大きく振る舞う。


ひどく馬鹿な奴らだ。


そして、囲まれているのは。


亜久津の勘が騒いだとおり、河村だった。




「うるせーんだよ。お前なんかには関係ねーだろ」



「そーだよ、生意気言ってんじゃねぇよ、年下のくせに!!」




河村に向けられる言葉はひどく汚い。


けれども河村はその場から逃げだすという気は全くないようだ。


真っ直ぐに奴らと向かっている。


河村が奴らに絡まれているのであれば、自分が出て行ってもよいと思っていたが、


どうやらそうではない状況に、亜久津はただ見守ることにした。




「・・わ、悪いことを悪いと言ってるんだ・・。だからその猫を・・」




「猫ぉ?お前、そんなにこの猫が大切なのかよ?」




そう言った馬鹿な面をした奴が、腕の中に捕まえていた猫の耳を強く引っ張った。


猫は痛そうに顔をゆがめる。


けれどもそいつは楽しそうに、河村にその行為を見せ付けようと更に行為を続けた。




「!やめろよ・・!!」




猫を取り返そうとする河村に、その横にいた奴が河村の頬を殴る。




「やめんのはお前だよ!」




笑いながら殴るそいつに、けれども河村はひるまなかった。


当然だ。


いつも亜久津の拳を受けている河村が、そんな奴の拳など痛く感じるはずもない。


身じろぎもせず平然としている河村に、殴った奴は僅かに身を引いた。


けれど何かに突き動かされるように河村へと向かっていく。


なんと無駄な行為であろうと思わずにはいられない。




河村へと拳が伸びる。


亜久津のところまで、河村が殴られる音が聞こえたが、


当の河村本人はやはり痛がる様子を見せなかった。




亜久津は少し、笑みを浮かべた。




河村を殴った奴と、それを周りで見ていた奴ら、


そして一番のボスだと思われる猫を抱いた奴は


そんな河村の姿を見て、そろいもそろって身を引いた。



子供なりの防衛本能であろうか。




「・・お、お前・・!」




ボス格の人間が怯えたように声を発する。


先ほど元気よく喧嘩を売っていた人物とはまるで別人であるかのようだ。




「・・逃げるぞ」




周りで見ていた奴らのうちの一人が、脱兎のごとくその場を駆け出していく。


それを見た他の人間もそれにつられてその場から逃げ出していった。




「お、おい!!」




ばらばらと逃げ出していく友人たちにどうしてよいのか分からないのか、


ボス格の人間は慌てたように声を上げた。


しかし周りに味方がいなくなるのを確認すると、


一度河村を見、そして猫に視線を向けた。


そうして悔しそうに、猫を投げるように手放し、庭の向こうへと走っていった。




「お前・・覚えてろよ!!」




ありふれた安っぽい悪者の台詞を吐いたそいつが逃げる様子は酷く無様であった。








逃げ去った奴から視線を外し、河村へと目を向ける。


そこにはもう河村の姿しかなく。


助けられた猫はやはり礼もなく逃げ去ってしまったようだ。


河村は、けれど怒った風も見せず、猫が向かった方向を見ながら、




優しい笑みを、浮かべていた。






亜久津はその場から離れ、河村のもとへとやってきた。




「お前、強ぇえじゃねーか」




初めは亜久津の登場に驚いていたようであったが、


その言葉で状況を察したようだ。


僅かに頬を腫らした河村は、亜久津の言葉に照れたように笑みを零した。




「ありがとう」




笑った河村の口元は赤くなっていて。


馬鹿だなとは思いつつも。


どうしてだかその笑顔が頭から離れなかった。




「ほら、帰るぞ」




言外に待っててやるから、という意味を含ませてそう河村に告げる。




「わ、ちょっと待っててよ」




急かすように亜久津が手を振ると、河村は慌てたように更衣室へと入っていった。


きっと河村はすごく急いで自分の前にやってくるのだろう。


そう簡単に予想できてしまう河村の行動に、


亜久津はまた少し口元に笑みを浮かべた。







「にゃぉ」




亜久津はふと聞こえてきた泣き声に、庭にあった木の根元を見た。


そこには、先ほど河村に助けられた猫がいて。


その猫は亜久津と目が合うと、嬉しそうに笑った。







『きっと俺が怖かっただけで、

 本当は有り難うって思ってくれてたかもしれないし』






お前が言ったこと、実は合ってるかもしれねぇな。






































河村が助けたその猫が。


この前河村の手から魚を奪っていった猫だったと知ったのは、その数分後。