背中には、大きめのリュックサックと、手には小さな鞄を下げ。 一週間の、旅に出る。 「仁、隆くんのおばあちゃんによろしくね」 本当は。 少し、優紀を一人家に残していくのは心配だったのだけれども。 「大丈夫よ。心配しないで」 笑う優紀の笑顔が優しくて。 母を、信じることにした。 頷く亜久津に、優紀は安心したように、笑顔を零した。 「行ってらっしゃい。気をつけてね」 ドアを開け、一歩足を踏み出す。 今日も。 照りつける夏の日差しは、強かった。 +LOVE EMOTION〜zero・30〜 家を出て、地元の駅へと向かう。 駅へは歩いて10分ほど。 そう遠くはない距離であった。 河村と待ち合わせをしたのは、9時。 早すぎず、遅すぎずといったところであろうか。 亜久津は腕時計を見る。 文字盤は、8時50分を指しており。 このまま歩けば丁度時間通りにつくであろう。 きっと、河村は遅れるなどということはしないから、 亜久津を、駅で、笑顔で迎えてくれるのだろうと、 容易に想像することができた。 駅の姿が見え、亜久津は僅かに足を速めた。 無意識的なその行動は、 心の奥底で、自分がとても、この旅行を楽しみにしていたのだと気づく。 階段を上がり、改札口へ向かう。 その前には、やはり、河村が待っていて。 想像と寸分違わない笑顔で、亜久津は迎えられる。 「亜久津!」 嬉しそうに駆け寄ってくる河村に、 亜久津は僅かに照れを感じ、顔を背ける。 「おはよう」 「おう」 河村は、顔を背けた亜久津を気にするでもなく、 いつもの様子で亜久津の腕を取る。 そう、いつも。 亜久津を導いてくれる腕だ。 向かった先は、駅員のいる窓口で。 河村は駅員に、聞きなれぬ駅の名を口にすると、 駅員はすぐに切符を2枚発行した。 河村はそれを受け取ると、1枚を亜久津に託した。 「はい、これ」 その切符には、河村が口にした駅の名と、 青春台駅の名が刻まれていた。 「新幹線とか使わないから、これ一枚で行けるよ」 2人の手の中に、同じ切符が、2枚。 向かう先も、同じ。 なんだかそんな、些細なことが。 ひどく気分を高揚させる。 「乗る電車とか、間違えるんじゃねぇぞ」 そう、いつもより明るい口調で釘を刺すのも、嬉しいからだ。 「間違えないよ。毎年行ってるんだしね」 じゃあ、行こうか。 そう、言うと。 河村は迷わず亜久津の手を取り。 改札口へと走っていく。 夏の。 2人だけの旅の、始まりだった。 青春台から、各駅停車。 珍しくもない乗り慣れた電車に乗り。 人々の交通の要所と言われる、大きな駅へとたどり着く。 忙しなく歩きまわる人々の中を、2人。 まるで違う世界の中にいるかのような錯覚を覚える。 河村の田舎へ向かう、電車のホームにたどり着き。 快速電車が到着するのを2人で待つ。 時刻表を確認し、すぐに来るよ、と笑った河村も、 どこか冒険にでも行くかのような無邪気さを有していた。 亜久津も、そんな河村に、口元で笑い返す。 古びた車両の列車がホームに滑り込み、 やってきた人々と入れ替えで、その車両に乗り込む。 列車は昔ながらのボックスシートで。 新幹線の椅子のようにリクライニングにもならない、固いシートに、 亜久津と河村は、向かい合わせに座った。 車両には幸いほとんど人は乗ってこず。 このまま。 2人だけで知らない世界に行くかのようにも思えた。 「そろそろ動き出すかな」 河村の言葉に、窓からホームを見れば、 けたたましいベルの音とともに、重々しくドアが閉まった。 古びた車両は、鈍い音をたてながら、ゆっくりと走り出す。 もう何年も使われているだろうその列車は、 速度を増すたびに、ガタガタと大きく揺れた。 列車独特の、錆びたにおいが鼻を掠める。 窓から見える景色は、まだまだ都心の匂いを拭えず。 ビルの群ればかりが続く同じ景色に、 亜久津は、視線を目の前に座る河村に向けた。 河村は、ひどく楽しそうに窓の外の景色を眺めている。 きっと、いつも、河村は。 田舎へ向かうたび、一人で、この景色を、こんな風に、 嬉しそうな顔をして、眺めていたのだろう。 幸せそうなその表情に、亜久津も自然と表情が和らいでいた。 いつの間にか、眠ってしまっていたようだ。 大きく揺れる車両にふと、意識を浮上させる。 無意識的に窓の外を見れば、もう既に、 亜久津の知らない、畑や山が広がっていた。 驚いて腕時計を見れば、意外にもそんなに時間は経っておらず。 案外短い時間で、こんな景色が見られるのだと、驚きすら覚えた。 亜久津は、顔を上げ、河村を見る。 すると河村も亜久津を見ていて。 思いがけず、視線が合う。 一つ、鼓動が跳ねた。 「まだ寝てていいよ。あと乗り換え駅まで1時間半くらいだから」 柔らかい、再び眠りへと誘うような声と、笑顔に。 亜久津は、僅かに身じろぎをする。 すると、向かい合わせに座っているために、 お互いの膝と膝が擦れて、亜久津は余計なことをしたと、 少しだけ後悔をした。 触れた、膝頭が熱い。 「乗り換えて、そこからまた1時間半くらいかな」 「・・ああ」 河村の話をあまり、聞いてはいなかったのだが、 別に、何時間かかってもいいような気がした。 普段であれば、目的地に着かないということに、ひどく苛つくのだけれども。 何故だか分からないのだけれども、 今は、ひどく、幸せだったから。 こうしていつまでも、線路が続いていってもいいと。 そう思ってしまうのだ。 「・・河村」 「何?」 「・・楽しみだな」 亜久津がそう言うと、河村は驚いたように目を瞠った。 けれど。 「うん、そうだね」 誰にも負けないような笑顔で、河村は笑った。 夏は、これから。 |