電車を降りて、全く知らない土地の、全く知らない駅に立つ。

もう何度も来ているのだろう河村は、

亜久津を促し、改札口の方まで連れていく。

小さな改札口には、駅員が一人立ち、数人の客から切符を受け取っている。

一番最後の客であった河村と亜久津が、駅員に切符を渡すと、

彼はゆっくりとした手つきで、改札から出、駅員室へと入っていった。

そこには誰も人がいなくなり。

古びた木製の駅舎と、あまり利用者もいないのだろう券売機が、

存在しているだけとなった。

亜久津はただ、ものめずらしげにそんな駅を眺めた。


「行こうか、亜久津」


駅の外へと促されると、そこには小さなロータリーがあり。

タクシー乗り場と、その近くに、塗料の剥げかけたバス停があった。

河村はバスの時刻表の傍により、自分の腕時計とそれを確認したのち、

亜久津の元へと戻ってくる。


「よかった。あんまりバスはないんだけど、次は15分後に来るみたい」


その河村の言葉にただ頷いて、

バス停の隣にある、もう既にベンチとも言いがたい小さな椅子に腰掛けて、

二人、バスの来るのを待った。


知らない町。

ここが河村の田舎なのだと、どこか不思議な気持ちで辺りを見回す。

駅前だというのにそれほど店はないように見える。

人々は一体何処で暮らしているのかと思うほど、静かであった。


「・・あんまり何もないところだから驚いた?」


「いや・・別に」


驚いた、というよりも、純粋に興味があるだけなのだ。

河村がよく知っていて、けれども亜久津が何も知らないというこの町に。


「これでも、昔より随分店が多くなったんだよ」


亜久津は周りを見渡し、見える限りの店の数を数える。

手の指で足りるほどの数に、一体昔はどうだったのだろうかと。

想像もつかなかった。


「でも、うちのばあちゃん家の周りは、もっと何もないよ。

 あるのは、畑と、田んぼと山だけ。

 亜久津には想像つかないかもね」


少し照れたように言う河村は、けれどもそれを決して恥じてはいない。

寧ろ、そんな家に親しみを感じているように見えた。


そうこうしているうちにバスがつき。

二人で、やはり錆び付いた車両のバスに乗り込んだ。

河村と亜久津の他にもちらほらと客は乗り込んだのだが、

それでも、片手の指で足りるほどの乗客しかいなかった。


バスは駅を出発する。

少し町の中を走ると、すぐに景色は田と畑だけになってくる。

どこまでも続く緑の地と、山に、亜久津はただじっとそれを見つめた。

小さなトンネルをくぐり、大きな川に架かる橋を越える。

これから自分は何処へ行くのだろうと。

ひどく不思議な気分であった。


途中で何個かバス停があったのだけれども。

そこに乗客の姿はなく。

通り過ぎていくだけのそこに、本当に客など来るのだろうかと思ってしまう。


その時、ふとバスを降りるチャイムが鳴る。

誰が押したのかと思えば、意外にも河村で。

何だ、実はそんなに山奥までは行かないんじゃないかと。

落胆とも安堵ともつかない気持ちに襲われる。


バスは小さな木で作られたバス停で止まり、

亜久津と河村は料金を払って外へと出た。

バス停の後ろは、森。

その向かいには、延々と広がる畑があって、近くに民家など見えはしなかった。

不思議に思って河村を見れば、彼は何も言わず、

広がる田畑の向こう、小さく見える集落を指さした。


「あそこが、おばあちゃんちだよ。歩いて15分くらいかな」


行こう。

と。

促されたのは、田んぼのあぜ道で。

迷わず踏み出していく河村の後に続き、

亜久津も、舗装されていないその道を歩いた。

広がる光景は亜久津が初めて見るものばかりで。

後ろを向き、前を向き、そうして左右に首を巡らせた。


そうして初めて。

地平線の向こうが明るみかけていることに気づいたのだ。





+LOVE EMOTION〜zero・31〜





河村の祖父も祖母も随分とよく、亜久津を歓迎してくれた。

彼らは河村と亜久津のことを首を長くして待ってくれていたようで。

到着したときにはもう、テーブルいっぱいの料理が並べられていた。

部屋で休む暇もなく、歓迎されたのだが、

育ち盛りの子供が二人。

長旅をしてきたのだから、お腹がすいていない訳がない。

ありがたくそのご馳走にありつきながら、

河村と、祖父母と、会話をした。

もちろん亜久津はあまり喋らなかったのだが、

それでも、やはり河村の祖父母なのだと思わせるようなその温かさに、

思わず笑みを零すこともしばしばだった。


食べきれないほどの料理を、それでもできるだけ平らげて。

やっと、荷物を持って、あてがわれた部屋へと向かう。

平屋建ての家の、客間であるのだろうその部屋は、

普段人がいないためだろうか、ひっそりとしていた。


一通り荷物を解き、落ち着いたところで、河村の祖母が、

風呂が沸いてるということを告げにきた。


「亜久津先に入りなよ」


という言葉に促されて、亜久津は先に風呂へと入った。

普通ではあまり見ることのできない広い風呂に浸かり、

ぼんやりと目と閉じる。

体の芯まで染み渡る湯に、自分は少しだけ疲れているのだと気づいた。

勝手も知らないこの家で、

どうしてここまで寛いでいるのかというのが不思議であった。

けれど、どこか温かい香りのするこの家を、亜久津は嫌いにはなれなかった。


風呂から上がると、部屋には河村の布団が2枚ひいてあった。

聞けば、河村の祖母がひいてくれたのだという。

亜久津が河村に風呂が空いたと告げると、

河村は着替えを持って風呂へと向かった。

その後ろ姿を見送って、亜久津はそのまま布団へと寝転がった。

気持ちよいその感触に、疲れた体は抗うことができず。

瞼が重く下がってくるのを感じながら、

誘われるように眠りの世界へと入っていった。


ガサリ、と。

音がしたのに気づき、亜久津はぼんやりと目を覚ました。


「あ、ごめん、起こしちゃった?」


気がつけば、風呂から帰ってきたのだろう河村が、

隣の布団に入るところであった。

視界にそんな河村の姿を捉えながら、

ぼんやりと、思考を巡らせる。


前にも、こういうことはあった。


「電気、消すよ?」


そう。

昔、河村の家へ泊まりにいったときだ。

そのときは、二人、布団を並べて。

電気を消して、暗い部屋の中、ずっと二人で話していたっけ。


河村が蛍光灯の紐を引く。

暗くなった部屋とともに、ふと静寂が訪れる。

子供の頃には感じなかった、どこか物悲しい、思い。


亜久津は河村の気配を視線で追う。


体は河村の方を向くように、左側を下にして寝転んだ。

ようやく慣れてきた視界で河村を見れば、

河村も、亜久津の方に体を向けていた。


記憶の中と重なる光景。

呼び起こされる映像は、懐かしいものであるはずであるのに、

つい先日のものでもあるような気さえした。


記憶の中の、自分たちは。


そうだ。


確か。


亜久津は布団の中から自分の左手を出すと、

河村の方へと伸ばした。



「手、出せ」



言うと、河村の方も心得ていたようで、

亜久津の方へ右手を伸ばしてきた。


そうして。

手を、繋ぐ。


子供の頃と、寸分も違わず。

手を繋いで、そのぬくもりを確かめる。

少し強く握れば、河村も、軽く握り返してきてくれる。


「昔・・」


思い出している光景は、どうやら同じようで。


「よくこうして手繋いで眠ったよね」


優しい河村の声音に、亜久津は再び手を軽く握った。


「・・そうだな」


子供の頃と、寸分違わないその行為は、

けれども子供の頃とは違い。

何かが足りないような思いが、亜久津の中を駆け抜ける。

足りないのだ、何かが。

充たされない何か、飢えたような思いに、

亜久津は焦れそうになる。


もちろん、何が足りないのかなど分かるはずもなく。

亜久津は、河村の手をしっかりと握りながら、

ゆっくりと瞼を閉じた。


握った手の平から、河村の声が伝わってくる。






「おやすみ」






亜久津だけに囁かれたその言葉は、

虫の音が鳴る夜の闇に溶けた。