子供の頃からずっと。

自分と彼とを繋ぐものは、空手だった。





+LOVE EMOTION〜zero・34〜





穏やかな光の中目を覚ませば、

気がつけば河村の胸に抱きこまれるように眠っていた。

繋がれたままの手と、亜久津を抱き込む温かい腕。

布団の中に中学生男子が二人。

近づかなくてはどちらかが布団から出てしまうというのは分かっていたけれども。

無理矢理河村の布団に入り込んだのは亜久津であるのだから、

別に亜久津が眠っている間に追い出されたとしても、

何も文句は言えないはずであるのに。

それでも河村は、まるで亜久津を守るかのように、

白い布団の中、抱き締めてくれていた。


元々、河村はこういう人間であった。

例えば、二人で、どうしようもないくらいの困難に向き合ったとき。

きっと彼は、二人で幸せになれる道を、必死で探してくれるのだろう。

それは普通の人間には到底できない芸当で。

人間は、自分の幸せを最優先することが、本能的に刻まれているのにも関らず。

彼は自分の身を顧みず、簡単にその身を投げ出してしまうことすらできる。

だからこそ、時々。

河村とともにいると、まるで自分が守られているかのような錯覚に陥ることがある。

ふとした瞬間、特に、守られる、なんて意識もしないような時に。

柔らかく、暖かいもので包まれているような感覚をおぼえるのだ。


ここに来てから三日。

長いこと河村の傍にいるようになって、

その感覚は日増しに大きくなってくるのを感じる。

どうしようもないほど、甘く。

くすぐったいようなその感覚を覚えずにはいられなかった。


亜久津は抱き締められているこの状況で、どうしようかと考えた。

このまま亜久津が起きれば、絶対に河村も目を覚ましてしまうだろう。

しかし、穏やかな顔をして眠っている河村を起こしてしまうのは忍びなく思われ。

亜久津はそのまま再び襲ってくるまどろみに身を任せることにした。

きっと、今度河村の方が起きたとき、眠っている亜久津を見ては、

同じようなことを考えるのだろうけれども。


それはそれでいいと。

思ってしまうのは、河村の腕の中がひどく心地よいからだろうか。




結局。

そのまま亜久津は眠ってしまい。

予想どおり、亜久津を起こすことのできなかった河村と二人。


『ご飯できてるわよ』


という河村の祖母の声に、二人して起きたのだった。





朝食が終わり、部屋へ帰ると、河村がひどく楽しそうな笑顔を浮かべて、

こんなことを言った。


「亜久津、ちょっとついてきてよ」


別に断らなくてはならない理由もなかったので、

亜久津はそのまま河村の後をついていく。

何処へ行くのかと、ビーチサンダルをつっかけて外に出れば、

河村は家の隣にある納屋へと向かった。

古びたシャッターを開けるのを、亜久津はただ眺めていた。

河村は納屋の中へと入り、何かを探しているようである。


「・・あった!」


中から小さな声が聞こえ、河村はとあるものを取り出してきた。


「これ、昔買ってもらったんだ」


それは。

古びた、けれども立派なテニスラケットであった。

驚きながら河村を見れば、取り出したボールを手で弄びながら、

亜久津に笑いかけた。








「テニスしよう、亜久津」



















河村の。

その言葉がきっかけで、午後にテニスコートに行くことになった。

昼食をとり、午後の一番太陽の高い時間に外を歩く。

二人の頭の上には、昨日と同じ、河村の祖母がくれた麦藁帽子。

手には古びたラケットを持って、テニスコートに向かった。

なんてことはない、テニスコートは昨日行ったプールのすぐ横にあり。

村営のコートで、安く借りられるのだと、

昨日と同じ道を歩きながら河村が説明をしてくれた。


もう随分と育っている稲を横目で見ながら、田んぼの中の道を歩く。

照り返す日差しは強く。

空を見上げれば真っ白な入道雲が、夏ということを主張していた。


歩きながら、手の中でラケットを弄ぶ。

グリップを持ち、宙に放り投げ、一回転をさせてまた手の中へ。

しかし、不意に聞こえた河村の言葉に、その行動を止めた。



「亜久津には・・ちゃんと言ってなかったんだけど」



聞こえた言葉に、河村の方を向けば、いつにない真剣な顔をしていて。

亜久津はただ黙ってその続きを待った。


聞かなくても、その内容は大体想像がついたのだけれども。



「俺、青学でテニス部に入ったんだ」



まるで悪事を働いたことを告げるかのような、深刻そうな顔をした河村に、

亜久津は一つ、溜息をつく。



「・・そんなこと、前から知ってる」



言葉を返せば河村は驚いて亜久津を見た。



「・・どうして?」


「どうしても何も」



逆に亜久津の方が驚かざるを得なかった。

あの時のことを知っていれば、何のために河村が青学を選んだかなど、

すぐに亜久津が勘付くということなど簡単に想像できたろうに。


「・・お前、何も聞かなかったのか?」


逆に問い返したのは亜久津の方で。


「聞くって・・何をだい?」


本当に知らない様子の河村に、亜久津は僅かに眉を顰める。

あの時。

3年前のあの夏に。

河村の小学校に行った亜久津は、確かに。

彼と目が合ったというのに。

河村の幼馴染だという、不二という人間と。


「ちょうど3年前の今頃だ。

 俺がお前の小学校へ行ったら、お前は校庭でテニスをしていた。

 その時に、不二って奴に気づかれた」


その時にあったことだけを端的に述べれば、

河村はひどく驚いたようで、呆然と亜久津を見た。


「・・じゃあ亜久津はその時から俺がテニスをしてるってことを知って・・?」


「まぁな」


「そっか・・」


俯き、視線を下げてしまった河村に、

亜久津は前を向き、進んでいく道の先を見つめた。

延々と続く田と、青々をそびえる山。

知らない場所であったはずのそれは、

何故だかもう、ずっとここに住んでいたかのような錯覚を起こさせるほどであった。


亜久津はただ河村の言葉を待った。

彼が何を思って、亜久津にテニスをしていることを告げなかったのかは分からない。

けれど、河村には河村なりの考えがあるのだろうと。

亜久津はただそう思っていた。


なんせ、河村は。

二人で幸せになれる道を、必死で探してくれる人間なのだから。


「・・不二には何も言われなかったよ。

 だから、何も知らなかったんだ」


亜久津は、足元に触れた小さな石を、前に向かって蹴りだした。

舗装されてはいない砂利道と、ビーチサンダルということが相まって、

石は、道を逸れて田の方向に飛んでいってしまう。

普段であれば、苦々しく思うであろうそれも。

どこか遠くで起こっている出来事のように見ている自分がいた。


「・・うまく、言えないんだけど」


夏の、温い風が二人の間を抜けていく。

山の木々も、それに合わせてさわりと揺れた。





「亜久津と。

 繋がりを持っていたかったのかな。

 学校も違ったし、会えるのは道場しかなくって。

 テニスをすれば亜久津と、またどこかで繋がっていられるって。

 そう思ったんだ」









亜久津は。

何も言葉を返さなかった。

この人間は、どうして。

どうして、ただ一人のちっぽけな人間を。

こんなにも幸せにしてくれるのだろう。


守られるような場面でもないのに、守られていると思うのは、こんな時。

自分の考えていることの、2歩先、3歩先を、彼は簡単にやってのけて。

前に立ちはだかる障害を取り除きながら、後ろを歩く亜久津を、

優しいその腕で迎えてくれる。


そんな河村の暖かさに、眩暈さえした。


「なんて、本当はもっと上手くなって、

 亜久津と打ち合えるようになってから言いたかったんだけど」



笑う河村の表情は、それでも真剣なままで。

河村がどれほど、自分を大切にしてくれていたかを、知った気がした。



夏の日差しのせいだけではない、体の熱さに、

亜久津はただ俯くことしかできなかった。

ラケットを持つ手がじわりと汗を持つ。




ひどく。

ひどく彼が愛しいと。

溢れる心を抑えるのが、困難にも思えた。









緑のコートに、黄色のボールが舞う。

亜久津にはまだ到底及ばないものの、

3年間テニスをしていた河村の実力は伊達ではないらしく。

打ち返してくるボールの力強さに、時々圧されそうになる。


青学テニス部は、夏まで1年生はボール拾いが義務付けられており、

実際に、再びボールを打つようになったのは最近なのだと、聞いた。

楽しそうにテニスをする河村につられて、

気がつけば亜久津も、夢中でボールを追いかけていた。



「やっぱり亜久津は強いな」

「たりめーだろ、馬鹿」



口元だけで笑ってみせれば、河村は満面の笑みで返してくる。





「やっぱり」


河村はそこで言葉を切ると、じっと手の平のラケットを見つめた。






「テニスをやってよかったと思うよ。

 こうして亜久津と打ち合うことができるんだから」






河村の言葉は、耳の奥に焼き付いて離れなかった。