+LOVE EMOTION 〜zero・5〜







「仁・・」




苦しげな笑顔。

無理矢理に笑おうとしているのが簡単に分かる。

けれども、それを責めることなどできなかった。




「仁なら、分かってくれるよね?」




震える手が亜久津の肩へと置かれる。

弱々しいその手は、今まで亜久津が感じたことのないものであった。


いずれこうなることは分かっていた。

寧ろ、そうなるべきだと望んでいたのも事実だった。

けれどもいざ、こうして現実を目の前に突きつけられると、

ただ、絶望という名の感情に心が支配されてしまうのだ。




「仁・・」




弱々しい声。

太陽のような笑顔を浮かべる彼女に。

そんな顔はしてほしくはなかったのに。


子供故の無力さ。

それをこれほど実感したことはなかった。

何もできない。

ただ現実を受け入ることしか自分にはできない。

他の子供よりも恵まれた体格を持ちながらも、

それもみせかけの大きさにすぎなかった。

自分という人間が持つ力は、余りにも小さい。

亜久津は僅かに首を下げ、自分の手を見つめる。

戦うということに慣れた手。

ラケットを握るということに慣れた手。

しかしそれは社会的な力というものは何も有していなかった。




体がいうことをきかず、見つめる手が小刻みに震えていた。

心の底から湧きあがってくる理不尽な怒りを止めることができない。

力が欲しいはずであるのに、見せ掛けだけの力しか持たない自分。

そんな自分に腹がたちもしたが、それよりも、

今からどう足掻こうとも、求める力は手に入らないという焦燥感に

亜久津は酷い自己嫌悪に陥った。

震えるこの両手は、怒りと、そして悲しみを表している。




「仁・・・ごめんね」




謝られることは何もないのに。

自分の方こそ、やらなくてはいけないのにその力が足りなく、

出来ないことがあるというのに。

謝らないで欲しい。

誰が一番悪いということはないのだから。




亜久津は更に視線を落とし、地面を見つめた。

僅かにぼやける視界に、亜久津は唇を噛みしめる。


みっともない自分を見られることも、見せることも大嫌いだった。


手だけではなく、体全体が震え出した亜久津は、

勢いよく顔をあげ、そうして目の前に立つ母親の顔を見つめた。




まるで亜久津の今の表情を写し取ったかのような母の顔。

泣きそうな、だけれども必死でそれを堪えているという表情。




亜久津はそんな母親の顔に、初めて親子というものを意識した。

今までは感じなかった、親子という名の繋がりの存在。

どうしてこんなに似ているのだろうと思わずにはいられなった。




しかし、と亜久津は思う。

目の前の母親にはない、自分だけが持つ顔の表情。

それは母親ではないもう一人の誰かを思い起こさせて、

亜久津は開いていた両手を、強く握った。


親子であるのに、親子ではない。

親子ではないのに、親子ではある。

ひどく曖昧な概念に亜久津は頭を振り、

その考えを頭から追い払おうと試みた。

けれどもその不安はさらに体の中で体積を増すばかりで、

ちっとも亜久津の中から抜け出していこうとはしてくれなかった。

次から次へと湧き上がってくる感覚に、

亜久津は歯を食いしばって耐えた。




「仁・・」




呼びかけられて再び目の前の母親の顔を見る。

似ているはずの母親の顔は、

けれどもやはり自分の持つそれとは違って。

目の前にちゃんといるはずの母親の姿は、亜久津の目には

次第に歪んでいく、トリックの仕掛けられた映像のように思えた。


母親に恐怖を覚えるということは生まれて初めてであった。

不意に感じた恐怖は理由もないのに増殖し、亜久津の中を這い回る。




「仁・・」




母親の手が亜久津の腕に優しく触れた。

その瞬間。

亜久津は走り出していた。

どうしてだかは分からない。

ただ何かに突き動かされるかのように、自分は外へと飛び出していた。

靴を足に突っかけて、可能な限りの速さで道を走る。

夏がすぐそこまで近づいた夕暮れの空気は、

しっとりと亜久津に絡みつく。

しかしそれすらも気にならず。

梅雨の時期、珍しく晴れた夕焼け空の下を、亜久津はただ走った。







向かった先はただ一つ。


彼に、会いたかった。