「亜久津さん」



何故かやたらと懐いてくる後輩からこう尋ねられたときには流石に驚かざるを得なかった。





「子供産みたいと思ったこと、ありますか・・?」





+孕む





それは他愛もない晴れた日の午後。

後輩の口からもたらされた質問は、唐突に亜久津へと向けられた。

その問いが何を意図しているのか読み取ることができず、

亜久津はそんな質問を向けてきた後輩を視線で追う。

隣に座った後輩――室町十次は、からかいなど一切含まない真っ直ぐな、

いやどこか空虚でおぼろげな色を表情に浮かべていた。

亜久津はそれを見て、真っ青に晴れた憎らしいほど清清しい空を見上げる。


どうやらまたこの後輩は、何かを抱えてしまったようで。

いつも亜久津に対してみせる懐っこい空気は何処へ置いてきてしまったのだろうか。


普段は晴れている空を見上げ、僅かに眉を顰めるのだが、

今日だけはこの空が室町の心の中のように曇ってしまっていないことが救いだと思った。

青い空の下、昼下がりのうららかな時間にするような話でもないとは思うが、

それでも曇りきった重い空の下で話すよりは幾分かましである。



「そんなのは南に聞け」



あしらうように答えるのだが、しかし室町も引く気配はなく。



「そんなこと部長に聞いたら胃を抱えて倒れちゃいますよ」



などという答えが返ってきた。

しかし実際に室町が南に尋ねたら、きっと本当にそうなることは想像できたので、

亜久津もそれ以上言い募ることができず、諦めたように溜息を一つついた。



「・・お前は産みてぇと思ったのか」



亜久津は隣に座る後輩の動向を探りながら問い返した。

室町が問い掛けた意図が分からなければ、どう返事をしていいか分からないからだ。


すると今まで下を向いたままだった室町が、僅かに視線を上げてみせた。

自分の足元よりも少し先の、剥き出しになったコンクリートを眺めながら、

しかし実は何も見てはいないのだろうと思わせる表情を浮かべながら、

室町は小さく呟いた。



「・・そうですね」



室町は僅かに口元に笑みを浮かべながらそう言った。

何処か冷めたようなそれは、幾つかのものを諦めてしまったかのようだった。



「羨ましいと思ったんです。

 子供を産めるというだけで、俺より彼女の方が相応しいと言われるのが」



室町が真っ青に晴れた空を仰ぎ見る。

理不尽、とは言いがたいが、それでも自然の摂理というものを少し恨みたくもなるのだろう。



「亜久津さんはそう思ったことありませんか?」



室町が初めて亜久津の方を見る。

サングラス越しで表情はよく分からないのだが、

けれど表面では強いように装っている彼は今、きっと縋るような表情をしているに違いないと。

そう思わせるほど、その声音は弱さを有していた。


亜久津は空を見上げ、そうして一つ重い溜息をつく。



「・・あるぜ」



亜久津は室町だけに聞こえるような声で答える。

答えたくはないのだけれども、同じ悩みを持った者へ、少しでも救いになればいいと。

そう願いながら、晴れた空の下に似つかわしくもない答えを吐き出した。


そう、例えば。

抱き合っている最中に。


この体内に入り込んだ河村の残滓が、このまま息づいてくれればいいと。


何度思ったことだろうか。

このまま自分の体に命が息づいたら、

きっと自分はこれから一生、河村から離れることはないのだと。

温かい腕の中、抱き締められながら何度思ったことだろう。

子を成したらきっと、河村はこれ以上ないほど家族を愛してくれる。

そういう人間なのだ。

しかし。

考えれば考えるほど、ただ哀しさが募っていく。



そう。

どんなに願ったとしても、この体に河村の命が根付くことはない。



「孕むだけで相手を縛っちまえるんだったら、いくらでも孕んでやってもいい」



河村の遺伝子を継ぐもの、そんなもので亜久津の生きるであろうあと数十年の間、

一人の人間の人生を縛れるのであれば、いくらでも子を成してやろうと思う。



「だけど、お前が望んでんのはそんな関係じゃねぇだろ?」



亜久津自身も、考えたことはあった。

河村はこれから店を継いでいかなくてはならない。

その時に、必ず子が必要なのではないのだろうか、とか。

河村が望まなくとも、彼の両親が切望したらどうするのであろう、とか。

考えなかったことはない。

けれど、欲しいのはそんな繋がりではなく。

形に嵌った愛情を、ただ形式的に繋がったものを欲しい訳ではなかった。

きっと、亜久津がこう問わずとも、室町はきちんと分かっている。



「・・はい」



室町は青い空に、消え入るように呟いた。

きっと、理屈ではないのだ。

そう考えて納得できるほど、人間は単純にできてはいない。

形あるものが欲しい訳ではない、ないものを強請りたい訳ではない。

そう思いながらも。

ただ単純に、性別が異なるというだけで何の疑問を持たれずに、

思い人の対象相手にされてしまうということが、酷く羨ましいのだ。


欲しいのは。

そんな目に見えるような繋がりではない。


けれども、時にはそんなものに縋ってしまいたくなるときもある。

亜久津は同じく青い空を見上げ、ぼんやりと霞む街を眺めた。



「お前の悪いところは、それを俺じゃなくてお前の相手に言わないことだ。

 言う相手は俺じゃねぇ。

 あいつに言え」



きっと。

生きていく間に、自分も、室町も。

何度も同じようなことで悩むことになるのだろう。

逆らえない摂理に反することもできずに、世間に無力な自分たちは、何度も、何度も。

同じ悩みを抱えながら苦しむことになるのだろう。

けれども。



「あいつならお前が悩んでると知ればどんな手を使ってもそれを取り除こうとすんだろ?」



けれども、一人ではないから。

悩みを抱え苦しんで、そして最後に笑うことができるのは、一人ではないから。

それだけが唯一の、そして絶対的な救いであった。



「・・そうですね」



泣きそうになりながら、それでも酷く嬉しそうに室町は笑ってみせた。

きっと明日には二人で、この屋上に笑いながら姿を見せることになるのだろうと、

亜久津は青い空をぼんやりと見上げながら思った。



「亜久津さん?」


「・・なんだ」



制服の裾を引っ張られて、亜久津は視線を室町へと動かした。

その顔はここに来た当初よりも、ずっと明るい。

やはりこいつは笑っていた方がいいと心の中で思う。



「亜久津さんも、ですよ」



「・・何がだ?」



紡がれた意味が分からず、思わず問い返す。



「亜久津さんも、ちゃんと苦しかったら河村さんに話してくださいね」



言われて、亜久津は口の端に悪戯に笑みを浮かべてみせた。

そんな亜久津に、室町も満足そうに笑ってみせた。









言われなくとも。

諭されずとも、今日は河村のもとへ行こうと。

そう思っていた。