+意志疎通。





屋上でいつもの通りにサボっていると、

同じく授業をサボったのであろう室町が、亜久津の傍にやってきた。

天気は快晴。

これ以上ないという晴れ方に、ぼんやりと空を眺めていた。

屋上から見る空は地上から見るそれと違い、

随分とその青さが増しているように見えた。

たった地上から数十メートル空に近づいただけで、

空が良く見えるようになったと錯覚を起こすのは少し現金なような気もしたのだが。

空と地平線の境目は、青いけれども白く濁っていて、

これが都市による空気の汚れなのかと、

空が綺麗に青い色を発しているだけに、やけにその白さが目立った。

都市とは違う、もっと自然の多いところに行けば、

くすんだような白い空など見る機会さえないのだろうかと思う。


「亜久津さん」


屋上でごろりと横になっていた亜久津に、

室町が覗き込むように屈んできた。


「おはようございます」


もうとっくに朝は過ぎていたのだけれども、一日の一番初めに会ったら

おはようという挨拶になるのだろうかとしばし考えあぐねていたら、

返事をするタイミングを失ってしまい、そのまま寝転がっている羽目になった。

けれども室町は別段気にした風もなく、亜久津の隣に座り込む。


「どうしたんだ」


尋ねると、少し笑って、室町は亜久津を見た。


「亜久津さんの、幸せな顔、見てやろうと思って」


意味深な言葉に、室町は更に笑みを零してみせた。

亜久津は訳が分からないという風に、眉間に皺を寄せる。

最近、それほどまでに嬉しい出来事など、起きたためしもない。

一体室町は何を勘違いしているのだろうか。


「何の話だ」


強い口調で言葉を室町に向けると、室町は苦笑いを浮かべながら首を傾げた。


「ごまかそうとしても駄目ですよ。俺、ちゃんと知ってるんですから」


未だ嬉しそうな表情を崩さない室町に、訳の分からない苛々が募る。

亜久津にとって、幸せな出来事があるという。

けれど、本人が知らないのだから、そんなものがあるとは思えない。


「だから何の話だ!?」


心底分からないという顔をして室町を見れば、

室町はやっと状況を理解したというように、目を瞠った。


「もしかして亜久津さん、忘れちゃったんですか?」


「最初から分からないって言ってんだろ!?」


信じられないとでも言い出しそうに驚いている室町の表情に、

今日は何か自分にとって重要な日であるのだと思い知らされた。

けれどももちろん今日が何の日か思い出せるわけでもなく。

ただ亜久津はひたすらに、室町の言葉を待った。


「教えてもらった俺が覚えてるのに・・」


「だから何の日なんだ!?」


急かすように言い募ると、室町は一つ溜息をついて、こんな言葉をはいた。



「今日、河村さんの誕生日じゃないですか?」



室町の言葉に、今度は亜久津が目を瞠った。

河村の、誕生日。

それは忘れるわけがない、11月18日だ。

では、今日の日付は・・。


「おい、室町。今日は何月何日だ?」


「・・11月18日です。今日の日付くらい知っておいた方がいいと思いますよ」


少し皮肉めいた口調で室町に言われた。

けれどもそんなことは気にもならず。

今日が11月18日だという現実に、

ただ自分はこれからどうしたらよいのかを真剣に考えていた。


誕生日プレゼントなんて買ってはいない。

いや、事前に誕生日のことを知っていたとしても、

気の利いたものなど買ってやることなどできなかったであろう。

それに、河村が喜びそうなものなど自分には分からない。

テニスボールを買ってみたところで、もう河村は高校でテニスをしないのだし。


何を、すればいいのだろうかと。

考えて、考えて。

とりあえず、今日の授業は全て出ないということだけは決定した。


青い空の下、立ち上がって、屋上のドアへと向かう。


「亜久津さん」


呼びかけられて振り向くと、室町の笑顔。


「頑張って、くださいね」


「・・サンキュ」


小さく言って、屋上を後にした。






学校を出て、見慣れた街並みを歩く。

どうすればいいのかを考えて、とりあえず祝いの言葉だけは伝えようと、

河村の家の前までやってきた。

けれども考えてみれば河村はちゃんと学校へ行っている時間で、

こんな時間に家にいるなどということがあるはずもなかった。

まだ開店前のかわむらすしの店の看板を一つ眺めて。

そうして何もできずに亜久津は帰路についた。


これからどうすればいいのかと考えながら、道を歩いた。

まだ河村が学校から帰ってくるまで時間はあるだろうし、

街でちょっとしたプレゼントを買うくらいの余裕はある。

しかし前もって誕生日ということを知っていたとしても

随分迷ったであろうプレゼント選びに、たった一日で選びきれるとは思いもせず。

亜久津は誰にも聞こえないような僅かな溜息をついて、

寒さの増してきた風の中、ポケットに手を突っ込みながら道を歩いた。


その時だった。


「亜久津!」


聞きなれた声が耳に届いたのは。

振り向くと、既に河村はこちらに小走りで近づいてきていた。


「亜久津・・」


河村に、思わぬ強さで腕を捕まえられる。

離してしまえば逃げるとでも、思っているのだろうか。


「痛えよ・・」


僅かに眉を顰めながらそう言えば、

河村は飛び跳ねるようにして亜久津の腕を離した。


「ごめん、亜久津・・」


「・・別に構わねぇけどよ」


微妙な沈黙。

別に、喧嘩をしにきたわけではないのに。

亜久津が何も喋らないでいると、亜久津と視線を合わせた河村が、

少しだけ気まずそうに話し出した。


「今日・・俺の誕生日でさ。

まさか亜久津に会えると思ってなかったから、嬉しくって・・」


僅かに頬を染めて笑う河村は、自惚れでも何でもないのだけれども、

何だかとても幸せそうに見えた。

だからだろうか。

こんな言葉を口にしたのは。



「Happy Birthday.」



さすがに、河村と視線を合わせては言えなかったのだけれども。

ちゃんと小さなその言葉は河村に届いたらしく、

赤くなったその頬を更に赤くしながら、河村は亜久津の手を取った。


「有難う、亜久津・・」


手に優しく触れられて。

河村の、温かい思いがそこから流れ込んでくるような気がした。


「そうだ、亜久津。うちにおいでよ」


河村の申し出に、亜久津はそういえばと思い出す。


「そういえばお前、何でこんな時間にこんなところ歩いてるんだ?」


「ああ、今日まで中間テストだったんだよ。

今日が丁度最終日で、早く終わったんだ。

亜久津も、今日テストだったの?」


亜久津がサボってここまで来たなんてことを思いもしないのだろう河村に、

まさか本当のことなど言えるはずもなかった。


「・・まぁそんなところだ」


「じゃあ亜久津、うちにおいで。

今日は親父とお袋が腕によりをかけて寿司を作ってくれてるんだ。

亜久津が来てくれたらすっごく喜ぶと思うよ」


河村が、満面の笑みで、亜久津に笑いかける。


「・・プレゼントなんか何も用意してねぇぞ」


「そんなもの、いらないよ。亜久津が来てくれればそれでいいんだ」


先ほど繋いだ手は、離されぬままであり。

今日誕生日という河村の願いを聞かないわけにもいかない。

そんな風に自分に理由をつけて。

今日は愛する人の誘いに乗ってやることにした。


「しょうがねぇな、行ってやるよ」


そう答えると、河村はまた、幸せそうに笑ったのだ。