綺麗ごとだと思われてもいい。 けれど、これは生まれもってついてきた性分だから仕方がない。 昔から、自分一人だけが幸せになることが嫌いだった。 自分が幸せで在るということは、 自分を幸せな状況に置いてくれている、周りの人達のおかげなのだから。 だからこそ、自分だけが幸せだというのは、酷く申し訳ない気分になる。 幸せな気分は、自分を幸せだという状況に置いてくれる、皆にも分け与えて。 自分を取り巻く全ての人が、 幸せになってくれればいい、と。 そう思うのだ。 +南健太郎の憂鬱。 最近。 気になることが一つある。 「誕生日おめでとう、南!」 なんて、クラスメイトたちにお祝いされて、とても嬉しい気分になるのにも関らず、 胸につかえて取れないような痛みが心に残る。 まるで喉に魚の骨が刺さってしまったかのような違和感。 自分の誕生日をたくさんの友達に祝ってもらって。 それだけじゃなくて、授業に来た先生にまで、笑いながらおめでとうと言ってもらっているのに。 それでも気になって頭の中から離れない事柄があった。 今日の朝、亜久津に会った。 朝の授業前に亜久津に会うことは最近珍しいことでもなくなったのだけれども、 それでも遅刻もせずにきちんと学校へ出てきている姿を見ると、少しだけ驚いてしまう。 亜久津が学校へちゃんと来るようになったのは、亜久津が付き合っている人間の影響だ。 亜久津の大切な彼は、とても真面目な人間で。 きちんと学校へも行くし、亜久津にもそうするように促す。 いつもは人の指図など聞かない亜久津なのだけれども、 彼の言うことであれば指図ではなく、普通の言葉としてちゃんと耳を傾けるのだ。 彼が亜久津に培ってきた長年の信頼というものがものを言うのだろうが、 南から言わせてもらえば、あの亜久津がおとなしくちゃんと学校へ来ている姿は、 天変地異の前触れかと思うほど、凄く驚くべき出来事なのである。 一体亜久津の彼はどうやって亜久津を真面目に学校へ来させているのかと疑問に思ったのだが、 亜久津にそれとなく聞いてみたらどうってことはない。 ただ亜久津が彼の家に泊まり、彼と一緒に家を出ているとのことであった。 それでは亜久津もちゃんと学校へ来ざるをえないのであろう。 朝、亜久津に会っていつもの通り軽く挨拶をした。 『はよ』 『おう』 朝、亜久津は機嫌がいいという訳ではないのだが、 それでも今日は何処か幸せそうな顔であった。 今日も彼の家からやってきたのだろうかと無粋な想像を働かせてみる。 『今日は暑いな』 南は真っ青な空を見上げ、襟元を掴み、服の中に空気が通るようにパタパタと動かした。 梅雨の真っ最中だというのに、今日は突き抜けるような晴天。 青い空には雲ひとつなく、今日は随分と暑くなるだろうことを想像して南は僅かに渋い顔をする。 『暑くなるとテニスは辛いよな』 亜久津から返事が返ってくることは期待せず、けれど亜久津は聞いてないというわけではないので、 南は話を続けていた。 しかし、不意に亜久津によって遮られて南は驚く。 『・・お前今日誕生日なんだってな』 その上、聞こえた言葉は思いもかけないもので、南は更に驚いて亜久津を見た。 『そうだけど・・何で知って・・』 『昨日東方が言ってたぜ。明日南の誕生日だってな』 まさか亜久津からそんな言葉を聞かされるとは思わず、南は思わず立ち止まって亜久津を凝視する。 『・・よかったな』 なんて、亜久津は僅かに笑みを浮かべながらそう、告げて。 あまりに驚いて動けない南に構わずに、亜久津はそのまま先に進んでいってしまった。 そのまま南はただ呆然と。 歩いていく亜久津の背中を見つめていた。 ・・なんてことがあったから、南は亜久津のことが気になって、 誕生日おめでとうと言われても、心から喜ぶことなんてできなかった。 朝のことを思い出した南は、やはりそのことが気がかりで。 部活が終わった後に、東方に朝のことを話した。 すると、東方はひどく優しく笑って、 「南は優しいな」 なんて言われて頭を撫でられる。 頭一つ高い東方に、子供のように頭を撫でられることは珍しいことではなかった。 中学生男子になんという扱いだと思うこともあるが、 それでも東方の大きな手に安心することが多かった。 神に触れる東方の温かい熱が好きなのだ。 「そんな・・優しい、とかじゃなくて」 ただ、気がかりなのだ。 よかったな、と。 亜久津は自分を幸せにしてくれる優しい言葉をくれたのに。 それを告げてくれた亜久津自身の背中は何処か淋しそうな雰囲気を有していて。 自分を幸せにしてくれた亜久津にも、幸せであってほしいというのに、 亜久津から幸せを貰った自分だけが幸せであるというのは、納得がいかないのだ。 「亜久津は、誰にでも懐くような人間じゃないから」 大切な人とともにいる時間が増えた亜久津は、以前よりも随分と幸せそうに見える。 だけれども、大切な人に依存し始めた分だけ、 亜久津が一人でいるときには以前にも増して淋しそうに見えるのだ。 亜久津はテニス部の仲間と随分と仲良くなった。 東方とも、南とも。 そして室町とも、壇とも。 それにも関らず、やはり学校の中で相も変わらず一人でいることが多くて。 時折見せる淋しそうな表情を見る度に、 ここに亜久津の大切な人がここにいてくれればいいのにと思った。 「別に、亜久津は一人で淋しくなんてないと思うよ」 東方が発した言葉に、南は顔を上げる。 「俺には、前よりずっと亜久津は幸せそうに見えるし、 それに何よりも、亜久津はそんなに簡単に人に懐くような人間じゃない だから一人でいるように見えるけど、 本当に一人でいたいのなら南の話に付き合ったりしない。 そういう人間だよ、亜久津は」 東方の声は、ゆっくり優しく南の体の中に流れ込んでくる。 ダブルスを組んで本当によかったと思うのはこんなときだ。 東方と知り合うことができて、こうして誰にも負けない仲になることができて。 この強くて優しい彼が他でもない自分の側にいてくれることは、 南にとって何よりも幸福なことだ。 「亜久津は人を近づけない。 それなのに亜久津が淋しそうだと南が分かるんだったら、 それは亜久津が南に甘えてるってことだよ。 亜久津が他人に感情を簡単に悟らせると思うかい? 南に亜久津が淋しいなんてポーズを見せているなら、 それは亜久津なりの惚気だよ 俺の前では滅多に、そんな姿を見せないからな」 そう、言われて。 南は少し笑った。 「・・そっか、俺は惚気られてるのか」 そう思ったら、ふわりと心が軽くなった。 胸につかえていた何かが、急に無くなった感じだ。 亜久津がちゃんと幸せでいてくれるならそれでいい。 そう気づいた途端に本当に嬉しくなって、自然に笑みが零れてくる。 「あーよかった!」 なんて、空を見上げながら笑ってみせれば、東方が南を見て優しく微笑んだ。 「俺は南のそういうところが好きだよ」 突然東方に言われて。 南は瞬間的に顔を真っ赤に染めて、驚きのためにあらぬところに視線を彷徨わせた。 「な・・な・・!」 普段あまりそういうことを言わない東方の珍しいセリフに、 南は今すぐにでも逃げ出したい衝動に駆られる。 慣れていないのだ。こういうことに。 「南は、皆が幸せになることが南の幸せだって言うけど・・」 東方は真っ赤になってしまった南の顔を抱き込むように腕を回した。 南は成されるがままに東方の胸に顔を預ける。 「俺は、南が幸せになってくれることが一番の幸せだよ」 蕩けるようなセリフを耳元で告げられて。 南は泣きそうになる。 こんなにも、自分を愛してくれる人が近くにいるということは、何という幸福か。 「誕生日おめでとう、南」 綺麗ごとでもいい。 祝福を。 自分という人間を愛してくれる、全ての人に祝福を。 Happy Birthday 南健太郎! |